軍装
軍袴というのは、旧日本陸軍の軍服のズボンの事である。その軍袴は、今みたいにベルトで腰に固定するのではなく、腰の両側から生えている、約1.5mほどの紐で固定する。具体的には、まず前でクロスして、後ろに回して後ろでクロスさせ、また前に持ってきてヘソの下で結ぶか、そのままクロスして、剣道着の袴の帯みたいに、紐に巻き付けて固定する。独特な着方をする衣服なのである。
さて、事件が起こったのは、今朝の東京駅。浜松町の国際貿易センターで開催されるVショーに向かう途中の事だ。昨日の晩から、やや腹を下し気味だったのだが、東京駅で停車中に、急に下腹がギュルギュル言い出したのだ。出来ることなら、浜松町まで辛抱したいところだが、信号停止なのか全然電車が発車する気配がない。風雲急を告げる下腹。このままでは車内で大惨事を迎えるに違いないと咄嗟に判断し、直ちに下車。エスカレーター上がった先のトイレに急行した。もはや、ガンバレ!括約筋!状態である。
しかし、こういう時に限って、お約束の様に大便所は二つとも先約済みだったりする。しかし、もはや一歩も動けない状態である。イライラを通り越してヒヤヒヤしながら、待つ事3分。今回は幸いにも前の奴が出て行った。ここからが寸秒を争う修羅場である。
まず、帯革(装備を押さえる革のごついベルト)を外し、肩から下げた雑嚢をドアにぶら下げ、ようやく軍袴の紐を緩めにかかる。ところが、長ったらしいだけになかなか緩まない。しかし、便器を前にもはや括約筋は頑張る意志がない。紐でまごつき手間取る自分を無視して、ケツの股に堤防決壊が始まった。もはや半泣き状態である。
ともにもかくにも紐をゆるめ、前ボタンをはずして、ようやくしゃがめたのであるが、そりゃもう、開放感よりも憤怒と絶望感の方が勝っている。一体全体、どうして帝国陸軍は、こんなややこしいズボンを設計したのであろうか。よく南方戦線でアメーバ赤痢に掛かって垂れ流しになる兵隊の話しを読むが、便所に手間云々の前に、軍袴の紐を外す手間が惜しいというか間に合わなかったはずである。自分だって、垂れ流し直前(というか、ちょっと垂れた)までいったのだから。
何が言いたいのか、というと、自分はそこそこのミリタリーマニアで、旧軍の事もそこそこ知っているが、服の着方までは今回着てみて初めて分ったのだ。やってみない事には、当時の人がどんなだったか、理解する事は出来ない。ただでさえ、面倒くさい紐なのであるが、緊急事態に際しては、破滅的な状況を招来する事もある訳で、それを回避する為には、普段から慣れておく必要があるのを、いたく感じ入ったのである。
物事は、表面から見てたのでは、決して分らないのだ。
軍衣の内ポケットに入る包帯包は、三角巾、セロファン紙でつつんだ昇汞ガーゼ包で構成されてたそうな。昇汞というのはリバノールの事で、今はアクリノールというのが一般的らしい。黄色い消毒液である。
そのアクリノールに浸したガーゼが売ってるのか?と思ったら、普通に売っていた。その名もリバガーゼ。アルミパックに個別密封されていて、ガーゼの上から貼るシート付き。
ところで、包帯包に入っていた昇汞ガーゼは、サイズが30×40cmのデカイ奴だったらしい。まぁ、戦傷用だからチマチマした傷とは限らないから、大きめなんだろう。リバガーゼの方は5×4cmで、チマチマした傷用だ。ただし12枚入っている。
もっとも、飯盒オフレベルのイベントで、チマチマ以上の怪我をするのは考えにくいし、むしろ怪我なしてミッションが終わる事の方が多いから、とりあえず形だけ整えると言う事で、二つ折りにした三角巾に、リバガーゼとシート12枚をサンドイッチして、ポケットに入れる事にした。
まぁ、草色の米軍の三角巾を買う事も考えたが、それなりに値段するし、ガチで使わないかん時に、リエナクトへったくれ言うてる場合じゃないので、とりあえず市販のを使う事にした。
二つ折りにしてガーゼとか挟んだら、それっぽいサイズになった。せめて包装布くらい、何とかするかな。
日本陸軍の九〇式鉄帽のレプリカ。レプリカだけどしっかり鉄製らしいので(実物はクロムモリブデン鋼)、いざの時には防災用に使えるかもしれない。まぁ、防災用なら、もっと軽い樹脂製のがあるけど、最近のは工事用か建設現場用っぽいんだよな。
それはさておき、この鉄帽のアゴ紐は、今風のベルト式やバックル式の留め方でなく、兜結びって留め方だ。紐の左右の長さの関係で、アゴの横で蝶々結びするんだが、これがなかなか難儀した。蝶々結びが出来ない訳ではない。手元が見えなくて、かつ自分に向かってやるのが、なかなか勝手が分からなかったのだ。鏡見ながらやっても、逆像で分かりにくいし、、、
そこで基本に立ち返り、靴紐をゆっくり手順を踏みながら結んで、蝶々結びの仕方を解明し、かつ、それを頭に思い描きながら、鏡の前で何度も練習した。それで何とか、結べる様になって来た。
この鉄帽は、略帽の上から被る事になっているので、略帽の分、アゴ紐も短くなるのだが、それでも何とか結べる様になってきた。何でも練習である。何回か練習してるうちに、鏡見ないでも結べる様になるだろう。
昔の兵隊も、初年兵の頃に、班長や古兵に怒鳴られながら、練習したんだろうなぁ。
今日は雨なので、軍装のお手入れ。ちゃっちいレプリカの編上靴といえども、ちゃんとした編上靴が手に入るまでは、自分の足を守る唯一の靴なんで、ちゃんと保革油塗っておきます。
さて、編上靴といえば靴紐です。「靴紐も結べない癖に…」は頭の悪いアホ呼ばわりする時の常套句ですが、靴紐の結び方は様々あって、確かに頭使うところでもあります。
日本陸軍では、ちょっと変わった結び方してたみたいです。まず、一番から三段目までは鳩目の外側から紐を通し、内側に来る紐を二段目飛ばして三段目に通した様です。四段目からは、鳩目の内側から通したみたい。
どうしてこんなやり方なのか分かりませんが、紐が緩みにくいんでしょうかね?
もっとも、このやり方、他のマニアの人がやってるやり方なんで、ちゃんと一次資料に基づいてるか分かりません。
ちなみに、この靴紐は、日本陸軍仕様ねレプリカで、紐の端が金具で止められてます。
それは良いんですが、イキナリ片側が外れてしまいました。仕方ないんで、縫い糸で補修しましたが、当時の兵隊もそうしてたかもしれませんねぇ。
今日は頭の調子は凄く良くなったんだけど、やはり大事とって安静に。せっかくのバイク日和なのにな。
部屋の掃除終わってから、やる事ないんで、日本陸軍の軍装の手入れをした。床に置いてるもんで、猫の毛が凄いんだわさ。
昭和17年製の毛布は特に酷くて、コロコロ掛けまくり。携帯天幕もコロコロ。背嚢も円匙も地下足袋もコロコロ。毛布は天日干しした。
とりあえず、乾パンや米、替えの軍足といった小物は背嚢へ。地下足袋も背嚢の中へ。タコ足の紐も出来るだけ纏めて、邪魔にならない様にした。
問題は保管で、床におけば、また毛だらけになるだろうし、さりとてしまう場所もないし、思案中である。
そうこうしてる内に、猫の餌食になっていた(^^;;
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