たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

書籍

書は捨てず、焼かず

1fe7486e56575266af7e9d7d17b77941

 久々に新しい本を読んだ。ここ数年、買ってまで読みたいと思う本に出会えないのだが、この本も実は買った本ではなくて、ゴミ捨て場に捨ててあった本である。『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』物々しいタイトルから想像したのは、戦前の苛烈な文化統制の実態、ライスカレーを辛味入汁掛飯、ハンドルを走行転把とまで言い換えねばならなかった時代の様相をつぶさに書いたもの、というものだった。
 ところがその中身は、本家から里子に出されて、艱難辛苦を耐え忍びながらも勉学に励み、実力社会である筈の軍隊を目指しながら学歴に阻まれ、それ故か、誰もが平等に教育を受ける機会を社会的に作ろう、と理念した軍人の物語だった。書き手のバイアスが掛かっているのは当然としても、「言論界の独裁者」だったのはわずか3年ほど、それも真摯熱烈に職域に奉公した姿が感じられただけだった。
 この本を買った人がなぜこの本を捨てたか、読み終わったあと、何となく判る気がした。恐らく、自分がこの本を拾った時以上に、期待をしてたに違いない。当時の軍部が、どれほど理不尽かつ高圧的に言論界初め国民に命令していたかを。それはまったくのフィクションではないものの、被害者意識に彩られた歴史を教育を受けた結果なのだ、という事を、前の持ち主は認める事が出来なかったのではないか。ましてや、宮本百合子が教育という部分において、敵側の首魁であるはずの鈴木庫三と、意気投合してるなどと書かれては。
 「そして二一世紀の日本。ゆとり教育の下で「受験戦争」は過去の記憶となり、戦中から続いた平等主義の「教育国家」は、大きな曲がり角にさしかかっている。努力はダサく、知識よりも趣味が評価される現代日本で、大志とともに青少年から喧嘩の気概も失われている。鈴木少佐の悲願であった「教育国家」はこのまま終焉を迎えるのであろうか。」
 自分は共通一次世代の終わりの方なのであるが、実のところ、「知識よりも趣味」を優先した生き方を本能的に選んできた。豊かな国だったからこそ出来る選択だったと思う。一億総中流が終わった今、教育国家も終焉を迎えた、というより、一からやり直しの感がある。こういう本を読んだ時だけは、そんな事も考えたりするのである。





野宿ライダー、田舎に暮らす

c1fd2490b73cd1426c98b586531e99f8

 用事から帰ってきて、ベッドに寝転がりながらウトウトしてしまったらしい。すごく変な夢を見た。田舎の廃屋同然の家で、農村の過疎と格差社会を風刺した寸劇をやっていて、それに今も付き合いのあるとある争議団のUさんが、蓑をつけ、これ見よがしのデカイ出刃包丁と桶をもった“なまはげ”の扮装で、なのに顔だけお面なしのスッピンで、「悪い子はいねが〜!」と出てきたのが、あまりにも似合っていたので、写真撮っておこうと自分のD70sを探したが、D60(そんなんあったっけ)とかF70Dとかは出てくるのに、自分のD70sがなかなか出てこない。とうとうそのシーンは写真を撮れず終わってしまい、それどころか寸劇も終わってしまい、誰もいなくなっているのに自分一人、夕陽差し込む廃屋の中でD70sを探し続ける、という、それはそれはオトロシイ夢だった。

 何でそんな夢を見たのか、理由は直ぐに判った。枕元(というか、枕にして寝てた三つ折りにして端にどかしてた布団)に寺崎勉さんの『野宿ライダー、田舎に暮らす』(山海堂)があったからだ。先日、ヤフオクでやっと手に入れた本だ。前から読みたかったのだが、今から8年も前の本なんで、書店にはもはやなく、アマゾンに頼んでいたが変な広告メールばかりで肝心の本は探さず、出版社に直に電話して聞いてやろうかと思っていたのだが(実は、地区労の事務所の近くにあって、争議中にオルグに何度も行っているのだ。世間は狭い)、たまたま先日、他の本2冊と抱き合わせで210円+送料650円でゲットしたのだ。
 読んでみた感想は、「……楽しそうだが。。。ワシには出来ん」だった(爆)。というのも、こうみえても都人でシティーボーイなワタクシ、さすがにど田舎の廃屋を住めるようにしたり、性悪な虫と闘ったり、そういうのはダメなのである。日曜の夜はコンビニで月曜発売のヤンマガで「赤灯えれじい」(きらたかし著)が読めなければダメなのである。「さすらいの野宿ライダー」に絶大な影響は受けたが、この本は影響受ける前に“悪夢”にうなされた訳だから、やっぱり都人(一応、京都のしかも今の京都より古い都出身)でシティーボーイ(すでに京都にいた期間より東京にいる期間の方が長い)な自分には、ちょっと真似できなさそうである。
 最後の方に出てくる、飼ってた犬が死んで火葬する話しや、ネコが失踪していなくなったり、子猫拾ってくる話しは、犬猫飼った事ある人なら泣ける話だ。寺崎さんは、もしかしたらペット本も書けるんじゃないだろうかとさえ思った。もっとも、ネコに牛乳やるのはよくない、という前カノの主張と反するのだが。。
 今、田舎暮らしや就農とかが密かなブームっぽいのに、この本がその種の本を扱うコーナーに置いてないのは、いささかおかしいんじゃないか、と思えるほどの力作でありました。





搾取される若者たち?

 阿部真大の『搾取される若者達ーバイク便ライダーは見た!』(集英社親書)を買ったのはちょっと前の事なのだが、最近流行の格差社会本の中では異色ともいえる「バイク便」の世界を題材のしていたので興味を引いたのだ。というか、実はあまりに収入が悪いので、バイク便のバイトでもやろうかなーと思ってた矢先にこの本を見つけたのだ。読んだ結果、「やっぱりやーめた」と思わせたのが、この本の第一の功績である。
 ただ、この本を読んだ感想としては、この本の帯に書かれている「広がる不安定雇用と新たな搾取の実態」というところまでは、バイク便の世界を描き切れてないんじゃないか、と思った。というか、バイク便の世界ってのは、「働けども貧しい」という様な世界なのだろうか(これはバイク便が食える商売で彼女の親に結婚申し込んでもNoと言われない、という意味でなくて、いわゆるワーキングプアというところまで行ってる風に描ききられていないという意味)。この本を見る限りはそうは見えないのである。自分の様に、クビ切られて3年も闘って、僅かな解決金で職場復帰もならず、手に職がありながら歳食ってるせいで再就職もままならず、で、結局バイク便の世界に流れた、という様な話しであれば、再出発不能の格差社会のある部分を描いた本になったかもしれない。しかしこの本は、バイク便の世界と文化、そこにいる人達の特徴を描いた本であって、バイク便という仕事が搾取構造になっているところまでは描けてない。どっちかというと、好きな人が好きな仕事をしている、という風にしか見えないのだ。
 ただ、この本の本当の狙いは、好きな仕事に没頭するワーカホリックとそれを非人間的に利用する経営=資本家の関係において、労働者がすり潰されていく恐怖と現実を描いているし、それらはホワイトカラー・エグゼンプションや過労死といった、格差社会のもう一つの特徴の部分の性質である。この本は、バイク便の世界を題材に、もともと好きだった仕事が次第に責め具になるさまを描き、その陥穽に陥らぬよう警告を発しているのだ。面白いな、と思ったのは、多くの格差本が格差をまるで自然現象のように、「やむを得ぬもの、その流れの中でどう生きるか」というテーマで書かれているのに対して、この本では最後に労働組合の存在を示し、団結こそが状況打開の手段である事を示唆している。
 この本は、そうした社会学の側面もさる事ながら、バイク便の世界のでバイクやバイクの乗り方の「格好良さ」の基準も紹介されていて、とても楽しかった。実際、自分もXRに乗っている訳だが、確かにカウル付きのオンロードバイクよりもすり抜けはしやすいのである(笑)





オフロードバイク・完璧メンテナンス

1e54b9b0d4e40ece38406c47cc87e2f1

 新しい事をやる時は、まず本から入るのは、写真も単車も同じであるが、整備の本まで読もうとしたのは今回が初めてである。
 前にも書いたが、自分はすごいメカ音痴なところがあって、点検や整備はともかく、修理は苦手である。大体、元通りにならない場合が多くて、壊してしまう事が多い。自分なりに慎重にやっているつもりだし、部品を無くしたり、部品が余ったりする訳ではないのだが、元通りに動かなかったり、そもそも組み立てられなかったりで、そんな事が多いもんだから、高価で複雑な機械は怖くていじれない。ましてや、バイクはかなり高いし、壊れたらシャレならん訳で、ブロスの時もせいぜい洗車とチェーンの手入れくらいで、あとは全部バイク屋任せだった。
 そんなゼントラーディー人みたいな自分が、バイクの整備の本を買って勉強する気になったのは、山の中でパンクしたりエンジンが動かなくなったりしたら、自分で何とかしなければならないからだ。オンロードの場合は、どんな所で止まっても、バイク屋でもJAFでも連絡さえつけば呼べるが、ヤヤコシイ山の中では、ともかく麓までは持って行かない事にはどうにもならん。だから、パワーアップの為にエンジンバラバラにしたりとか、消耗したブレーキやクラッチの部品を交換したり、といった事ではなくて、パンク修理をとにかく出来る様になっておきたいのである。
 で、まぁ、この本を読んでみた感想だが、写真が多くて解りやすく、「オレでもタペット調整とか出来るかも〜」と思わせてくれる良い本である。転倒したあとの注意点とかも載っていて、結構勉強になった。
 早速実践したいところなのだが、工具買う金がないので、いつの事になるやら……。





戦争廃墟

2487b3107ed338906dee050a74178e0e

 昨日、会議までの待ち時間に神田神保町の書店街をプラプラしていて、見つけたのがこの本。ミリオタならぬミリオン出版から出された本で、言うまでもなくミリタリーコーナーに置いてあった。
 最近、廃墟ブームとかで、廃墟探検を扱ったサイトを幾つか見かけた事があるし、長野県の松代大本営跡を代表とする様な戦争遺跡という言葉も見掛ける機会が多い。この本はそのどちらのカテゴリーにも入る本だが、特筆すべきは「写真集」だという事だ。プロの写真家が撮ったからと言えばそれまでだが、本来まがまがしいはずの廃墟や遺物が、とても美しく写っているのだ。それは人為である戦争を賛美する意味でなく、情景として、物体として美しい、と言う意味である。人間が介在しないからこその美しさかもしれない。そこで不安と緊張の面持ちで待機する人間が、あるいは撃ち砕かれぐずれた人間が、もしくは物珍しい物を前に笑顔でピースサインしている人間が、一緒に写り込んでいたら、まず決して美しくはないだろうと思う。
 この本には、元特攻隊員の(見る人が見れば)特攻賛美と後世批判とも取れるインタビューが載せられている。しかし、これはこの本のサブタイトルに「昨日の事は昨日の眼で見よ」とある様に、極めて重要な事である。後世の我々は後知恵でいくらでも過去の戦争を批判する事が出来る。しかし、当事、その兵器や陣地を作り、それを使う人々がどの様な気持ちを持っていたかを知らなければ、かつての戦争に迫る事も出来なければ、理解を深める事も、反省する事も出来ないだろう。著者の石本馨氏があとがきで書いた様に、撮影現場に「誰か」を感じられたのは、まさに昨日の眼でファインダーを覗いたからである。





ナチュラル・ツーリング

ffec200fea8a54bb3306c5e887d88f6b

 実はつい最近はまで、寺崎さんの本は「さすらいの野宿ライダー」と「どこだって野宿ライダー」くらいしかない、と思っていたのだ。この本は1986年から1988年まで月刊「OUTRIDER」に連載された記事を単行本化したものとの事。「OUTRIDER」という雑誌は、昔も何度か本屋で見かけた事があるが、最近の誌面では、この本の様な泥臭いイメージが全然ない。何でも一度廃刊になって、その後、出版社を変えて再刊されたとの事である。
 読んでみての感想は、とにかく寺崎節が炸裂していて面白い。抱腹絶倒と言っても過言じゃない。大体紀行本というのは、行く先々で見たり聞いたり知り合ったり触れ合ったものの感動をしたためた物が多いのだが、この本は、とにかく食いまくり、飲みまくり、エライ目に遭い、入った店はロクなもんじゃない、というドタバタに徹している。まぁ、マジやばかった事も無かった訳ではないだろうが、寺崎さんが書くとおもしろ可笑しくなってしまう。それでも寺崎さん一人だったら、ここまで面白くは書けない(書かない)んじゃないかと思う。写真家の太田潤さんが相方でいたから、お互いを茶化して書けて面白くなったんじゃないだろうか。自分もそうなのであるが、一人でミリタリーイベントに行っても、ささっと見て回るだけでロクに買い物しないのであるが、5月におっ死んだO君がいたりすると、ギャーギャー騒ぎながらアレもコレも買ってしまう(というか買わされる)事が多かったものである。
 技術的な意味で面白いな、と感じたのは、この本では様々なバイクが使われているという事である。もっぱらオフロードバイクなのであるが、時たまアメリカンだったり、ヨーロピアンツアラーだったりする事がある。まぁ雑誌の連載記事な訳だから、色んな車種を試み、様々な読者に対応する必要があったのであろう。また同時に、自分みたいに「竹馬みたいなバイクなんか乗れるか」と思っているオンロード野郎でも、林道野宿は出来るんだよ、という事を示す大事な役割を果たしたんじゃないだろうか。また、言うまでもなく、野宿可能な林道を紹介するガイドブックの役割も持っていたに他ならない。インターネットなぞなかった世の中だったのだから、この種の情報は貴重であったに違いない。
 惜しむらくは、自分はこの本を当時は読んでなかった。まぁ、勉強不足であった訳だ。今でこそネットであれこれ調べられる時代であるが、そういうのがなく、しかもこうした本の存在もしらない、という事になれば、自分一人だけで単調なバイクライフを送る他なかった訳であるから、そりゃ詰まらなかっただろうなぁ、と思い返す訳である。





バックパッキング教書

72aa20b21c3be88bec7e408634a0f07e

 ブロスというオンロードバイクに乗ってたのが悪いのか、野宿地探す才覚がなかったのか(確実に後者に帰因)、とにかく野宿ライダーになりそびれた後に知ったのがこの本。なるほど、歩きならパンクや故障の心配もなく、どこでも入り込めると考えた訳だ。
 「教書」というだけあって、内容は前半がアメリカ人イラストレーターによるマニュアル、後半が日本人による解説になっている。刊行された1982年にあっては画期的だったのは、マニュアル部が漫画(かなりアメリカ〜ンな絵柄だが)になっている事だ。バックパッキングは元々は平原を主とするアメリカの自然から生まれた関係で、山だらけ街だらけの日本の国情には合わない部分がある、と言われる訳だが、この本ではまずは前半でアメリカ本場のバックパッキングのあり方をマンガで解りやすく紹介し、後半で日本の国情に合った実践の仕方を紹介している。つまり、直輸入だったバックパッキングをジャパンテイストに変換しようと試みているのがこの本だと思う訳だ。
 この本が偉大なのは、ただ単にノウハウを語っているだけに止まらず、「思想」も語っている事だ。「バックパッキングとは、何を持っていかという策略である」「荷物は軽く少なく、だが快適さや安全は退廃というこではない」こうした箴言は時代を超えて共通するテーマであり続けると思う。
 この本を手にしたのは、確か1995年ころである。紹介されているアイテムの多くはモデルチェンジしているか製造終了していて、その意味では時代を感じさせられた。でも、今でも本屋で売られている事からも判る様に、普遍的な思想の部分は古くなるどころか、アウトドアやバックパッキングという言葉が社会に浸透し、元々の意味や意義がよく判らなくなっている今だからこそ、かえって新鮮さを増している様な気がする。





新野宿ライダー

451b17c57b5fd2f69fac14ca381da428

 この本を7月に初めて見た時は、「さすらいの〜」に比べると魅力が低い感じがしたので、買おうとは思わなかったのだが、寺崎さんの本はあまり本屋にないので買っておいた。
 この本は一応、「さすらいの野宿ライダー」の改訂新版という位置付けらしく、旧版になる「さすらいの〜」は廃版になったらしい。
 大きな違いは、前作はイラストが中心だったのに対して、新作では写真が中心な事。よりノウハウ色が強くなって、カタログやレシピ集の様に見える事。やってる事の内容に格段の変化があるのではないが、雰囲気がガラリと変わった風に感じるのは自分だけだろうか。この本が刊行されたのは1997年。刊行されて9年経ってから読んだという意味で、「さすらいの〜」と同じなのだが、前作と違い古さを感じるのは、写真が多用され、紹介されているアイテムのかなりが生産終了して売ってないからだろうか。
 ただ、写真になってかえって分かり易くなった部分もあって、特にバイクの整備の部分では、パンク修理に5ページを費やす力の入りようで、パンク修理などした事がない自分にとっては有り難かった。だからハウトゥ本として見れば、完成度の高い内容だと思う。前作がどちらかというと、野宿ライダーのスピリッツの様なものを感じたのに対して、新作の方ではテクニックとか技術というものを強く感じた。
 なによりも違いを感じるのは、前作はおもしろ可笑しい感じだったのが、新作では真面目というか、やや暗い感じになった事。「さすらいの〜」の時は寺崎さんは27歳、「新野宿〜」では42歳。やはり年齢を重ねられて、人生の酸いも甘いも噛み分けられた、という事であろうか。自分も友人を亡くしているので、何となく判る気がするのだ。





さすらいの野宿ライダー

8007924b304e62fa8d15dbad5ab2d4c4

 この本、1983年に刊行されたというのは、つい最近まで知らなかった。自分がこの本を買ったのは1992年ころだったが、9年も前に刊行された本だとは思わなかった。まぁ、本に載っている装備がその当時も売っていたし、アウトドアやバイクの事に詳しくなかったせいもあるが、全然古さを感じなかったのだ。そして、古さを感じないという意味では、今でも同じである。この本のあとにも、似たようなノウハウ本を出されているが、この本を超えるものがない、と自分は思うのである。
 この本は全般的におもしろ可笑しいのであるが、何が面白いと言っても、野グソの事まで言及しているのはこの人だけである。大体、野宿する事自体がかなり難しく、また根性の要る事なのだが(自分は一度やろうとしてやりきれなかった)、野グソとなると相当の勇気を有する。しかも勇気だけでなく、野グソ地の選定、野グソの方法、隠蔽の徹底となると、これは秘儀と言って良い。それをイラスト入りで事細かに書いているのだから、感動ものである。
 その意味で、この本ではつまらない「飾り」は全然なくて、またそれが肩肘はらず読める魅力だと思う。野宿とは言えども一応はキャンプな訳だが、キャンプ本につきものの「家でも食わない様な豪華キャンプ料理」とは、この本はまったく無縁である。書いてある事は、「メシに塩かけてくたら美味い」というシンプルというか、いい加減というか、でも実際そんなもんだと納得できる事である。栄養が偏らないように、野菜ジュースでも飲んどけと書き加えてあるところがシブイではいないか。風呂に入らない最高記録とか、川の水で洗濯するとか、とにかく飾り気のないリアリティーがおもしろ可笑しく書いてある。説得力あるな、と今でも思うのだ。
 また、この本である意味ショックだったのは、寺崎勉という人は、写真で見る分にはかなりむさ苦しいというか、小汚いというか、そんな感じの身なりなのに、この本の所々には、すんごいポエミーな事が書いてあって、とてもこんな汚いおっさんが書いたとは思えないのである。人は見かけで判断してはいけないのだが、そのギャップがいまだに信じられない。でも、そうした文才が、寺崎さんの魅力というか、バイクとペンで食っていける能力なんだろうな、と思う。
 寺崎勉さんは、この本で林道野宿という新しい趣味を開拓し、オフロードバイクにオフトレール車としての使命を付け加えた。惜しむらくは、自分がこの本を始めて手にした時、乗っていたバイクはホンダ・ブロスというオンロードバイクで、しかも林道を走るといった事には全然興味がなかった。舗装路でツーリングしている分には、人里離れたところで野宿などはまず無理だったし、また川原など野宿出来そうなところを嗅ぎ分ける能力もなかったから、今にいたるもこの本の教えを実践していない。最近になって、やっとこオフロードバイクに乗ってみたくなり、この本を改めて読み直して、ウズウズしている体たらくなのだ。





どこだって野宿ライダー

48017501a4a8b9b93f1912d0f51b0801

 実はかなりの文章を書いたのだが、ネコが机の上に乗ってきて、降りる際にマウスを蹴飛ばしてくれたお陰で、どこでどうなったのか、書いた文章がどっか消えてしまった。そんな訳で、今書いているのは二度目である。

 この本を読んだのは、今から約10年ほど前。「さすらいの野宿ライダー」が面白かったので、続けて本屋で買ってきて読んだ。が、「さすらいの〜」がおもしろ可笑しい内容なのに対して、こちらはハード、壮絶な中身で、ところどころ神秘的でさえもあった。「とても真似できない」というのが読後の感想だった。その後、何度もこの本を読んだが、感想はいつも同じだ。何が真似できないと言っても、エンジンをバラバラにして組み立て直すなどという神業は、とてもじゃないがマスター出来ない。大体からして、直そうとして壊してしまう体たらくなのだ。だから、およそバイクであれエアガンであれ、道具らしき物は、ゼントラーディー人と同じで使い潰す他ないのである。
 寺崎さんの本には、とにかくパンク修理の話しが多い。だから、林道を走ると2〜3度はパンクするんじゃないかと思うし、そうなったら1度目で自分の場合はノックアウトである。もっとも、自分の今までの経験でバイクがパンクした事が一度もなかった訳ではない。むしろ、チューブタイヤのバイクではよくパンクしたのである。しかし、自分では修繕できず、バイク屋まで押すという苦行でカバーしていたのだ。それが林道はともかく、オーストラリアの荒野では、とてもじゃないがバイクを押すなんて事は無理っぽいし(1000kmも押せるか!)、JAFなんてのもなさそうだし、仮にあっても英語が喋れも聞き取りも出来ないのに、どうやって呼ぶんだ。となれば、ますます真似できっこないのである。
 しかしまぁ、なんでオーストラリアなんだろう、と思わなくもない。寺崎さんも、この本の冒頭で、理由を聞かれても適当な答えがない、と書いている。まぁ、1981年当時、政情が安定していて、我が国と友好的で、しかも自然がいっぱい、というのはオーストラリアくらいしかなかったのかもしれない。1A$が約250円だったそうである。今は約90円くらいだそうだが、単純に比較しても2.77倍。総経費が209万円だったそうだが、2.77倍してみれば580万円ほどになる訳で、やっぱり真似しようと思えない額である。立派なのかバカなのか、自分でさえもよく判らないくらいだ。この壮挙の時、寺崎さんは26歳。自分が26歳の時は、貯金が目減りするのがイヤで、友人たちがグァムに射撃ツアーに行くのに誘われたのを断っていた。今から思えば、3〜40万の金をケチって思い出作らなかった事をちょっと後悔しているのだが、ウン百万使って大旅行する人と、数十万の金を惜しんでピンチに備えようとする人間の、価値観や人生観の違いを見る思いである。





アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最新コメント
Archives
記事検索
  • ライブドアブログ