たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

映画

『移動都市/モータル・エンジン』

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 この映画はまったく何も知らなかったのだが、たまたまYoutubeで予告を見て惹き込まれた。巨大な都市が地上を疾駆すると言う絵面は、それだけで迫力がある。
 話しの中身は、昔の戦争で文明が崩壊して、生き残った人が縮小再生産の生活を送る中、悪い奴が昔の技術を復活させて世界を支配しようと目論むものの、主人公たちによってその技術もろとも滅ぼされる、と言う定番のもの。その意味で、この作品も目新しさは全然無い。そこで繰り広げられるドラマも、そのプロットの上に乗っかっている以上は、他の作品と大同小異である。
 この手の作品の大なる魅力は、やっぱり舞台装置なんだと改めて感じさせられた。この作品で言うなら、ロンドンを始めとする移動都市や空中都市、楯の壁といったものである。実はこの映画を観ながら、ずっと「この都市の動力や耐用年数、建造費はどんなんだろ」みたいな事を考えてた。その意味では、本作の前日譚の方が興味があると言っても良い。同じ様なことは「風の谷のナウシカ」でも感じてたりするのだ。
 しかし、あんな巨大な都市を動かすテクノロジーって凄いなと思う。そんな凄いテクノロジーがあるのに、都市同士が共食いする様な生き様しか出来ないと言うのが悲しい。量子兵器を復活させても、それを生産力に回すのでなく破壊力にしか回す能しか無いところが救い難い。ここまで荒んだ精神になってしまった経緯こそ知りたい、と思う訳である。
 この映画、そんなに評判が良く無いとの事だが、自分は結構楽しめた。と言うか、映画のストーリーを楽しむと言うより、その世界観をあれこれ考えるのが楽しい。おそらく、映画では描ききれなかった事が原作には書かれているのだろうから、一度読んでみたいものである。








『アリータ: バトル・エンジェル』

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 夫婦のどちらかが50歳だと、夫婦割で二人で2200円で映画が観れると言う。だから「早く50歳になってくださいヨォ〜」と言う不躾な嫁さんが観たがったのがこの映画。木城ゆきとの『銃夢』が原作のハリウッド映画なのだが、自分がまず感じたのは、随分と古い作品が映画化されたなぁ、と言う事。まぁ、古い作品が実写化される事は珍しく無いのだが、『銃夢』って、それが連載されてた当時としても、結構マイナーな印象だったので、「どしてまた?」と言うのが率直な気持ちだった。ついでに言うと、顔は女の子なのに首から下が機械と言うのがあまり好きになれず、掲載誌でチラっと見かけただけで、原作は全然読んでない。だから、純粋に映画の感想である。
 天界にセレブが住んでて下界のスラムに貧乏タレが住んでる、と言う世界観は、「エリジウム」なんかでも描かれているのだが、この作品では上の世界(この作品では空中都市ザレム)を希求するほど、それほど下界が嫌な感じには描かれていない。確かに弱肉強食の世界ではあるのだろうけど、それはそれでいいんじゃ無い?と言う感じに見える。現実の世界でも、南アフリカとか南米とかの貧富の激しい国にある世界観、都市感みたいな、それでもみんな生きている的な感じに見えて、そこまでザレム行きを希求するのは、なんか不自然な様な感じがした。ちなみに、原作読んだ嫁さん曰く、原作ではその辺りがちゃんと描かれてているらしい。
 モーターボールの場面は、スーパークロスやスーパーエンデューロ好きなアメリカっぽい感じが描かれてて、とても楽しめた。主人公のアリータが、初めて見たモーターボール(の遊び)に直感的に興味を持ち、飛び入りで参加してボコられても逆に発奮して、天性の才能でやり返し、最終的にはモーターボールのスター選手になるのは、現実にもモトクロスや格闘技に入っていく女の子がいる事からも、むしろ「こうやって入っていくんだろうな」と現実感のある印象を持った。ちなみに、アリータをゴミ捨て場から拾ってきて再生し、実質父親代わりになるイドが、アリータが初めてモーターボールの試合に出る時に「ヘルメットはつけろ、URMの技術は壊れたら直せない」と言うシーンは、とても親身に感じた。
 総じて楽しめる映画ではあったが、まぁ普通。脚本の問題なのかな、惹き込まれるものが少ない感じがした。3部作の1作目らしいが、2作目は作られるのかな。








考える映画〜塚本晋也版『野火』

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 考えさせる作品、というのはよくあるが、「考える作品」というのは、あまりない。昨日、渋谷のユーロスペースで塚本晋也監督の『野火』を見終わったあと、帰りの道すがら、この映画の意味を考えずにはいられなかった。
 自分は原作も読んでいるし、1959年の市川昆監督の『野火』も見ている。ついでに言えば、大岡昇平の「レイテ戦記」始め、様々な戦記や史料を読んでいて、一緒に鑑賞した人たちよりは多少知識があるつもりもしている。しかし、それでいて、この映画の意味を一から考えずにはいられなかった。
 そこで、一晩考えて得たそれなりの答えが、「これは現実、リアルなんだ」という事だった。『プライベート・ライアン』を観た時にも感じたが、いっそ、スクリーンから臭いも漂って来る様な設備があれば、もっと効果が高かったろうに、と思う。
 大岡昇平の「野火」は、戦争文学として最高峰の作品だと思う。戦争に神性を持ち込む作品は多くある訳だけど、この映画では、その辺りをバッサリ切ってしまった。塚本監督もその辺りを狙ったのだと思うが、自分が生きてる方が不思議なくらいの、食うか食われるかの状況では、神云々はもはや度外視されていたのだと思う。
 この映画を見終わったあと、率直に「この映画は「大作」ではない」と感じたのだが、それは作品がお粗末という意味ではない。この映画の目線が、徹底して従軍した一人の兵隊の目線で描かれていたからだ。どの戦争にも英雄譚はあるのだが、個々の兵隊とは無縁なものである。原作では、ストーリーに神性を持たせ、主人公にそれに触れさせる事で、ドラマ仕立てにした。文学なのだから当然の事である。しかし、個々人の体験には、そんなものはない。ただただ悲惨、しかし自分だけではなかったのだ。個々人の体験は、大作ドラマではない。
  その意味で、この映画は、70年前の戦争の話し、という感じでなく、現代の話しの様に感じた。これは非常に重要な事だと思うのだ。1970年代くらいまでの戦争映画や兵隊映画は、実際に戦争や軍隊に行った人が、演じ観る時代だった。それ故に、同時代人としての誤摩化しのなさや共感といったものが感じられた。後世の自分にとっては、当時の人の生の声を感じる事が出来る。ところが、戦中世代がどんどん死に絶えて行ってからは、そうした映画も段々と英雄性を持ち始め、今や神話にさえ化している。そうした作品によって培われた戦争観を打ち砕く意味が、この映画にはあるんじゃなかろうかと思う。
 この映画は、考える映画である。この映画に何を見出すか、そこから何を感じ、考えるか、各人、思いを馳せるべきである。





眠らないと痩せる

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 前々から気になっていた「マシニスト」が、昨日たまたま深夜放送でやっていた。職場の同僚の結婚式の仕切りで、どういう訳かエラく疲れてしまって、帰って早々に寝たまでは良かったが、中途半端な時間に目が覚めてしまい、そのお陰で見る事が出来た。
 この映画の主演をやったクリスチャン・ベールは、この役の為に1日ツナ缶1個とリンゴ1個の生活をやったそうで、かつこの映画の後に「バットマン・ビギンズ」の為に、約半年で86kgまで戻したという。そんなエピソードがあったので、前から気になっていたのだが、こういう激やせ激太りというのは、もちろん身体に良かろう訳がない。自分もこの4月に、サバ缶1個くらいしか食えない日があったのだが、あれは精神的に参ってたから出来た事であって、結果、5月辺りの自分の写真は痩せたというより、やつれた感じに写っていたりするのだ。
 さて、この映画の様に、1年眠れない(言い換えれば、寝ずに生きていける)状態とか、ツナ缶1個にリンゴ1個の生活をやれば、この主人公の様な身体になる事は不可能じゃないと思う。前の戦争で、餓死した兵隊と同じ様なものである。ただし、クリスチャン・ベールは痩せるだけでなく、演じなければならない訳だから、それだけのスタミナ、身体は残していたに違いない、と考えていた。この映画を見て、ある程度納得できたのは、脂肪やアウターマッスルはげっそり落ちているのであるが、インナーマッスルはしっかり残っている様に見えた。だからこそ、その後に短期間のトレーニングでマッチョになれたのだと思う。
 自分が今取り組んでる運動も、実は胆の部分はこのインナーマッスルを鍛える事である。特に腹は放っておけば弛む部位である。でも闇雲に腹筋運動やっても、弛みは取れない。そこでインナーマッスルを鍛えるトレーニングが必要となった訳だ。有り難い事に、その成果というか効果は出始めている様である。
 昔から「徹夜したら痩せる」とはよく言われているが、残念な事に自分は眠いとどこでも居眠りしてしまう癖があるので、こればっかりは自分の体験として体感した事がない。





『硫黄島からの手紙』

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 昨日、いつもメシ食わせて貰ってる地区労の人達と一緒に、『硫黄島からの手紙』を見てきた。労働組合の人たちの大半は、3度のメシより憲法9条が好きな人が多いので(憲法9条より好きなのは、酒と飲み会であろう)、あえてそんな人たちに、イスラム教徒に豚肉食わせるが如く、乾パンとかレーションとかを食わせてきた訳であるが、硫黄島二部作の一発目『父親たちの星条旗』が予想以上に良かったので、平和を愛好する皆さんに、是非ともこの映画をお見せしたかった訳だ。映画の中身については、これから色んな人が色んなところで評価するであろうから、敢えて自分は評価は述べない。一つだけいうなら、この映画は改憲派にとっては痛い一撃になると思うし、またこんな映画をアメリカ人が作ったというところに、海の向こうでは何かが変わりつつある事を予感する。
 とまぁ、そんなくそ真面目な事をココで書いても面白くないので、純粋にミリオタ的視点で感じた事を書いてみよう。まず、栗林中将が渡辺謙というのは男前過ぎ、逆にバロン西が伊原剛志というのはブサイク。主人公の西郷一等兵は、子持ちで上等兵にもタメ口きける古年次兵なのに、どうみてもガキにしか見えない二宮和也がやってるのはミスキャスト。加瀬亮扮する清水上等兵は、憲兵から歩兵に転科した時に、拳銃は返納している筈だから、戦地まで拳銃を持ってきているのはおかしい。バロン西が登場するシーンで、いきなり乗馬で出てくるが、果たしてタダでさえ漁船とかで物資輸送をせないかんかったのに、馬なんぞ連れてくる余裕があったのであろうか(今まで読んだ本の中で、そんな記述がなかったので、ちょっと疑問)。
 続いてさらにバロン西ネタだが、米軍上陸のシーンで、西中佐が戦車から砲撃指揮を執っているが、戦車はほとんどが分解されるか地中に埋めらるかして、トーチカとして使われた(つまり、剥き出しになってない)。
 擂鉢山陥落のシーンで、兵隊が次々に玉砕していく訳だが、手榴弾の爆発が早過ぎ。普通、5〜6秒の遅延雷管が付いている。時間の関係で爆発するまで悠長に待ってられなかったのは判るが、リアリティに欠ける上に、切迫感や破滅感が足りないと思う。
 やはりバロン西ネタなんだが、西中佐の洞窟の前にあった噴進砲は、どうみても九八式臼砲っぽいデザインだが、硫黄島に来ていた噴進砲は、四式の20センチ噴進砲と40センチ噴進砲で、どっちもデザインが全然違う。恐らく間違った資料を見たのだろう。また、噴進砲が活躍したのは、米軍上陸の第一夜だった。(でも、噴進砲を出したという事にちょっと感激)
 まぁ、こうした疑問点なりミスなりがあったからと言って、この映画の価値が下がる訳ではない。むしろ、日軍マニアにとっては失禁もの、護憲派にとっては「だからこそ憲法を守ろう!」と言える、右からも左からも、それそれの観点で受け入れる事の出来る映画なんではなかろうか。





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