たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

新型コロナウイルス

同情でなく感心する

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文春オンライン

 この記事を読んで正直に感じた事は、「なかなか利口な奴だ」という事だった。こんな奴がサービス業やってるのがちょっと不思議なくらいである。むしろ、自分の秘められた才能に目覚めたのか、あるいは副業レベルでやってるのが楽しいのか。どっちにしても、目鼻のきく男である。
 昔でいうなら「闇屋」というやつであろうが、社会も会社も自分を守ってくれない世の中で、自分を生かすためには何だってやらねばならないだろう。むしろそれが出来るかどうか、というのが問題である。立場が逆になった時、自分はこの男みたいに目鼻が効いた商売ができるかどうか、分からない。途方にくれたり、政府や自治体を頼ろうとするかもしれない。実際、会社を不当解雇された時は、労働組合を頼ったくらいである。
 この男に「正義感」などないのは、この記事を読めばわかる。正義感もない代わり、悪い事をしてるという感覚もない。不用品といえども職場の物を他所で売りさばくのは横領なのであるが、そんなのも御構い無しである。「経済を回してやってる」というのは、正義感などでなく、実際がそうだから、そう言ってるだけだろう。転売屋であれ闇屋であれ、需要と供給で成り立っている。転売屋を恨むなら、転売屋から買わなければ良いのであるし、転売屋を撲滅したいなら買う方も摘発すべきである。
 しかし、実際には、闇屋を非難しつつも、闇米を食わねば生きていけない、というのが品不足の世の常である。言ってみれば、転売屋に対する口撃は、単なる愚痴でしかない。
 このおっさんも、本業の方で蹴つまずいてなかったら(それも本人のせいとも思えないが)、こんな事もしてなかったかもしれない。その能力は目覚めないままか、あるいは違う方面で活用されてたかもしれない。その意味では、同情に値するのかもしれないが、やはり同情するより感心する方が先に立つ話しだった。





[コロナ自粛] カレーベント

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 コロナで自粛して様がコロナ関係なかろうが、外食というのは「気分」でやってしまうものなので、うっかりすると外食費がびっくりするほど増えてたりする。なので出来る限り外食は控える様に心がけて、3月は成功したのであるが、その後のコロナ自粛である。する事がないと口さみしくなるのか、先月は増えてしまった。結局、活動自粛しても収支はトントンである。
 とはいえ、工事の人が来るからと、昨日6時間、家の掃除やってた嫁さんに、何にも給与しないというのでは具合が悪い。何が食いたいか聞いたところ、佐倉のベイシアの向かいにあるインド料理屋に行きたいという。何かというとインド料理屋に入りたがるのだが、まぁ、褒賞であるからにはダメともイヤとも言えないので、出向く事にした。
 この近所の外食店は、軒並み自粛で、テイクアウトのみになっている所が多い。この店もそうで、注文してから外で待って、受け取って帰る。何が食いたいか、嫁さんに注文させたら、結構良い値段になってびっくりしたのだが、ナンをチーズナンにして貰うだけで良かったのに、別個にチーズナンも入ってたりして、それで値が嵩んだのだ。駐車場にデカデカと出てた看板の「カレーベント」なら780円である。
 お味は、まぁ、お持ち帰りなので、温かいものは少々冷め、冷たいものは少々温まり、という具合で、店で出来たてのを食べる事を考えたら、ちょっと値引きな感じであるが、まぁ普通に美味しい。この手の店は、カレーの辛さはオーダー出来るところが多いが、お持ち帰りでは並な日本人の大抵が食べれる辛さにしてあるようだった。緊急事態宣言が解除されたら、今度は店で食べたいものである。
 嫁さん曰く、ラッシーが猛烈に甘い、という事だったが、おそらく辛いのを食った時対応の甘さなのと、少々温くなってたからかもしれない。冷たいものは甘みが低く感じられるので、結構甘みを強くしてある事が多い。そもそも、この店に行きたいと言い出したのは、学校給食がなくなって牛乳が余ってるのか、ラッシーの作り方がツイッターに流れてて、それを見て嫁さんがラッシーを作ったのだが、生臭くて嫌だと言ったところ、インド料理屋のと飲み比べてみろ、という流れがあったのである。自分はインド料理屋のラッシーの方が好きである。

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目標は上を、現状は下を

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(5/2(土) 12:16 Yahoo!ニュース)

 今日、ケーズデンキで浴室灯と流し元灯の工事の手続きを待っていた時、嫁さんが出し抜けに「もっと給付金出ないですかねぇ」と言い出した。何を贅沢言うとるのかとその理由を聞いて見たら、目の前に展示してあったマッサージチェアを指差して、これが欲しいという。お値段48万円。そこで一頻り、この度の給付金の意義を改めてレクチャーした。本質的に、今回の給付は、生活に困っている人を対象としているのであって、国民に贅沢をさせる為ではないのだ。
 その給付金を当て込んで、浴室灯と流し元灯の交換を行うのであるが、これだって見る人が見たら贅沢な事である。世の中には、すでに食うや食わずの人が出始めている。「災禍()()り、家業(を失いたる者」の為の給付金なのである。その人らから言わせれば、別に壊れた訳でも切れた訳でもない照明器具の取り替えなど、それこそ不急不要の贅沢に見えるだろう。
 自分が子供のころ、親からよく言われたのは、「お前はあれ買うてくれ、これ買うてくれと勝手な事ばっかり言うとるけど、親が頑張ってるさかいに今の暮らしが出来るんやで。これが戦争や倒産やらで仕事なくなったり、チャランポランな親で稼ぎが悪かったりしてみい。そんな事言うてられんのやで」という事だった。そして「目標は上みて高みを目指したらええねん。現状は下みてもっと大変な人がおると思ったらええねん」と言われたものである。
 といった様な話しを、どの様に嫁さんが聞いてたか。実は大体想像がつく。「話し長いのぉ、うっさいんじゃ、ボケ」くらいに思ってたに違いない。なぜなら、自分もそう思っていたからであるw しかし、今にして思うのは、その時はその様に思っていたが、この歳になって、「まことその通りである」と感じる。自分が頑張っているから、今の暮らし向きはどうにか維持できている。自分の努力程度でそれなりの暮らしが出来るのは、運の良さでもあり、恵まれていない人に比べたら、格段の幸運である。こうした気持ちの背景は、「感謝」なんだろうと自分は親の言葉を解釈している。





家計管理と家計観念

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(4/30(木) 9:01 現代ビジネス)

 似た様なテーマで先日、日記を書いたのだが、この記事で書かれている事のキモは、純粋に家計管理の問題である。というか、クレジットカードでの支払いの管理の問題である。視覚的な表現をすると、「財布の中の金が減らない支払い」をどう具体的に管理するかの問題だ。この記事を読むと、いかに管理出来てないかが伺い知れる。そしてそういう人が多いのだろう。
 自分がポイント目当てでクレジットカードを使う様になった時、「財布の中の金が減らない支払い」をどう管理するか、それを家計簿でどう表現するかが問題になった。クレジットカードの引き落としというのは、翌月とか翌々月とか、遅れてやってくるもので、しかも口座引き落としである。引き落とされた以上は補充していかねば残高は減っていき、最終的には引き落としが出来なくなる。つまり補充すれば良いのであるが、それを、いつ、どのタイミングで、どのくらいの額を、補充すれば良いのか。
 グダグダ書いても仕方ないので、結論を書けば、クレジットカードで支払ったのと同じ金額を、財布から抜いて別個にプールしておき、支払額のお知らせが来たら、それと同じ金額を口座に入れるのである。つまり、レジで支払ったのと同じ体で財布から抜いていく。カードで払おうが現金で払おうが、同じ様にしとけば良いのだ。帳簿のつけ方としては、「今持ってるお金」−「現金払い」−「カード払い」=「残高」という構造にすれば良いのである。

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 この記事にも書いてあるが、確かに外出自粛で減る支出もあれば増える支出もある。しかし、どっちも金使ってる事には変わりなく、その管理はコロナの有無に関わりなく、日常的な事なのだ。そもそもボーナスを返済に当て込んで、日常の通常会計をどんぶり勘定でやってる事自体、不健全な家計観念だと自分は思う。ついでに言うなら、自分の金の流れを視覚的に理解する必要を「理解してない」のである。
 先日、嫁さんを散々問い詰めたのも、実はこの点であった。「口座にお金あるから」とか「ボーナスで充当するから」と言った安心感で、収入や支出をしっかり把握しない、記帳し忘れる、そう言うのが積み重なり、気が付いたら「足りないかもしれない」と感じ始め、この記事の様な話しになる。家族の全員がこの記事の様なザルな頭であればまだ良いのかもしれないが、ウチみたいに金に細かい亭主が相手だとすると、キツい事も言われてしまう。気をつけたいところである。





本当に他人のためか?

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 前にも書いた様に、自分はマスク着けるのは嫌いである。マスク着けないと毒ガスを防げないとか、ドレスコードに引っかかるとか、そういうのでない限り、着けたくない。現に今でも滅多に着けない。故に、マスクがないからと言って、別に困っていない。1枚100円が闇相場だそうだが、必要ないから、そんな高い金だして買うのなんて、チャンチャラ可笑しい、というのが前回の話しである。
 時に思うのは、みんな、本当に他迷惑を防ぐために着けているのか、という事だ。医療関係者や商売うやってる人が着ける、というのは分かるが、ネコも杓子もマスク着けるという有様には、疑問符が湧く。そもそもそんなに品不足なら、着けてない人が半分以上いても良さそうなもんだが、みんな大抵は市販品を着けているから、不思議なもんである。みんな闇値のマスクを買ってるのか。
 他迷惑を防ぐため、いったいいつの間にそんなに高潔になったのか。自分はちょっと疑問だ。パチンコ屋に行くな、堤防で釣りすんな、モトクロスで怪我すんな、密集は避けろというのに公園やホームセンターは人だかり、挙句に、他県から来た、コロナに罹った疑いがある、そんなんで迫害したりもする。ちっとも高潔じゃないじゃないか。別にそうである事を自分は責めはしない。人間全員に正直に生きろといっても、どだい金槌を水に浮かす様なもんで無理である。だとしたら、どうしてマスクだけはきっちり着けようとするのか。
 マスクをしたら予防できると思っているのか、だとすると、それなりに意味は理解できる。そう信じているなら仕方ない。マスクしてないと白い目で見られる、それも理解できる。世の中から爪弾きにされたのでは生きにくい。しかし、それというのは、迷信や同調圧力ゆえの事であって、別に高潔な意識から発したものではないではないか。
 ぶっちゃけた話し、専門家たちもマスクの有効性については一貫した結論が出せてないらしい(→日常生活でのマスクの着用は、新型コロナウイルス対策にどこまで有効なのか? いまも賛否両論の科学者たち。やらんよりはやった方がいい、というレベルである。1枚100円の闇値のマスクを買ってまでやる事か?と自分はどうしても思えてならない。政府が布マスクの配布を始めたのも、国民衛生の観点からというより、国民が欲しがってるから与えた、といった面の方が強い様に思う。





給付金の皮算用

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 5月末から申し込みが始まるという新型コロナ給付金。批判もつどつど聞こえるが、世帯主が右代表で申請し受領する、という事で、使い道について嫁さんと相談した。どんな事に使っても世の中の経済を回す事になるが、どうせ使うなら家族共通の福祉に繋がるものに使った方が良い、と判断したのである。
 まずトランポの車検。これは毎年夏にあるのだが、本来は予算は一時金から出す事になっている。しかし、その一時金が今年は危ういと見て間違いない。トランポは本来はバイクの趣味用なのであるが、四街道に引っ越してからは、日常の足として使う機会が増えている。故に動かせなくなると、生活に支障を来す。この車検に10万円くらい消える。これで世帯給付の半分が消える。
 次に、風呂場の照明。蛍光灯の古いのだが、これが時たまチカチカする。いつ切れても不思議はないので、前々からLED化しようと思っていた。LED照明そのものはそれほど高いものではないが、ポン付とは行かないっぽいので工事を頼む必要がある。
 2番目に、換気扇の取り替え。これは嫁さんからの要求なのであるが、一応、動いてはいるものの、これも古いものだし、換気扇の油取りのガードも取ってつけた様なもので、しっかりとついてない。なのでちゃんとガードのある新しいのに替えて欲しいとの事。自分でもやれるかもしれないが、換気扇枠の清掃もあるだろうし、頼めるなら業者に頼もうかと。
 3番目に、玄関灯の人感センサー化。玄関の照明は、エレガントなのが付いているのだが、夜中に帰ってくると真っ暗けで鍵穴を探すのも難儀する。昔は留守の時は玄関灯を点けっぱなしにしてた様に思うが、今はそんな時代でもない。人感センサーにしとけば、帰って来たら明かりがついて鍵穴が探せるし、他人が来ても誰が来たかすぐ分かる。
 4番目に、インターホンのテレビドアホン化。これもどっちかというと、嫁さんの要求になると思うのだが、来た客が宅配便かその他かを確かめたいという。ちなみに今は室内子機は受話器で、かつ1階と2階に両方ある。この手の製品は、大抵は室内親機と玄関子機のセットなのだが、ウチは1〜2階両方に親機を付けたいので、その場合、値段とか工事はどうなるか。
 番号は優先順位なので、予算がオーバーした場合は、下から順番に切って行く事になる。それにしても、遊びに関わる部分での消費ではないから、面目は立つ。本当はTT-R125のサスのオーバーホールをやりたいところだが、これは嫁さんから難色を示されたので(とはいえ、乗るのは嫁さんなのであるが)、自分の金をやりくりして用立てるしかない。ともあれ、早いとこ給付して欲しいものである。





金は臭わない

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(2020年04月17日07時16分 時事ドットコムニュース)

 出すだの出さんだの、揺れ動くどころか、もはや朝令暮改もいいところになってきているのであるが、ともあれ貰えるなら有難い事である。理想を説くなら、そりゃ困ってる人に手厚く、比較的困ってない人は辛抱せい、というところであろうが、そんな悠長な事言ってる暇があったら、ともかく当座の金を、平等に配るのはそれほど悪いとは思えない。出るとなったらなったで、色々ごちゃごちゃ言う人も出てきている訳であるが、要らん人は受け取り拒否すれば良い。自分はどんな金だって、それが公衆便所から出てきた金だって、ありがたく頂戴する。金は臭わないのである。(この逸話はローマ皇帝ウェスパシアヌスを参照の事)
 問題は、使い道である。10万円といえども、人によって、価値も意義も使い道も異なるだろう。食うや食わずの人、支払いに困っている人、そうした人は、直ちに生きるために使う必要があるだろう。自分はそこまで逼迫してはないのだが、仕事激減のおり、今年の一時金はもはや当てにしない方が良さそうだし、となると年間計画の貯金が出来ないのは言うまでもなく、トランポの車検や、今年やろうとしてた家の軽工事の費用が危ない。TT-R125の前後サスのオーバーホールもした方が良さそうだが、嫁さんからは風呂場の風呂桶をデカいのにしてくれと言われている。そう言うのは、どうなるか。
 無論、将来の不安に備えて貯金するのも、判断の一つとしては有りであるが、この10万円と言うのは、やっぱり経済を回す為の費用だと思う。そもそも貯め込む事が出来る人は、お金使う用事のない人で、それこそ「そんな人に必要なのか」と言う反駁に正当性を与える事になる。ちなみに嫁さんに使い道を聞いてみたら、「食費に回します」との事。相当上等な物を食わせてくれるのかもしれないが、そんな事はあるまい。生活費はとりあえずこれからも渡すのであるから、迂回的に懐に入れると言う意味である。それではこの10万円給付の意義が損なわれるではないか、と突っ込んでおいた。
 元は自分らの税金と言えばそれまでだが、臨時で入る収入には違いない。しかも社会的に意義のある給付である。個人的な事に使うとしても、それが誰かしら世の中の人(出来れば身近な人)の為になる事に使いたい。ここは頭を絞るところである。





のほほんとしておれぬ

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(2020.4.16 17:40 dot.)

 先月の15日くらいは一体何をしていたかというと、WEX勝沼をキャンセルして富津岬に行っていた。外出自粛などまだ求められておらず、せいぜい人混みに行かなければ「感染しない」と考えていた時期である。実のところ、それほど深刻には考えていなかった。だから、この首相夫人のことをそれほど責め立てるのは酷なのかもしれない。
 しかし、うちの職場の仕事の状況はこんな風になっていた。

 1月:例年通り
 2月:半ばくらいからコロナ関係のキャンセルが入り始める
 3月:月初からいきなりキャンセル連発で稼働率が一桁%になる
 4月:緊急事態を受けてむしろ仕事を断る

 3月に入ると、まるっきり激減しているのである。それまでの稼働率が50%くらいだったのが、7%以下に落ち込んだのだ。新型コロナウイルスの国内感染者数が急増するのは3月27日頃なのだが、その3週間前には収益がガク減りどころでない落ち方をしているのである。おそらく、客商売をやっているところは、軒並みこんな感じになっているのではなかろうか。自分がのほほんとしてたのは、雇われてる側であったればこそで、経営者はみんな頭悩ませ始めてたのが、3月15日という訳だ。
 それまで何となく「仕事減ったなー」とは感じていたが、上司から帳簿を調べて視覚化する様に言われて初めて、「こらごっつい事なってんなー」と感じる事が出来た。自分が言いたいのは、首相夫人の呑気さを責める事ではなく、今後いつまで続くか分からない緊急事態において、自分の家計を経営者的な視点でみて、今後の想定をしなければならない、という事である。





自粛中の自習

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 新型コロナウイルスによって、仕事と買い物以外は外出自粛を求められているのであるが、バイクの練習も怪我した時の事を考えて、やっぱり自粛という事で、むしろ時間だけ持て余してる時に出来る事はないか、という事で、嫁さんのフォームチェックをやる様になった。これまで、ちょいちょいアドバイスはしてたのだが、「番いの法則」とかでロクすっぽ言う事聞かないし、別にまぁ、それはそれでも良いかと思ってたのだが、嫁さんの今のフォームが駆け出しの頃の自分にそっくりである事、その自分はベストテクスクールに通い始めて、1年半くらい経った後では、まるっきり別人の走りになっていた事などから、やっぱり正しい乗り方を教えてあげるのは、スポーツライディングを安全かつ楽しく行う上で必要、と考え直したからである。
 体術というのは、多分に感覚的な事が多くて、それが出来ている人にとっては当たり前過ぎる事でも、出来てない(というかそんな体の使い方するのを知らなかった)人にとっては、それは驚くべき事だったりする。自分がスクールに通い出した当初は、日常的な体の使い方とはまるで逆の体の使い方をするのに、驚きの連続だった。よく「股関節から体曲げる(上体を倒す)」というのが言われる事があるが、こんなのだって、普段の生活ではあまりやらない。ところが、自分はそれが感覚的に理解するのが早かったのは、サバゲー時代の仮想軍隊の礼式で、無帽時のいわゆる「お辞儀の敬礼」をやってたからだった。意外ところで昔の趣味が役立ったのである。ちなみに、今のバイクの趣味で、「あいつ、(体に)軸が出てるなぁ」と思ったら、自衛官だった、なんて話しもあった。やっぱり10度の敬礼をやってるのである。
 「あまり人に教えると下手になる」と昔から言われているのだが(ついでに言うと「下手くその教えたがり」とも言われた)、嫁さんに教えるくらいは罰が当たらないであろう。嫁さんも色んな人から、やれ前に乗れだのニーグリップしろだの言われて、ちょっと混乱している向きもあったが、まずはベストテクDVD見せて、理論から勉強してもらった。子供は感覚的に出来てしまうものだが、大人は頭で理解しない事には納得できない生き物なのである。本来は、フォームチェックの後、実際に走って確かめるのが良いのであるが、それが出来る様になるまで、しばらくはフォームチェックで自粛活動するつもりをしている。

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実はやれば出来る子





買う奴がアホ


 自分は子供の頃から、マスクするのとタイツ履くのが大の大嫌いである。マスクはともかく、タイツは幼稚園の制服の一部だったから、オカンに鉄拳食らわされるのが嫌で、しぶしぶ履いていた。幼稚園を卒園する時、これで二度とタイツを履かずに済むのが、何よりも嬉しかったのを覚えている。
 さて、マスクであるが、嫌いであるから付ける習慣はない。あんな息苦しいもん、一体どうして付けるのか。付けたら臭い匂いでもシャットアウトしてくれるのか。花粉がマシにでもなるのか。今次コロナ禍でも、マスクつけてても感染予防にはならないという。どうしてもコロナ除けをするなら、ガスマクスでも付けるより他ないだろう。
 マスクを付ける理由は、クシャミだの咳だの、飛沫を飛ばして他人に感染させない為だという。つまり、他迷惑を避けるために付けるのだそうだ。公衆衛生というより、公衆道徳の意味合いの方が強いのかな、と思う。そこまで他人様のことなど、普段は気にもしてないだろうに、こういう時はこぞってマスクしようと思うから、品薄にもなろうというもんだ。まぁ、付けたい人は付けたら良いとは思うが、無いもんを無理して付けたいと思うから、転売屋やこの手の連中を儲けさせるのである。
 はっきり言って、この手合いの連中は、目鼻の効く「賢い」連中である。普段なら500円程度のものを、その10倍で買ってくれる「アホ」がいるから、商売になるのである。よく考えてみよ。感染予防にもならない、自分が感染してるかも分からん、飛沫を飛ばしたらいかんから?だったらハンカチで口を押さえたらどうなんだ、あれやこれやと考えたら、別にマスクなくたって良いんじゃ無いか、と思えてくる。
 自分はマスクするのが嫌いだから、余計にこう考えるのであるが、1枚100円のマスクを買う人の考えを聞いてみたいものである。

doctor





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