たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

十二指腸

遠因たるもの

01
 大体、胃や十二指腸に潰瘍が出来て出血する、というのは、ストレスが原因である事が多いという。その意味で、今回の件も心当たりがある。一つは、仕事の担当が経理になって、分からなかったり、困ったり、イライラしたり、そういうのが積もり積もっていたのは事実である。もう一つは嫁はんがボンクラで、毎日、小学生相手に怒る様な事が続いていて、これがストレスになった事も間違いない。その他で思い当たる事があるとすると、睡眠の質が悪くなったというのがある。これは既に薄々感じていた事であり、対策も取る様になっていたが、睡眠が不十分でイライラする事が多かった。これもストレス源になっていたのは間違いない。
 ストレスのない世の中なんてのは、この世には存在しない。それが証拠に、退院したしりから、このザマである。
 もう、一体なんなんだと思う。血圧計と猫のエサは、まぁ自分のドジである。自分のドジでさえも腹が立つのに、嫁はんのドジまでこっちにおっ被せられたのでは、そりゃストレスフルになるのも至極である。怒ったところでどうにもならん事も多いし、むしろ関係を悪化させてしまい、余計良くない方向にいってしまう事もある。そう思って冷静になろうとすると、自分をどこかで押さえつけて、それがまたストレスになる、という感じなんだと思う。
 もう、どうあってもストレス溜まって、最終的にはこないだの様な感じになってしまうのなら、いっそそうなった方が良いのかもしれない。台風とか火山の噴火とか落雷とか、そういうのと同じで、蓄えられたエネルギーは、一気に放出されない訳にはいかない。そういうもんなのかもしれない。そうした爆発を避けつつ、負のエネルギーを放散させる、もしくは感じさせない様にするには、もうある種の薬物、脳の働きに作用する化学物質に頼る他ないのではないか。







かかりつけの内科にて

 入院中、上の血圧が70〜90代という事で、近所の内科から処方されていた降圧剤は止めていたのだが、今後どうするかについて、医療センターに書いてもらった紹介状を持って、近所の内科に相談に行ってきた。
 まず、血圧を計られたが、上が132になっていた。退院した時は105くらいだったのだ。計った看護師さんも、あれ〜?という感じ。昨日の今日にしては、嘘みたいに上がっているのである。続いて医者と相談したが、吐血で急激に血圧が下がったのだが、今後普段の生活に戻れば、また上がってくるでしょう。とのことだった。ただ、現状で130くらいなら、いきなり再開すると下がり過ぎてしまうかもしれないので、自分で計って140くらいなら飲まなくてもよし、150いくようなら再開しましょう、との事。ちなみに、尿酸値下げる薬は血圧関係ないので続けてください、との事だった。まぁ、この辺りは予想どおりである。
 続いて、今後、今回の様に黒いウンコが出た時、予防的に診てもらう事は出来るか聞いてみたが、これに関しては渋られた。というのも、そのクリニックは、文字通り「定期的に薬もらいに行く内科」みたいなところで、緊急の検査の装備もない事。紹介状書いて提携病院行くにしても、時間がかかる事。だったら、消化器内科のある病院に直接行った方が良い、という事だった。まぁ、もっともな事だとは思うが、今回みたいな兆候があった時、咄嗟に対処するのは、やっぱちょっと難しいんだな、という印象を持った。
 というのも、真っ黒なウンコ出ました、消化器内科行きました、といっても直ぐには診てもらったり検査して貰ったりというのは難しいんだろうし、後日検査しましょうとなっても、その晩に今回みたいに急変したら間に合わない訳で、結局のところ、倒れるか倒れないかはその時次第だし、倒れん事には抜本的な対策は取れそうにない。気をつけろ、早めに病院に行け、といわれても、所詮はこんなもんだなー、と思った。
 とりあえず、これまで自分で血圧計るのはズボラかましていたが、薬飲まないのなら、計る必要がある。という訳で、降圧剤を飲み始めた頃に買った血圧計を引っ張り出してきた。ところが、中の電池が液漏れしてて、それが原因かどうか知らんが、動かなくなっていた。まぁ、6年前に買ったやつなんで、壊れても不思議はないが、またまた出費である。

2020-11-26 16.49.10
この血圧計を買った時は、目眩で倒れたんだよな







減塩

 予めお断りしておく。自分はこれまで、「快気祝い」というのを上記の様に理解していたのだ。しかし、本当の意味は「入院や自宅療養をしていた人の病気がほぼ完治し、入院中にお見舞いに来てくれた人にお礼と報告を兼ねたお返しをすること」だという。なるほど、そういう事なのか。だったら「快気返し」とでもしてくれたら、意味がもっと分かり易かったろうに。
 まぁ、タクシー代2往復で2万近く使われて大打撃であった上に、入院費用もバカにならず、さらにこっちが「お祝い」せないかんというのは、往復ビンタもいいところであるが、それでも嫁はんがいなかったら、猫らは飢え死にし、自分も裸一貫で病院から出れもせず、非常に困った事になったのは事実である。お祝いならぬお礼はする必要があるであろう。という訳で、はま寿司に行きたい(平日1皿90円w)というので行ってきた。
 ところで、話しは朝起きた時に遡る。寝覚めにションベンをしたのであるが、入院時にしてたのと比べると、色も濃く臭いもきついのである。のであるもなにも、それが普段の状態で、むしろ入院中が薄かったのであるが、その理由は一発で分かった。病院の食事は、栄養士が管理してて、摂取する塩分も低めなのである。ところが退院して、普段通りの食生活になった途端、腎臓に強烈な負荷がかかったのであろう。食ってるもんの違いで、こうも違いがあるもんなんだ、というのを、今回の入院で初めて感じた。実は、これまでも何回か入院した事があるが、そこまで明確に感じなかったのである。
 さて、はま寿司である。いつもなら、たっぷり醤油を使うところなのだが、上の様な事があったので、あまり使わない様にした。使わない様にしたのだが、むしろその方が素材の味がしっかり分かる。自分はこれまで醤油の味で素材の味を損なってきたんじゃないか、という風にさえ思えるくらいだった。確かに、醤油つけた方が美味いのだが、なくても美味いのである。そもそも、不味いとか、味がないとか、そういうものではなかった、という訳だ。
 塩分というのは、美味しく感じる様に脳ができているそうで、美味しいものは多く取りたいのは人の常なので、ついつい多く摂ってしまい、塩分過多になってしまうそうだが、その一方で素材の味というものを忘れてる様な気もしてきた。という訳で、これからは塩だの醤油だのを「かけない」のでなく、「素材の味をまず味わってみる」という考え方で行こうと思う。

2020-11-26 16.29.56
「退院祝い」で嫁はん持ちになった1750gの焼き鳥缶







病院下番

2020-11-24 15.23.02
 そんなこんなで緊急入院となった。身ぐるみ剥がれて、文字通りの裸一貫で入院となったのだが、既婚者の有難いところで、職場への連絡、着替え等の入院装備の準備、猫の世話など、嫁はんを頼れたのが幸いであった。もっとも、自宅から比較的近いといえども、運ばれたのは八千代医療センターである。自分ならスクーターでも行き来できるが、嫁はんは運転だの車庫入れだの自信がないというし、電車の乗り方も分からん田舎者である。集中治療室で看護師さんから「何が分からないんですか」と小学生みたいな事言われてたのも、実は家と病院の行き来の事だったのだ。まぁ、緊急事態であるから、タクシーを使う事になった。
 その入院であるが、当初は2週間ほどと言われていたのだが、翌日、医師から言われたのは、内視鏡の結果、十二指腸からの出血は止まりかかっていて、また担ぎ込まれた時には治りかけというのも十二指腸には多いという事だった。胃の方はよく見てないのでよく分からないが、週明けにも改めて見ましょう、という事だった。
 食事は翌日の朝から出た。17年前に急性腹症(実質は胃炎)で運ばれた時は、3日間の絶食だったので意外だった。出た食事は3分粥の非常にライトなものだった。もっとも、この時点ではまだほとんど食欲がなかった。人体というのは不思議なもので、食ったら出る仕組みになっているらしく、食べ終わったあと急に催したのでトイレに駆け込んだ。真っ黒けの流動体が大量に出た。流しはしたが、細かい黒錆とも砂鉄ともつかぬものが便器の表面に残って、2〜3度流さねばならなかった。その黒錆の様なものは、血液中のヘモグロビン、つまり鉄分だそうで、細胞レベルの鉄錆を見た事になる。
 その後、3分粥が続いたのだが、大が出る気配がしばらくなかった。出たら看護師さんに見せる様に言われたのだが、見せろと言われるとなかなか出ないものである。体調の方は次第に良くなって行ったが、それでもデイルームに水を飲みに行くと、軽く息切れする感じだった。この時点での最高血圧は90くらいだった。
 息切れがしなくなったのは、最高血圧が100を超えてからである。その頃には食事は5分粥に上がっていて、食事の間は猛烈に腹が空く様になっていた。もっとも、3連休のど真ん中で医師の回診もなく、ただただ寝転がってiPhoneで動画見てる以外にする事がない。強制的に休養を取らされている格好である。
 食事の量が増えた事で、大も出る様になった。最初は黒みがかった緑色だったのが、次第に黒みがなくなり、どっちかというと緑っぽい色である。そして最後にはまったく黒くなくなった。そのせいかどうかは分からないが、結局、入院中の再度の胃カメラはなくなり、退院後、日を改めてという事になった。そして、もう退院しても良いという事で、25日の午前に退院した。
 思った以上のスピード退院だったので、結局あれはなんやったんや?という感じがするが、まぁ、このくらいで済んで良かったのだろうと思う。自分はしんどくなると直ぐ救急車呼ぶ質であるが、もしあの時、無理クリ頑張って家に帰ってたら、出血性ショック症状でもっと酷い事になっていたかもしれない。弱さというのも、時には身を守るものである。

2020-11-21 17.51.16
入院翌日の夕食
3分粥なんて、何年ぶりに食ったろ?

2020-11-22 17.49.02
3日目の夕食
5分粥という事で、おかずも形のある物に変化

2020-11-23 17.49.53
4日目の夕食
全粥というらしい。お腹一杯になるが直ぐ減る
天ぷらがうれしい

2020-11-24 18.00.02
5日目の夕食は麦飯が出た
カレイのサラサ煮というのは初めて食った
ひじきの中華サラダ風味も斬新だった








上部消化管出血

2020-11-19 23.12.37
汚らしいが敢えて掲載する
運ばれる直前に吐いた胃液


 その兆候があった、といえば、2ヶ月ほど前になるか、イカスミみたいに真っ黒なウンコをした事があった。初めての事で驚いてたのだが、その時、既に消化器科にかかれと言ってた人が何人かいたのであるが、翌日には元に戻っていたので、その時はあまり気にしてはいなかった。
 ところが、19日朝、またもや真っ黒けのウンコが出た。大量だったのはいつもの事なので気にしなかったが、墨汁みたいな色にだけは驚いた。今度も病院行けって声があったが、別にどっか具合が悪い訳でもないし、明日以降も続く様であれば考えるかなー、程度の考えで、そのまま仕事に行き、夕方までは普通に暮らしてた。違いがあるとしたら、ここ一週間ほど、駅から職場までの距離を歩くと軽く息切れしてて、太り過ぎと運動不足のせいだと思っていた。
 そして夕方、あまり食欲はなかったのだが(今考えたら、これが珍しい)、家から持ってきた飯を食って、その後から次第にしんどい感じになってきた。最初は、ちょっと体怠いなという感じだったのが、次第に早く帰って横になりたいなになり、退勤する2200時頃には胃と肩が結構怠い感じであった。いつもの電車を乗り過ごすと直通の快速を逃すので、早歩きで駅まで向かったが、これで相当疲れてしまい、乗り換えの錦糸町では立ってるのも辛く、立ち上がると立ちくらみする感じであった。快速には幸い座って乗れたのだが、その時点で、粗悪ウイスキーで悪酔いした様な気持ち悪さで、冷や汗も出始めていた。千葉に着いた頃には、吐き気、下腹の痛さで悶絶する様になり、嫁はんに駅までトランポで迎えに来てくれるよう連絡する。その頃には、もう座ってるのも苦痛だったが、それでもどうにか駅まで耐えて、トイレに駆け込み、ウンコしてる最中に、真っ黒なゲロをバシャっと吐いた。そして、トイレから出た後は、もう立ってられなかった。迎えに来た嫁はんが救急車呼ぶか聞いて来たので、即座に頼んで倒れてたのだが、またそこでも吐いてた。
 しばらくして救急車が着いたのだが、なんかこれまでに乗った時に比べると、なんか雰囲気が慌ただしい感じである。血圧が75だの77だの言っていたが、それは実は最高血圧の事だったらしい。自分では意識がはっきりしてるつもりだったのだが、救急隊員が耳元で大声で名前とか何か呼びかけてた。時間が0000時近かったせいか、夜間受け入れの病院がなかなかなかったみたいだが、しばらくして発車。ここから先は、された事しか覚えてなくて、言われた事はあまり覚えてない。
 病院に着いてから、着ぐるみ剥がされて、注射だのレントゲンだのされて、左の鼻の穴になんかチューブを喉まで差し込まれた。痛いのと気持ち悪いのとで、この時も吐いた様に思う。この鼻のチューブが大概痛いのと違和感で意識がちょっとはっきりしてきた。そこへ尿道カテーテルも入れるという。これも人生経験だと思って了解したが、これがかなり痛い上に、慣れるという割には全然慣れず、しかも永遠に続く残尿感で、これで意識がはっきりした。とにかくチンコが痛いのである。史上最悪の体験である。
 この後、集中治療室に送られ、そこで嫁はんが帰った後も、チンコの痛みと戦っていたのだが、どうにもこうにも我慢できないので、カテーテルを抜いてもらう事に。もっとも、抜いた後も痛みは続き、しかも大量に点滴してるので、2時間くらいで尿瓶を当てがって貰わねばならなかった。もっとも、今度は鼻のチューブが痛くておちおちとも寝てられず、それでもウトウトするのだが、その度にチューブが鼻の奥に刺さる感じで目が覚め、ほとんど眠れなかった。
 0900時過ぎ、担当医がやってきて、おそらく十二指腸から出血している様なので、胃カメラで検査するとなった。その頃は、眠気で意識が朦朧としてて、検査室に運ばれて、やっとこ鼻からチューブが抜かれて、苦い麻酔薬を飲まされて、マウスピース咬まされたところまでは覚えているが、そこから記憶がない。睡眠剤を入れるとか言ってたから、眠ってしまったらしい。
 目が覚めたら、病室だった。目が覚めたというか、看護師さんに起こされたんだったかな。嫁はんが荷物を持って来たとかで、サンダル出したり、iPhoneのケーブルをコンセントに挿したり、そんな事してた様な気がしたが、意識がまだはっきりしてなかった。その後、医師の説明も受けたが、はいはい返事するだけで、あまり頭に入ってなかった様に思う。

2020-11-20 02.50.22
集中治療室で嫁はんが撮影








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