今から10分程前、ウチの前の通路で扶持と余所のネコが激しいデッドヒートを繰り広げていた。オレは原則的にネコどものケンカには介入しない方針であるが、喧しいのとウチのがヘタに噛まれて化膿でもされたら、また病院代がかさむので、余所のネコを追っ払ってやった。オレが丁度表に出た時、ウチのネコはトイレの外窓の隙間から中に逃げ込んだ瞬間らしく、余所のネコもその窓に飛びかかろうとしていたから、恐らくウチのネコはあと数瞬でケツに食いつかれていたに違いない。幸いにして、外窓の隙間は、ウチのネコ用に狭く調節してあるので、あのビッグボンバーは中には入れず、扶持は虎口を逃れた訳だ。しかし、ケンカなんかてんで弱くて、オレが介入しなかったら、4、5回は半殺しの目に会っていたに違いない実力しかないのに、どーしてあんなにケンカが出来るのであろうか。察するに、オレん家を自分の縄張りと心得て、不法侵入しようとする余所のネコを、断固撃退する決心なのであろう。だとしたら、見上げた精神であるが、その結果、怪我をされて困るのは、このオレである事をすっかり忘れているとこら辺が、やはりネコの浅はかさと言うべき哉。
扶持
今日は泊まり番なにの大して仕事がなく、午後10時半(14日)には引き上げてきた。今日は人と会うので、風呂に入りたかったが、会社から家までは45分は掛かるので、風呂は諦める他ない。
家に帰っても、待っているのはぶちネコ一匹だけなのであるが、それでも誰も待っていないよりはいい。オレがドアを開けて部屋の中に入っても、最初は誰だか判らないらしい(それまで寝ていて寝ぼけている)のだが、電気をつけるとやっと判るらしくて、足下にベタベタ寄ってくる。ストーブを付けて着替えが済んで、ようやく相手をしてやると、さも嬉しそうに膝の上にに載ってきたり地べたでゴロンゴロンしたりする。半日寂しい思いをしているのであろうか。体中を撫で回してやると、少々興奮しているのか、尻尾を半分ほど膨らませて、時には肛門腺臭くなる時もある。ひとしきり相手にしてやると、Macが起動し終わるので、後はほったらかしにするのだが、それでも満足してない時は、ネコが椅子に腰掛けてるオレの膝の上に飛び乗って、オレの体のあちこちに頭を擦り寄せてくる。
しかし、可愛らしいのはここら辺までで、これが終わったら「メシくれ」である。そしてメシを食い終わったら、もうただのネコになってストーブの前だのモニターの上だので寝そべって、触ろうものなら極端に嫌な顔をしたりするのである。「これが人間ならなぁ」と思う事もたまにはあるが、とんでもない小言をくらいそうなので、真剣に考えたりしない。
薬が効いたのか、ネコの奴、食欲倍増で、8時間置きにメシを要求してくる。こういう所も飼い主に似るのであろうか。それでもまぁ、全然エサを食わないよりは、安心である。まだ、メシの後にえずく仕草をしているが、それほどヒドくはない様である。もう少し様子を見て、もう一度病院連れていくかどうか判断しよう。
ところで、コイツ、今日よく観察してみると、顔にノミをいっぱいくっつけていた。何やかやで6匹はいただろうか。全部大きなメスノミである。見つける度に一匹ずつ毛抜きで捕まえて潰していったが、いい加減イヤになった。第一、本猫は気持ち悪くないのであろうか。例えば、ヒゲのの生え際とか鼻の頭にへばり付いていたりするのである。僕ならうっとおしくて堪らないところだ。毛抜きで捕まえようととすると、毛にしがみついて離れなかったり、毛の間をすばしっこく走って逃げたりと、捕まえるのには少々苦労した。ご主人が苦労してノミ退治してやっているのに、本猫は迷惑そうに体をよじったりするから腹が立つ。
本当なら、風呂に入れてシャンプーでもしてやりたいところだが、風呂なしのアパートとあってはそれは出来ない。よしんば風呂付きでも、風呂に入れれば間違いなく絶叫しまくるであろうから、そんな「ネコ飼ってまーす」と言わんばかりの所業は出来ない。ネコを風呂に入れようと思ったら、まず二人は必要である。ネコを洗う人と濡れネコを乾かす人だ。このチームプレーがなければ、風邪ひかせたり、濡れたままの体であちこち逃げ回られたり、と必ず何か事故を付ける事になる。そうかと言って、元野良猫を、まさか犬猫美容院になんぞに連れて行く気にもならない。病院代だけでも結構掛かっているのに、この上贅沢はさせられない。その前に、こんなド雑種のネコを美容院の方で断られてしまうだろう。
そう言えば、昔少しの間世話をした外ネコが、これまたノミのスゴイ奴で、その頃が第一次ノミ災害の記憶が真新しい頃だったから、たちまちゾーっとなってしまい、どうあってもコイツをシャンプーする、と決意した。しかし、湯沸かし器もないので、仕方なく表の水道の水をおもむろにぶっかけ、有無も言わさずシャンプーで体を洗い、また冷水をぶっかけて泡を落とすという荒技をやった事があった。ネコの方は激烈な温度変化にぶったまげたのか、一通り泡が落ちると、少しの隙を見計らってビチャビチャの体のままで脱走。いくら呼んでも帰って来なかった。どれだけノミが落ちたかは不明であるが、効果はそれなりにあった筈である(狩猟などで獲物のノミを落とす時は、川に獲物を浸けるという。急激な温度変化でノミの方が動物の体から離れていく)。まぁ、ランボーな事をしたものだ。
この時の経験で、そういう事をすれば洩れなくネコの愛情を失う事を知ったので、そういう事はやらないが、それでも月に一回くらいは体を洗ってやりたいのが本音である。
またしても扶持の奴が調子悪い。3週間ほど前から余りエサを食わないなぁ、と思っていたら、段々「ぐぇ、げっ」とえずく様になった。好き嫌いの激しい奴ではあるが、それにしては芸の細かい事だと感心して様子を見ていたのだが、それにしては堂に入ったえずき方である。ネコ缶の小骨でものどに引っかかっているのかと思うほど、激しくえずいているのである。よく観察していると、たまに前足でのどに詰まった何かをかき出そうとする仕草までする。明らかにおかしいのである。さぁどうするか。余りひどい様であれば、また病院に連れていかねばならない。しかし、そうなればいくら掛かるか判らない。正直なところ、今家計はそんなに裕福ではない。元ノラ猫に高い病院代を掛けたくないのが本音だ。しかし、容態はそんな悠長な事を言ってられない状態になっていた。それまでは気に入ったエサなら、えずきながらでもペロンと食っていたのだが、この頃では少し口を付けただけでげーげーえずいているのである。つまり、全然メシが食えない訳だ。心なしか痩せてきているし、このまま放っておいても良くならなさそうである。取り敢えず他のところは悪くなさそうであるし、まだ体力も十分ありそうである。病院に連れていくなら今しかない、と考え、貯金を下ろして今年3度目の病院通いをする決心をした。
さすがに3度目となると慣れたもので、ネコを洗濯ネットに放り込んで南京袋に入れ、担いで原付に乗って病院に連れていった。道中、不安そうにニャーニャー鳴いていたが、お構いなしである。時間にしてわずか10分程度の道のりであるが、ネコ連れて事故る訳にはいかないから、いつも以上に運転は慎重だ。南京袋に遠心力が掛からない様に運転するのはすこしコツがいるものである。そうこうしている内にS井動物病院に到着。さっそく診察開始。例によって僕がネコの手と足を持ち、逃げ出さない様にせねばならない。ところが、日頃だらだらしているくせに、こういう時は激烈な抵抗を示すのがネコの本性らしくて、診察にかなり手間取る事になった。しかも今回は口の中という事もあって、なかなか難しい。そもそもネコの口を開けさせるのは難しいのである。そこへ持ってきて鉗子みたいな器具で口をこじ開ける訳であるから、それはもう、拷問にでも掛けているかの様な大声でわめき散らすのである。まぁ、ネコにしてみれば、何をされるか判ったものではないから、ちょっとした事でも大騒ぎなのであろう。これが歯医者なら治療不可能、それこそ麻酔でも掛けない事には治療できないんじゃないか。およそネコに、人間的な辛抱は要求できないらしいのである。(肉体的な痛みには非常に強い耐性を持っているらしい)
診察の結果は、口内炎ないしは猫エイズの感染、その他諸々、要するに小骨が引っかかったとかではないらしい。つまり、口の中が始終痛い状態になっているのだとの事。事実、歯茎のあちこちが赤く腫れ上がっていた。これは余所の猫に噛まれたなどして、ウイルスに感染して起こる病気との事で、それなら心当たりは十分にある。しかも噛まれてから数ヶ月たってこうした兆候が現れる事もある、という事だから可能性濃厚である。右手を噛まれた時か、左足を噛まれた時にでも、変なウイルスをうつされたに違いない。まぁ、こうなったら僕の手には負えないので、やはり病院に世話になる他ないであろう。取り敢えず、炎症止めの注射を打たれ、5日分の薬をもらって帰った。薬を飲ませて様子を見てくれとの事だった。良くなればよし、ならなければ長引くかも知れないとの事である。困ったものである。
ネコのエサについては、この前検証した訳であるが、ウチの扶持に限っては判らない事が多すぎるのである。まず第一に、こんなに飽きっぽいネコは初めてである事。ネコも最近では口が肥えたのは判るとしても、三日に明けずエサが続かないとなると、一体何を与えて良いのか判らなくなる。せっかく買ってきたエサは、最低でも2週間は持つほどの圧倒的物量なのであるから、それを処分してくれない事には、次のエサを与えるなど出来ない相談である。なのにヘタをすれば、明くる日にはもう見向きもしなくなる場合もある訳で、そうなると余りまくったエサは全部パーになってしまうのだ。しかも、仕方なしに買ってきたエサを、気に入ってモリモリ食べる保証などこにもないのである。贅沢させるにもほどがあるし、そもそもこんなに飽きっぽいネコでは、何食わせても直ぐに飽きてしまうのではないだろうか。これではエサを用意するこちらが堪らなくなってしまうのである。
第二に、せっかく与えたエサが気に入らなくて見向きもしないくせに、やはり腹は減っているをみえて、何か美味しそうな物はないかと部屋中をウロウロしたり、物欲しそうな顔で僕を見上げたりしているのだが、そのくせ、自分が見向きもしなかったエサのビニール袋に異常な関心を寄せるらしく、クンクンと鼻を擦り付けたりしている。「アホか」としか思えない情景である。その袋の中身はエサ皿の上に腐るほど残っているのである。それには見向きもしないのであるから、もはや理解の範疇を超えまくっているのである。
こうした飽きっぽいネコにはどう対処していいのか判らない。腹を空かせているとは思うが、いくらなんでもこう次々とエサを飽きられたのでは、たまったものではない。そこまで面倒を見ていられる程、暇にしている訳でもないのだ。(1998年10月20日記入)
(後記)
仕方がないので、せっかくよそったカリカリを全部捨て、代わりにコンビニでネコ缶を買ってきて与えたら、餓鬼のごとく貪り食っていた。腹が膨れた途端に、懐かなくなったが、昨夜は寒かったの一晩中ベッドの中にいた。
ネコのエサと言えば、鰹節ゴハンだとずっと思っていた。東京に来て初めて飼ったネコには、鰹節しかやらなかった。と言うのは、当時は炊飯器などという文明の力はなくて、ガス台で飯盒を使ってメシを炊いていたので、銀シャリ自体が貴重品だったからだ。鰹節だけしか与えていなかったが、それでも全然文句も言わなかったし、だからそれで良いのだと思っていた。
その後に面倒をみたネコには、いわゆるネコ缶を与える様になった。多少フトコロが裕福になったのと、ネコ缶と言うくらいだから、どんなヤツを与えてもまず間違いはないだろう、と思っていたからだ。事実、どんなネコでも有り難く頂戴して「おいしい口」をして帰っていく。だからこれで良いのだと思っていた。ところが、会社などで話しを聞くと、ネコも好き嫌いがあって、自分の嫌いなエサには見向きもしないという。まぁ、「猫またぎ」という言葉があるくらいだから、好き嫌いくらいはあるかな、と漠然と思いはしたが、およそネコ用に作られたエサで、好き嫌いもないというものであろう。ネコが果たして、そんなに味覚が発達しているとは思えないし、よしんばそうであっても、店でどのエサが好きかなど判ろうはずがない。買ってきたエサはどうあっても食ってもらわない事には、とんでもない赤字になってしまうではないか。
だから、人間様が与えた食事を、ネコが粗末にするなど考えられない事であった。そう信じ続けていたのであるが、ウチのネコはどういう訳か、エサを選り好みするのである。好き嫌いもさる事ながら、好みのエサでもしばらく与えていると飽きてしまうらしく、全然食わなくなってしまう。朝、エサ皿にメシをよそっていっても、帰ってきてもそのままである。そして、人の顔を見るなり「ニャーニャー」言ってすり寄ってくるのである(腹が減っていない時は、ドアを明けて電気を付けるまでグーグー寝ている)。
一応、鋼鉄の意志を誇る僕としては、好きだろうが嫌いだろうが、与えたエサを食わぬなど言語道断であるから、そのまま放っておこうと思うし、事実、しばらくはそのまま放っておくのだが、こちらがメシを食っていると(こちらのメシも大概ヒドイものなのだが)、物欲しそうな目でじっと見つめているし、メシを食い終わって食器を流しに置きに行こうと立ち上がると、今度は自分の番が来たと思うのであろうか、ニャーニャー鳴きながら足下にすり寄ってくる。「お腹減ってんねやろ、ほれ、これ食べーなぁ」とエサ皿に連れって行っても、そっぽを向いて食べようとはせず、物欲しそうな顔でまとわりついて来るのである。そして、とうとう根負けして、新しい別のエサを買いに行ってしまうのである。
しかし、こいつは去年の今頃まで野良やってて、ロクでもないもん食っていたり、あるいは何も食えない事だってあっただろうに(事実、ガリガリに痩せていた)、どうして一年もしない内にこうも口が肥えてしまうのであろうか? 取り立てて甘やかしているつもりもないのだが?
昔、女の人が結婚する条件として、「家あり、車、クーラー付き、ババ抜き。ついでに三食昼寝付き」と言ったらしいが、まるでそれではネコと同じである。要は気楽に快適に結婚生活をやりたいという訳であるが、悲しいかな物を必要とする以上は、それを維持する努力がついて回る。その点、ネコの場合は、文字通り裸一貫であるから、飼い主がイヤな事をしてこない限りは、気楽でそこそこ快適な生活を送れるというものである。雨風がしのげて、ハラ一杯にメシが食えれば、ネコにとってこれ以上の幸せはないらしいから。
しかし、こんな事を書くと、全国の飼い猫から抗議のウンチが送られてきそうである。というのも、彼らにしてみれば、快適な生活環境を享受する代わりに、ノラネコが享受している完璧な自由はある程度、放棄せざるを得ないからだ。ネコにしてみれば、一緒に生活しているに過ぎなくても、飼い主の方はあくまでネコを飼っているつもりであるいから、それこそ自分の娘には出来ない事でも、ヘーキで色んな事をしてくるからである。まぁ、たまにワイドショーなどを賑やかす「動物虐待」は別にしても、握りっ屁されてみたり、しっぽクシャミされたり、腕持って踊らされたり……、およそ人間でなければ考えつかない様な事をされて、しかも大概の場合はイヤな思いをしているのである。それが飼い猫の宿命であり、それに耐えて初めてネコも飼い猫たる資格を備えている、という事になるのが世間一般の通念である。
さて、僕の場合だが、昔はそうやってネコと遊んだ(ネコにしてみればいたぶられた)が、最近はめっきり忙しくて、扶持とは全然そんな事をしない。会社から帰ってくると、扶持も多少はべたべたしてくるのだが、エサを換えるのももどかしく、自分のエサの用意をしてマックに取り付いてしまうので、ほとんど構ってやっていない。僕がマックに向かうと、すぐに膝に飛び乗っしばらくはモゾモゾしているが、じゃまにされるとテレビの上に飛び乗って寝てしまう。そのまま、夜半過ぎまで二人とも干渉し合わない(たまに、「オニクー」をやるくらいなものである)。ウチのネコが愛玩動物として取り扱われるのは、僕がベットに入って寝る時である。谷口家では布団の中にネコを入れるのは御法度であったが、それが為に、僕はどうあっても飼い猫と一緒に寝なければ気が済まない性格になってしまった。だから、寝る時はいつも扶持をベットに入れて、添い寝させるのである。これが谷口式愛玩動物のほぼ唯一の条件なのである。
ところが、扶持の奴はきままな奴で、寒い時は自分から股の間に入ってくる(これをされると寝返りが打てない)くせに、暖かい季節には頑として添い寝を拒絶する。昨日もそうだった。うーうーうなり声を上げながら、もがいてみたり爪を立ててみたり、少しの隙間から出ていこうとしたり、およそ僕の安らかな寝入りを妨害する事によって、添い寝の義務から解放されようとする訳である。しかし、添い寝をしない様なネコは愛玩動物の本分を弁えてないと考える僕は、必死の努力で扶持をベットに留めようとする。こうして、万物の霊長と肉食目動物が、狭いセミダブルのパイプベットの上で、不毛な闘争を展開するのである。
だが、こんな争いはあまり長く続かない。なぜならば、夜更かし魔王の僕が寝るくらいだから相当に眠い訳で、それに対してひがなひにち寝ている扶持の方がパワーが断然上で、すぐ逃げられてしまった挙げ句、追撃もままならず僕の方が寝てしまうからである。
「あぁ、生まれ変わるなら、ネコになりたい」今までに、何度叫んだセリフであろうか。身近な動物で、ネコくらい幸せそうな奴は見た事がない。どんな苦境にあろうとも、それを感じさせない動物。それがネコである。まぁ、中には見るからに悲惨な奴もいる訳ではあるが(例えば、近所のペルシャ猫の野良猫。あの手合いの長毛種のネコは、人に飼われなければどうにも見栄えがしない見本である)、それでも本猫はいたって平気な顔をして暮らしている。そうでない死にかかった奴は、人前に出てこない気の使いようだ。
奴らには悩み事とかはないのだろうか。別にリストラされて明日からどうしよう、みたいな深刻な悩みでなくても、メシにありつけなくて腹ぺこだとか、ノミにたかられて体中が痒いとか、昨日の夜からビチビチだ、とかいう生理的な悩みくらいはあっても不思議はない。きっとあるに違いないだろう。でも顔に出さない。これが素晴らしいではないか。まさに「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」である。僕も常々そうありたい、と願っている訳であるが、元より人間としては皆目弱い為に、腹立つ事や嫌な事は直ぐ顔に出るし、いつまでもクヨクヨ悩んでいるのである。
「猫は額が狭いから(前頭葉がほとんどないから)、悩みを感じる事がない」と言われる。でも、悩みを抱えるくらいなら、人間やっているよりもネコをやっている方が人生楽しそうだ。そんな訳で、事あるごとに(実は今日も事があった訳だが)ネコの脇を持って正面に抱き上げ、「なぁ、替わってくれへんか」と話しかける訳であるが、その態勢がイヤなのかもがいているばかりである。
ウチのネコは添い寝は嫌な癖に(愛玩動物の義務をなかなか果たさないのである)、人の膝の上に乗るのは大好きである。段々と寒くなってくると、メシを食った帰りには、必ず僕の膝を伺ってくる。ジャンプ可能なら無断で飛び乗ってくる。まぁ、可愛いと言えば可愛い事である。
しかし、腹が立つのは、こちらがパンツ一丁の時でも飛び乗って来るの事。まぁ、ネコの方もまるっきしのアホではないらしく、膝に飛び乗ってくる時は、爪を立てずに着膝する。だから、ビックリする事はあっても痛くはない。ところが、奴は気持ちいいと手と言わず足と言わず、「にゅうぅ」と爪を立てる癖がある。ジャージなどを履いている時には「そか、気持ちええんか」とノドの一つもゴロゴロさせるのだが、この時期はまだパンツ一丁である。奴は気持ちがよくて爪を「にゅうぅ」とするのかしれないが、突き立てる先は僕の生膝なのである。痛いのでケツを叩いて下ろしてしまう。
もっと腹立つのは、時々ジャンプに失敗して膝にぶら下がる時がある事だ。猿も木から落ちるんの逆で、タマに目測を誤る事があるらしく、跳躍高度が足りなくて膝の上に乗れず、落ちそうになって必死の形相で僕の膝にお手々の爪を全開してぶら下がるのである。これは痛いどころではない。恐らくはこちらも必死の形相になって、他人の膝でぶら下がり健康器をやっているネコを、「このボケぇ!」とか何とか叫びながら、地面に叩きつけているのである。
夏場はさすがに乗って来なかったが、そろそろネコが飛び乗ってくる季節である。
ネコというのは、メシ食ってるか、体舐めてるか、うんこおしっこしてる時以外は、大抵はぐてーっと横になって寝ているものだが、その寝床は一カ所ではなくて、お気に入りの場所をいくつも確保しているらしい。この辺は野生のネコ科の動物と同じで、テリトリーの中にいくつも寝床を持っていて、気の向くまま、あるいは止むに止まれず転々とするのだそうだ。こうした性質は完全締め切り型の飼い猫でも同じだそうで、ご主人の膝の上からタンスの屋上、風呂のフタに至るまで、色々好みの場所を持っている。こうした場所を多く持つ事がそのネコの安心感を増大させる要素になるのだそうである。
さて、我が家の扶持であるが、たった6畳と4畳半程度のアパートにも関わらず、色んな所を寝床にしている。去年の暮れは押入の中、今年の春は本棚の上(ただし、寝返りを打った拍子に床まで落ちてからは止めたらしい)、夏場はもっぱらコンピュータを置いているスチール棚であったが、プリントアウトする度に目が覚めるので嫌になったらしい。今はテレビの上である。テレビの上に陣取るネコは案外多いらしくて、風呂屋でよく出くわすオッサンもそんな事を言っていた。テレビの上のあの丁度いい案配に体が乗るスペースが良いのか、それとも僕がテレビを見る度にホットカーペットの様に体の下が暖かくなるのがいいのか、いずれにしても、用事が済んだらいつもテレビの上で寝そべる様になった。まぁ、その事自体は良いのだ(プリンターの横で寝られるよりは)。
ところがである。こやつ、一通りお体のナメナメが終わったら、テレビの上で横におなりになるのだが、段々と夢心地になってくると、狭いテレビの上でも横伸びになってくる。するとどういう訳であろうか、脇腹の部分がテレビの端にはみ出して、掴んで下さいと言わんばかりになってくるのである。まさに「オニクー」と言いたくなる状態なのである。最近では言うばかりでは面白くなくなったので、「オニクー」と言いながら脇腹を掴む様になった。夢の世界でネムネムしている状態の扶持にしてみれば、最悪の目覚めをさせられる訳で、実に恨めしい顔をするのだが、またこれが面白い。そんだけ嫌なら、別の場所に行けば良さそうなものなのに、お気に入りの場所からは絶対どかない決心なのか、何べん「オニクー」をされてもテレビの上でオネムに及ぶのである。一見アホとしか思えないが、実は意志の堅い生き物なのかもしれない。
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