たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

書籍

どこだって野宿ライダー

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 実はかなりの文章を書いたのだが、ネコが机の上に乗ってきて、降りる際にマウスを蹴飛ばしてくれたお陰で、どこでどうなったのか、書いた文章がどっか消えてしまった。そんな訳で、今書いているのは二度目である。

 この本を読んだのは、今から約10年ほど前。「さすらいの野宿ライダー」が面白かったので、続けて本屋で買ってきて読んだ。が、「さすらいの〜」がおもしろ可笑しい内容なのに対して、こちらはハード、壮絶な中身で、ところどころ神秘的でさえもあった。「とても真似できない」というのが読後の感想だった。その後、何度もこの本を読んだが、感想はいつも同じだ。何が真似できないと言っても、エンジンをバラバラにして組み立て直すなどという神業は、とてもじゃないがマスター出来ない。大体からして、直そうとして壊してしまう体たらくなのだ。だから、およそバイクであれエアガンであれ、道具らしき物は、ゼントラーディー人と同じで使い潰す他ないのである。
 寺崎さんの本には、とにかくパンク修理の話しが多い。だから、林道を走ると2〜3度はパンクするんじゃないかと思うし、そうなったら1度目で自分の場合はノックアウトである。もっとも、自分の今までの経験でバイクがパンクした事が一度もなかった訳ではない。むしろ、チューブタイヤのバイクではよくパンクしたのである。しかし、自分では修繕できず、バイク屋まで押すという苦行でカバーしていたのだ。それが林道はともかく、オーストラリアの荒野では、とてもじゃないがバイクを押すなんて事は無理っぽいし(1000kmも押せるか!)、JAFなんてのもなさそうだし、仮にあっても英語が喋れも聞き取りも出来ないのに、どうやって呼ぶんだ。となれば、ますます真似できっこないのである。
 しかしまぁ、なんでオーストラリアなんだろう、と思わなくもない。寺崎さんも、この本の冒頭で、理由を聞かれても適当な答えがない、と書いている。まぁ、1981年当時、政情が安定していて、我が国と友好的で、しかも自然がいっぱい、というのはオーストラリアくらいしかなかったのかもしれない。1A$が約250円だったそうである。今は約90円くらいだそうだが、単純に比較しても2.77倍。総経費が209万円だったそうだが、2.77倍してみれば580万円ほどになる訳で、やっぱり真似しようと思えない額である。立派なのかバカなのか、自分でさえもよく判らないくらいだ。この壮挙の時、寺崎さんは26歳。自分が26歳の時は、貯金が目減りするのがイヤで、友人たちがグァムに射撃ツアーに行くのに誘われたのを断っていた。今から思えば、3〜40万の金をケチって思い出作らなかった事をちょっと後悔しているのだが、ウン百万使って大旅行する人と、数十万の金を惜しんでピンチに備えようとする人間の、価値観や人生観の違いを見る思いである。





審判の日

 五十嵐均著『審判の日』(定価680円+税)●角川文庫刊)を実は三日前に読了していた。この本は、珍しくのめり込んだ本である。そもそも第一、タイトルがいい。これが海外作品だったら見向きもしなかったのだろうが、日本人作家でここまで言い切ってしまうタイトルを付けるのは、小松左京くらいなものであろう。内容を触れると、読了前の読者の意欲を逆なですることになるから、深くは追求しないが、要は最新技術で神様(この作品の場合は「神の子」)を作って、自分の願望なり理想を実現しよう、というモノ。作品のスタンス的には、アイラ・レヴィンの『ブラジルから来た少年』に近い。
 遺伝子工学の発展は目覚ましく、ついこないだ、ドリーとかいう羊のクローンが出来たかと思うと、今度はそのドリーが子羊を産んだとかで、新聞の片隅を賑やかしていた。要するに、今日の、そして将来の遺伝子工学をもってすれば、少なくとも肉体的物体的な意味での生命のコピーは可能だ、という事だ。その内、そのコピーした体に、その遺伝子の提供者の記憶を移植する技術が完成する事であろう。そうなれば、秦の始皇帝の夢も叶おうというものだ。
 しかし、今の技術では、コピーした体に自分の記憶を、その一部でも植え付ける事は出来ないらしい。つまり、体つきは間違いなくそっくりでも、人格は別個、という訳だ。しかも、今の自分の姿をコピーするのではなく、自分と同じ遺伝子を持った子供が出来る、という制約がある。すなわち、その自分のコピーは、新たな人格として成長していくのだ! という事は、自分とは違う(どう頑張っても、自分が育った環境を再現する事は出来ないだろう)環境で育つ自分のコピーは、自分とは違う人格に育つ可能性の方が大きい、という事である。『ブラジルから来た少年』では、この辺りがきちんと描写されていたが、『審判の日』の方ではされていなかった。
 しかし、いずれにしても、自分とそっくりの肉体を要求するなどという事は、極度のナルシストか、誰にも手渡したくない程の権勢を持っている、と自覚した者であろう。言い切ってしまえば、肉体は別でも、自分の人格が永久に生き続ければ、それでも良いはずなのだ。事実、巨大なコンピュータによって、人格を保持し続けようとする研究が、アメリカあたりでは行われているし、自分の脳ミソだけ摘出して冷凍保存する財団もあるのだそうな。それはそれで良いとして、問題なのは、そこまでして生き続けたいのか、そうまでして守るべき人生なのか、という事だ。
 私などは、一体どうして自分がこの世に送り出されてきたのか、常々考えさせられる。不細工な造りの外見に、最悪の人間性。こうした人間が、果たしてこの世に必要であったのか? 例えば、土中に住む気味の悪い生き物とて、分解者としての役割を持っている。しかるに、一個の人間たる自分には、何の任務が課せられているのか。ぶっちゃけた話し、自分の人生に何の意義も感じないのである。言い換えれば、神が何かの手違いで、自分を作り出したのだとしか思えないのである。この世には、色々な人間が住んでいるが、素晴らしい人生を与えられないのであるならば、そんな人生は返上したい、と考えている人間が大勢いるはずなのである。自分はその一人である。
 人生、人間の生命は、選択の余地なく、押しつけられる。しかも、それを全うする様に要求される。親共は、生まれてきた子供に大きな期待を掛ける。しかしその子が手に持っていた箱の中には、宝石ではなくて糞が入っているかもしれない、という事は考えない。その子が、一生その糞にまみれて生きていかねばならない、という事に想像力が働かない。クローン技術を開発している連中も同じである。生命は、どんな手段を使ってでも、究極的には製造可能である。しかし、素晴らしき人生、神からも世界からも祝福された人生は、絶対に生産不可能である。それは、運命であり科学や技術といった人智を越えた問題である。来世紀に宗教が生き残るとしたら、この世の中の絶対的な不平等をテーマにする他ないであろう。





猫の遺言状

 ヒロコ・ムトー著『猫の遺言状』(定価(本体1333円+税)●文藝春秋刊)読了する。
 写植オペの仕事をしている関係上、文庫の広告は市場に出回る前に見る事が多く、この本も発売される何日も前から知っていた。『近所の猫好きにさえ嫌われていた黒猫がある日、子連れでわが家にやって来た。野良猫の「意地」も「プライド」も捨て、飢えたわが子の安全と食糧を求めて……』(本書オビより)なんてコピーをガチャガチャ打っている内に、本当に読みたくなってきた。ウチにもネコがいるが、去年の秋まではノラをやていた。他人事とは思えなかったのだ。内容に関しては、ここでは触れない。ただ、ネコを題材にしている本としては珍しく、涙なくしては読めない本であった。29の大のおとなが、ティッシュの箱を半分カラにする威力を、この本は持っていたのである。
 この本に書かれていた体験は、実は私にもある。東京で一人暮らしをして間もない頃、私は茶虎の子猫を拾ってきて、そいつを首尾良く外猫に育てて、独り身の寂しさを紛らわせていた。この猫がまたよく出来た猫で、アパートで飼うネコの条件をすべてパスしていただけでなく、粗食で健康、よく懐くし邪魔にならんしで重宝していた。この猫はメス猫で、しかも当時は非常に貧乏していたので避妊手術を受けさせられず、飼ってから1年ほどして4匹の子猫を連れて帰ってきたが、誰に教わるでも無しに、よく育てていた。上京2年、ホームシックにもかからず、しっかりと独立の基盤を作る事ができたのは、この利口な猫のおかげであった。
 ところがある日、学校へ行こうとアパートから出ると、その猫が私の部屋の前で血塗れになって倒れているではないか。びっくり仰天、「おいっ! お前どうしたんだっ?!」と叫んで抱き上げてやると、そいつは弱々しい声で「ニー」と鳴く。半生半死になっても自分の家まで戻ろうとした訳である。ただ、私のアパートを見て脱力したのか、そのままの格好で朝を待ち、私が出てくるのを待ちかねていたのであろう。私は学校へ行く事など忘れてしまい、画材をその場に放ったらかしにして、猫を抱えて部屋に戻り、蒸しタオルで血に汚れた体を拭き、毛布にくるんで、一日中猫を見守っていた。
 しかし、猫は相当の重傷であったと見え、起きあがる事はおろか、毛づくろいも食餌も出来ない有様で、日に日にやせ衰え弱っていった。実質的には植物人間ならぬ植物猫であった。普通であれは、犬猫病院に連れていき、治療するか安楽死させるのであろうが、自分の生活で精一杯の当時、その様な「贅沢」はさせられず、精々マタタビの粉末を買ってきて牛乳に混ぜ、スポイトで与えるのが関の山であった。そんな毎日が、一ヶ月ほど続いた。
 事故から約一ヶ月後。学校から帰ってくると、部屋の中は死臭でむせ返るほどだった。2月というのにその日はとても暖かく、猫の死臭が部屋の中に充満していたのだった。よく晴れた日で、しかも部屋は角部屋だったから、部屋の中は真っ白なほど明るかった。猫は今朝出ていく時に見た時の、横向きのままで息絶えていた。悲しみにむせび泣く前に、おもむろにかいだ死臭で吐き気を催し、共同トイレに駆け込む方が先だった。和式便器に戻しながら、今朝まで確かに生きていた猫が死んでしまっているのを、どうしても信じられなかった。もはや、ミイラの様にやせ細り、鳴き声一つ立てず、ただ息だけしているに過ぎなかったが、それでも確かに生きていたのだ。
 たった1年の生涯。老衰でも病死でもない猫の死は、あまりにも不憫であった。そして、その死に様は、あまりにも凄惨であった。その死は、私が直面した初めての「死」であった。猫にとっては、あるいは死は解放であったかもしれない。しかし私にとっては、死の後に訪れたものこそ凄惨であった。まず、死体の処置について保健所に電話をかけて聞いてみた。ところが返ってきた答えは、「死んだネコはゴミですので清掃局に連絡して下さい」。今の今まで、それこそ何時間前まで、生きていたのだぞ! 死んでしまえばゴミなのか? それが人間であっても、そうなのか! しかし、病院に連れていってやれなかった私は、やはり葬式をしてやる事も、火葬してやる事もできなかった。実家に住んでいるのであるならば、近くの河原に埋めてやる事もできた。東京では、そんなに近くに穴の掘れる川はない。それどころか、穴の掘れる地面自体がない。どうする事も出来なくなった私は、結局、猫の死骸をゴミ袋に入れ、ゴミ捨て場に捨てる他なかった。
 あの猫は、私の求めに十分に応えてくれた。しかし、私は、それに相応しい何ものもあの猫に与える事が出来なかった。





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