たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

新型コロナウイルス

コロナ下番

 初めの頃はペストか『復活の日』みたいに恐怖を撒き散らしてた新型コロナウィルスだが、昨今では「ただの風邪」感が一般的認識になってると思う。ぶっちゃけ罹る人は罹る、罹らない人は罹らない。自分は罹ってないと考えていたのだが、とうとう罹った。今だにどこで拾って来たのか、見当もつかない。以下時系列順に、経過を書いていく。

9/2
 モチュールカップの前日走行で昼過ぎにBTC市貝に到着。何だかんだでエンジン稼働時間56分乗って終了。ロマンの湯で風呂入って、かましん市貝店で買い物して、市塙の台湾料理屋でメシくって帰営。スライドドア、ハッチバック全開で防虫ネットをして寝た。

9/3
 0400時頃、寒くて目が覚める。先週来た時もその時間にちょっと寒かったので、この時期は朝方は寒くなるんだなー、とか思ってた。あと少しで起床時間なので、シュラフ広げるのも面倒でそのまま辛抱して寝た。
 0600時起床。なんだかちょっと体が怠い様な。芝ざくら公園で洗面済ませて帰ってくるも、何となくしんどい感じ。しばらく椅子に座ってじっとしてたが、朝日を浴びてるのに何だか寒気がしてくる。頑張ればレース走れない事もないが、なんだか無理したら後で帰れなくなる予感がして、先生に事情を話しして帰宅する事に。
 1200時過ぎ、帰宅。シャワー浴びて、ウェアとかを洗濯して干して、1500時ころ体がダルかったのでベッドで寝る事に。
 2100時頃、熱発で苦しくて目が覚める。職場から貰ってるコロナ検査薬で調べると陽性。熱は38.5度から39.3度を行ったり来たり。

F5F23jvaIAAHG8M
ついに来たかという感じ

F5F23j6bwAAuAUB
39度台になったら、もう辛抱たまらん

9/4
 0000時頃、救急隊到着。嫁はんに救急安心センター事業(♯7119)に電話してもらうが、不通でやむなく救急車を呼んだが、成田空港の近くの病院くらいしか受け入れ先がなく、しかも深夜にはタクシーも捕まらず帰りの足がないと言われる。どっちみち行っても解熱剤処方されて終わりらしいので、せっかく来てもらって恐縮だったが、帰ってもらった。不思議なもので、それまで足腰も立たなかったのが、救急隊が来ただけで、ちょっと元気が出た。
 昼前に起床。熱を測ったら37.3度に下がっていた。バファリンの高いのが効いたのか。さらに骨折の時に貰ったロキソニンを飲んだら、36.5度まで下がった。昨晩の熱発はなんだったんだ。掛かりつけの内科に診療を依頼したら、今日の予約はいっぱいなので、明日0900時から先着順なので電話しなおしてほしいと言われる。
 汗で体が気持ち悪いので、シャワー浴びる。

9/5
 1545時、内科受診。熱は36.5度だったが、一応受診する。結果はコロナ陽性、インフル陰性。ゾコーバという実費で5万円もするコロナ薬とカロナールを処方される(ゾコーバの費用は国持ち)。9/8まで出勤停止。熱はなくとも、鼻は詰まってて、吸ったりかんだりしてる内に頭がぼーっとする。
 夕方からしんどくなってきて、ベッドに横になる。

F5QXlZfasAAEkDw
ゾコーバという薬
初日に3錠、あとは毎日1錠飲む
その他に、胃薬、鼻と喉の薬、カロナール

9/6
 熱は37度台だが、38度台なみのしんどさ。汗がすごく、口で息するせいか口の中の乾きがすごい。体が気持ち悪いが、シャワーする度に熱発になるので、濡れタオルで拭くのに止める。エアコンも基本つけないで寝ていた。
 嫁はんも熱が出たというが、全然平気らしい。アホは風邪ひかんというのは、アホは風邪をひいても自覚症状がないからとの由。54年生きてて初めて理解する。
 夕方くらいには熱は平熱になり、倦怠感や鼻づまりなど、風邪の症状になる。

9/7
 嫁はん、グダグダ言っていたが、嫁はんにもコロナ診断を予約させる。目覚めの時はやる気が出たが、直ぐに倦怠感に取って代わられた。とにかく、ちょっと体動かしたら大汗かく。体がフラフラして、20歳台の頃の風邪っぴきの様な雰囲気。疲れたら横になって、気が付いたら寝てた。
 嫁はんをコロナ診断に連れていく。案の定、コロナ陽性。インフルは陰性。自分とまったく同じ薬を処方されて帰る。
 夕方、流石に気持ち悪くてシャワー浴びる。

9/8〜10
 熱発もぶり返さず、倦怠感も徐々にひいている。洗濯や掃除、料理と簡単な作業だが、やる度に大汗かく。鼻づまりは徐々に解消していったが、コロンコロンの洟は相変わらずで、吸うのもかむのも難儀する。その量も次第に落ち着きつつはある。
 最後の最後まで、膝の上の痺れというか怠さというか、残った感じ。

F5pCtqva4AAvOW9
食材を無駄に出来なかったので自炊してたが
最終日にマックをテイクアウトした

9/11
 やっとこ出勤。20歳台の頃の風邪開けみたいに、なんだか体がふわふわした感じがするし、あまりハードな事もしたくないが、まぁ、日にち薬といったところか。職場に着いてから、検査キットで調べたら、陰性になっていた。


 といった具合である。ひき始めといい、経過といい、20歳台の頃の風邪と似たような感じで、もっと酷い事になるのかと思ってたら、そうでもなかった。インフルエンザに罹った方が酷かった。まぁ、新型コロナウィルスの症状は人それぞれで異なる様だが、自分は軽症の部類だったという事なんだろう。ちなみに、唾も飲めなくなるほど喉が痛いとか、何食っても味がしないなんて症状もなかった。
 これまで風邪っぽい時に何度か検査キットを使ったが、今回もそれが残ってて助かった。もっとも、市販の検査キットは医者に言わせるとアテにならんそうだが、何もないよりは目安になった。
 今回、早めに市貝から引き上げるとか、救急隊呼ぶとか、色々「先手」を打ったのだが、それらは概して正解だったと思う。結果として軽症だったから大袈裟に見えるが、もし重症だったら「どうしてそうしなかったのか」という批判は免れない。構えは大きくとっておいて丁度いい位である。
 今回、初めてコロナウィルスに罹患した訳だが、ぶっちゃけ風邪と変わらん罹り方だった。0400時に寒くて目が覚めた時、面倒臭がらずにシュラフ広げて被って寝てたら、もしかしたら発症しなかった、つまり風邪ひかなかったかもしれない。ただ、これまでにも軽い風邪は何度かひいていたので、それがただの風邪なのか、コロナなのか、見極めるのは難しい。やれるのは、しんどいなと思ったら、さっさと休む、引き上げる、という事である。









どこまで従うか

WPCR78022

FNNプライムオンライン 2021年1月4日 月曜 午後6:30

 間も無く、第二次の緊急事態宣言発出の予感である。「発令」でなく、「発出」という妙ちくりんな用語を使っているのは、罰則や拘束力がない「ただの宣言」なので、命令という形は取れないからだろう。言い換えれば、現状はその程度の状況だとも言える。小松左京の『復活の日』みたいに、死人がバタバタ出て、社会体制の維持もおぼつかなくなくなれば、その法がなくても戒厳を敷くに違いない。
 さて、去年の5月に第一次の緊急事態宣言が「発出」された訳だが、その時、こんな事を書いていた(→スポーツライディングの自粛の考え方について)。そして、練習にもいかず、家で大人しくしたのだが(→自粛中の自習)、今から振り返ったら、ちょっと真面目すぎたかなぁ、と思わないでもない。なるほど、救急車で運ばれる様な怪我はしちゃいけない。しかし、見方を変えれば、怪我する様な乗り方ってどんなんよ?って事になる。普段は出来もしない、ビッグジャンプ飛んだとか、ガレガレのとこに突っ込んだとか、ちゅるちゅるの坂を滑り降りたとか、そういうチャレンジングな事をしたか、あるいはええ格好見せようとして調子こいたか、どっちかであろう。そういうのをしなければ良いんじゃね?と思う訳だ。
 オフロードコースで練習するのは、全然「3つの密」にならない、というのは、去年の緊急事態宣言の前に自分は論じているのであるが、自粛を求められるはずのコースの方でも、同じ様な考えだったみたいで、オフロードコースで閉鎖になったところは、結局一つもなかったのである。
 出来る事を繰り返しやる、あるいはほんのちょっとだけ難しい事にチャレンジする、つまり、安全マージンを十分にとった状態で練習すれば良いんじゃないのかな、と思うのである。怖いなとか、危ないなと思う事は、してはならない。また、やらせてもいけない。そういう心構えが必要だと思うのだ。無論、家にじっとしてるのが一番の正解なのではあろうけど、「じっとしとれますかいな」というのが本音である。









Open the Gate

(FNNプライムオンライン 2020年12月1日 火曜 午前11:41)

 今年は12月31日から1月2日の日程で京都の実家に帰省するつもりで、本来なら今朝、四街道駅のみどりの窓口に往きの新幹線の切符を取りに行くはずだったが(復りの2日の分は明日)、急遽、帰省そのものを取りやめにした。というのは、昨日、職場のボスが、「もし、一人でもコロナ患者が出たら、この職場全員が濃厚接触者と言う事で最大2週間足止めされる事になり、業務がストップしてしまう。その場合の対策と、そうならないための対策を検討したい」と言ってきたからだ。東京でも連日感染者が500人前後という中、春先の緊急事態宣言の時よりも、なんとなく重苦しい雰囲気である。こんな話しが出たもんだから、一応は気を遣った方が良いか、と判断した訳だ。
 しかし、個人的には今もってして「風邪みたいなもんで大騒ぎしよって」という気分のままである。というのも、まず自分が罹ってない(罹ってるかどうかも分からない)事、身の回りで罹った人がいない事、罹って重篤化ないし死んだ者がいない事。道端歩いてても、苦しそうにしてるのとか、死体が転がってたり、停電したり断水したり、電車が止まったり、警察や自衛隊が戒厳体制に入ってたり、、、そうした事が、全然ないからだ。こう言ってはなんだが、みんな元気である。ハロウィンだのGo to トラベルだの、何のかんのでみんな普段通りやっていこうという感じに見える。
 このニュースをみると、全国の重症者が500人だという。1億2000万の日本人のたった500人で機能不全に陥るこの国の医療体制って、そもそも体制自体が脆弱すぎるんじゃないのか、と素人目には見える。まぁ、自分が知らないだけで、大変な事になってる現場もあるのだと思うけど、それを国難レベルの民族意志にまで昇華させるには、あまりにも実際に起こっている事が微細に見えて仕方ないのだ。
 先の大戦では、下手したら日本人が2000万人以上死んだかもしれない本土決戦の現実があり、その後の冷戦時代には核戦争による相互確証破壊の文明崩壊や人類滅亡が現実のものとして受け止めれていた。為政者が恐怖で国民をコントロールするには、十分な条件があった。しかし、冷戦後、そうしたカタストロフ的な要素は、フィクション以下になってしまった。テロとの戦いとか言っても遠い国のアリと象の喧嘩だし、米中新冷戦といっても商売同士の諍いでしかない。そこで、新型コロナをいい感じに「恐怖」に煽り立てている様な風に見えて仕方ない。
 テリー・ギリアムの『バロン』(原題: The Adventures of Baron Munchausen)のラストシーンの事を思い出す。城壁の外にはトルコ軍が包囲してるぞ!という市長に対して、バロンが勇気をもって城門を開けと言う。果たして、城門の外は、撤退したトルコ軍の残骸だけが残っていた。なんか、そんな風な感じが、どうしても自分にはする。

adventuresofbaronmunchausen-stil-5








同情でなく感心する

shopping_tenbai
文春オンライン

 この記事を読んで正直に感じた事は、「なかなか利口な奴だ」という事だった。こんな奴がサービス業やってるのがちょっと不思議なくらいである。むしろ、自分の秘められた才能に目覚めたのか、あるいは副業レベルでやってるのが楽しいのか。どっちにしても、目鼻のきく男である。
 昔でいうなら「闇屋」というやつであろうが、社会も会社も自分を守ってくれない世の中で、自分を生かすためには何だってやらねばならないだろう。むしろそれが出来るかどうか、というのが問題である。立場が逆になった時、自分はこの男みたいに目鼻が効いた商売ができるかどうか、分からない。途方にくれたり、政府や自治体を頼ろうとするかもしれない。実際、会社を不当解雇された時は、労働組合を頼ったくらいである。
 この男に「正義感」などないのは、この記事を読めばわかる。正義感もない代わり、悪い事をしてるという感覚もない。不用品といえども職場の物を他所で売りさばくのは横領なのであるが、そんなのも御構い無しである。「経済を回してやってる」というのは、正義感などでなく、実際がそうだから、そう言ってるだけだろう。転売屋であれ闇屋であれ、需要と供給で成り立っている。転売屋を恨むなら、転売屋から買わなければ良いのであるし、転売屋を撲滅したいなら買う方も摘発すべきである。
 しかし、実際には、闇屋を非難しつつも、闇米を食わねば生きていけない、というのが品不足の世の常である。言ってみれば、転売屋に対する口撃は、単なる愚痴でしかない。
 このおっさんも、本業の方で蹴つまずいてなかったら(それも本人のせいとも思えないが)、こんな事もしてなかったかもしれない。その能力は目覚めないままか、あるいは違う方面で活用されてたかもしれない。その意味では、同情に値するのかもしれないが、やはり同情するより感心する方が先に立つ話しだった。





[コロナ自粛] カレーベント

2020-05-03 14.17.44
 コロナで自粛して様がコロナ関係なかろうが、外食というのは「気分」でやってしまうものなので、うっかりすると外食費がびっくりするほど増えてたりする。なので出来る限り外食は控える様に心がけて、3月は成功したのであるが、その後のコロナ自粛である。する事がないと口さみしくなるのか、先月は増えてしまった。結局、活動自粛しても収支はトントンである。
 とはいえ、工事の人が来るからと、昨日6時間、家の掃除やってた嫁さんに、何にも給与しないというのでは具合が悪い。何が食いたいか聞いたところ、佐倉のベイシアの向かいにあるインド料理屋に行きたいという。何かというとインド料理屋に入りたがるのだが、まぁ、褒賞であるからにはダメともイヤとも言えないので、出向く事にした。
 この近所の外食店は、軒並み自粛で、テイクアウトのみになっている所が多い。この店もそうで、注文してから外で待って、受け取って帰る。何が食いたいか、嫁さんに注文させたら、結構良い値段になってびっくりしたのだが、ナンをチーズナンにして貰うだけで良かったのに、別個にチーズナンも入ってたりして、それで値が嵩んだのだ。駐車場にデカデカと出てた看板の「カレーベント」なら780円である。
 お味は、まぁ、お持ち帰りなので、温かいものは少々冷め、冷たいものは少々温まり、という具合で、店で出来たてのを食べる事を考えたら、ちょっと値引きな感じであるが、まぁ普通に美味しい。この手の店は、カレーの辛さはオーダー出来るところが多いが、お持ち帰りでは並な日本人の大抵が食べれる辛さにしてあるようだった。緊急事態宣言が解除されたら、今度は店で食べたいものである。
 嫁さん曰く、ラッシーが猛烈に甘い、という事だったが、おそらく辛いのを食った時対応の甘さなのと、少々温くなってたからかもしれない。冷たいものは甘みが低く感じられるので、結構甘みを強くしてある事が多い。そもそも、この店に行きたいと言い出したのは、学校給食がなくなって牛乳が余ってるのか、ラッシーの作り方がツイッターに流れてて、それを見て嫁さんがラッシーを作ったのだが、生臭くて嫌だと言ったところ、インド料理屋のと飲み比べてみろ、という流れがあったのである。自分はインド料理屋のラッシーの方が好きである。

2020-05-03 13.45.17









目標は上を、現状は下を

kaden_massage_chair
(5/2(土) 12:16 Yahoo!ニュース)

 今日、ケーズデンキで浴室灯と流し元灯の工事の手続きを待っていた時、嫁さんが出し抜けに「もっと給付金出ないですかねぇ」と言い出した。何を贅沢言うとるのかとその理由を聞いて見たら、目の前に展示してあったマッサージチェアを指差して、これが欲しいという。お値段48万円。そこで一頻り、この度の給付金の意義を改めてレクチャーした。本質的に、今回の給付は、生活に困っている人を対象としているのであって、国民に贅沢をさせる為ではないのだ。
 その給付金を当て込んで、浴室灯と流し元灯の交換を行うのであるが、これだって見る人が見たら贅沢な事である。世の中には、すでに食うや食わずの人が出始めている。「災禍()()り、家業(を失いたる者」の為の給付金なのである。その人らから言わせれば、別に壊れた訳でも切れた訳でもない照明器具の取り替えなど、それこそ不急不要の贅沢に見えるだろう。
 自分が子供のころ、親からよく言われたのは、「お前はあれ買うてくれ、これ買うてくれと勝手な事ばっかり言うとるけど、親が頑張ってるさかいに今の暮らしが出来るんやで。これが戦争や倒産やらで仕事なくなったり、チャランポランな親で稼ぎが悪かったりしてみい。そんな事言うてられんのやで」という事だった。そして「目標は上みて高みを目指したらええねん。現状は下みてもっと大変な人がおると思ったらええねん」と言われたものである。
 といった様な話しを、どの様に嫁さんが聞いてたか。実は大体想像がつく。「話し長いのぉ、うっさいんじゃ、ボケ」くらいに思ってたに違いない。なぜなら、自分もそう思っていたからであるw しかし、今にして思うのは、その時はその様に思っていたが、この歳になって、「まことその通りである」と感じる。自分が頑張っているから、今の暮らし向きはどうにか維持できている。自分の努力程度でそれなりの暮らしが出来るのは、運の良さでもあり、恵まれていない人に比べたら、格段の幸運である。こうした気持ちの背景は、「感謝」なんだろうと自分は親の言葉を解釈している。





家計管理と家計観念

pose_atama_kakaeru_woman_credit
(4/30(木) 9:01 現代ビジネス)

 似た様なテーマで先日、日記を書いたのだが、この記事で書かれている事のキモは、純粋に家計管理の問題である。というか、クレジットカードでの支払いの管理の問題である。視覚的な表現をすると、「財布の中の金が減らない支払い」をどう具体的に管理するかの問題だ。この記事を読むと、いかに管理出来てないかが伺い知れる。そしてそういう人が多いのだろう。
 自分がポイント目当てでクレジットカードを使う様になった時、「財布の中の金が減らない支払い」をどう管理するか、それを家計簿でどう表現するかが問題になった。クレジットカードの引き落としというのは、翌月とか翌々月とか、遅れてやってくるもので、しかも口座引き落としである。引き落とされた以上は補充していかねば残高は減っていき、最終的には引き落としが出来なくなる。つまり補充すれば良いのであるが、それを、いつ、どのタイミングで、どのくらいの額を、補充すれば良いのか。
 グダグダ書いても仕方ないので、結論を書けば、クレジットカードで支払ったのと同じ金額を、財布から抜いて別個にプールしておき、支払額のお知らせが来たら、それと同じ金額を口座に入れるのである。つまり、レジで支払ったのと同じ体で財布から抜いていく。カードで払おうが現金で払おうが、同じ様にしとけば良いのだ。帳簿のつけ方としては、「今持ってるお金」−「現金払い」−「カード払い」=「残高」という構造にすれば良いのである。

スクリーンショット 2020-04-30 15.28.41のコピー


 この記事にも書いてあるが、確かに外出自粛で減る支出もあれば増える支出もある。しかし、どっちも金使ってる事には変わりなく、その管理はコロナの有無に関わりなく、日常的な事なのだ。そもそもボーナスを返済に当て込んで、日常の通常会計をどんぶり勘定でやってる事自体、不健全な家計観念だと自分は思う。ついでに言うなら、自分の金の流れを視覚的に理解する必要を「理解してない」のである。
 先日、嫁さんを散々問い詰めたのも、実はこの点であった。「口座にお金あるから」とか「ボーナスで充当するから」と言った安心感で、収入や支出をしっかり把握しない、記帳し忘れる、そう言うのが積み重なり、気が付いたら「足りないかもしれない」と感じ始め、この記事の様な話しになる。家族の全員がこの記事の様なザルな頭であればまだ良いのかもしれないが、ウチみたいに金に細かい亭主が相手だとすると、キツい事も言われてしまう。気をつけたいところである。





本当に他人のためか?

スクリーンショット 2020-04-29 18.44.10


 前にも書いた様に、自分はマスク着けるのは嫌いである。マスク着けないと毒ガスを防げないとか、ドレスコードに引っかかるとか、そういうのでない限り、着けたくない。現に今でも滅多に着けない。故に、マスクがないからと言って、別に困っていない。1枚100円が闇相場だそうだが、必要ないから、そんな高い金だして買うのなんて、チャンチャラ可笑しい、というのが前回の話しである。
 時に思うのは、みんな、本当に他迷惑を防ぐために着けているのか、という事だ。医療関係者や商売うやってる人が着ける、というのは分かるが、ネコも杓子もマスク着けるという有様には、疑問符が湧く。そもそもそんなに品不足なら、着けてない人が半分以上いても良さそうなもんだが、みんな大抵は市販品を着けているから、不思議なもんである。みんな闇値のマスクを買ってるのか。
 他迷惑を防ぐため、いったいいつの間にそんなに高潔になったのか。自分はちょっと疑問だ。パチンコ屋に行くな、堤防で釣りすんな、モトクロスで怪我すんな、密集は避けろというのに公園やホームセンターは人だかり、挙句に、他県から来た、コロナに罹った疑いがある、そんなんで迫害したりもする。ちっとも高潔じゃないじゃないか。別にそうである事を自分は責めはしない。人間全員に正直に生きろといっても、どだい金槌を水に浮かす様なもんで無理である。だとしたら、どうしてマスクだけはきっちり着けようとするのか。
 マスクをしたら予防できると思っているのか、だとすると、それなりに意味は理解できる。そう信じているなら仕方ない。マスクしてないと白い目で見られる、それも理解できる。世の中から爪弾きにされたのでは生きにくい。しかし、それというのは、迷信や同調圧力ゆえの事であって、別に高潔な意識から発したものではないではないか。
 ぶっちゃけた話し、専門家たちもマスクの有効性については一貫した結論が出せてないらしい(→日常生活でのマスクの着用は、新型コロナウイルス対策にどこまで有効なのか? いまも賛否両論の科学者たち。やらんよりはやった方がいい、というレベルである。1枚100円の闇値のマスクを買ってまでやる事か?と自分はどうしても思えてならない。政府が布マスクの配布を始めたのも、国民衛生の観点からというより、国民が欲しがってるから与えた、といった面の方が強い様に思う。





給付金の皮算用

house_danmen_2kai
 5月末から申し込みが始まるという新型コロナ給付金。批判もつどつど聞こえるが、世帯主が右代表で申請し受領する、という事で、使い道について嫁さんと相談した。どんな事に使っても世の中の経済を回す事になるが、どうせ使うなら家族共通の福祉に繋がるものに使った方が良い、と判断したのである。
 まずトランポの車検。これは毎年夏にあるのだが、本来は予算は一時金から出す事になっている。しかし、その一時金が今年は危ういと見て間違いない。トランポは本来はバイクの趣味用なのであるが、四街道に引っ越してからは、日常の足として使う機会が増えている。故に動かせなくなると、生活に支障を来す。この車検に10万円くらい消える。これで世帯給付の半分が消える。
 次に、風呂場の照明。蛍光灯の古いのだが、これが時たまチカチカする。いつ切れても不思議はないので、前々からLED化しようと思っていた。LED照明そのものはそれほど高いものではないが、ポン付とは行かないっぽいので工事を頼む必要がある。
 2番目に、換気扇の取り替え。これは嫁さんからの要求なのであるが、一応、動いてはいるものの、これも古いものだし、換気扇の油取りのガードも取ってつけた様なもので、しっかりとついてない。なのでちゃんとガードのある新しいのに替えて欲しいとの事。自分でもやれるかもしれないが、換気扇枠の清掃もあるだろうし、頼めるなら業者に頼もうかと。
 3番目に、玄関灯の人感センサー化。玄関の照明は、エレガントなのが付いているのだが、夜中に帰ってくると真っ暗けで鍵穴を探すのも難儀する。昔は留守の時は玄関灯を点けっぱなしにしてた様に思うが、今はそんな時代でもない。人感センサーにしとけば、帰って来たら明かりがついて鍵穴が探せるし、他人が来ても誰が来たかすぐ分かる。
 4番目に、インターホンのテレビドアホン化。これもどっちかというと、嫁さんの要求になると思うのだが、来た客が宅配便かその他かを確かめたいという。ちなみに今は室内子機は受話器で、かつ1階と2階に両方ある。この手の製品は、大抵は室内親機と玄関子機のセットなのだが、ウチは1〜2階両方に親機を付けたいので、その場合、値段とか工事はどうなるか。
 番号は優先順位なので、予算がオーバーした場合は、下から順番に切って行く事になる。それにしても、遊びに関わる部分での消費ではないから、面目は立つ。本当はTT-R125のサスのオーバーホールをやりたいところだが、これは嫁さんから難色を示されたので(とはいえ、乗るのは嫁さんなのであるが)、自分の金をやりくりして用立てるしかない。ともあれ、早いとこ給付して欲しいものである。





自粛中でも減るものは減る

2020-04-25 18.58.17
 太平洋戦争前、石油の対日禁輸を食らってた時、日本海軍は「艦隊を動かしてなくても莫大な石油を消費しており、このままではジリ貧になる」という事で「戦えるうちに開戦」した、というのが通説になっている。まぁ、それはそれで良いのだが、今、それに似た様な事を追体験している。つまり、外出自粛で遊びに出かけなくても、それなりに金使っているという事だ。ついでに言うなら、トランポの燃料もそれなりに使っているのである。
 もちろん、レースも練習もないから、そっちの方に使った金はゼロである。その代わり、暇つぶしの盆栽作業で使うパーツや、補給品、普段はやらない工作など、そうしたものに金を使っている。別に遊びの金だけでなくて、家に使う金も結構あった。要するに、体が動いてない時は、他で案外金を使うという事である。ついでに言うと、外食費も結構増えたのだが、これはテイクアウトで使っているのである。
 新小岩の時と違って、四街道に引っ越してからは、買い物はトランポで行く事の方が多い。以前はトランポはバイクの練習やレースの時くらいしか使わなかったのだが、今や日常の足がわりである。なのでこちらの燃料もそれなりに消費する。今月頭に満タンにしたのだが、ただの一度も練習に行ってないのに、半分くらい食っている。もっとも、原油価格の値崩れの影響が少しずつ出始めてて、スタンドの値段も少し下がった。あわてて入れなきゃ良かったと少し後悔している。
 金なんてのは、あればあるだけ使ってしまうものだし、また使っていい金は使って構わないのだけど、このコロナ騒ぎが終わったあと(いずれ終わるとは思うが)、活動再開した時には、以前同様に莫大なお金が掛かるであろうあろうから、それに備えてそれなりに意識して貯めとく必要もなるなぁ、と。
 そんな事言いながら、叫ぶチキンとか買ってるんだから、そりゃ金使ってるよね、って事になるんだけど。このチキンで演奏できるくらいになれば、元取れる様になるかな?





最新コメント
Archives
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ