飯盒
- 大きい釜とカマドを買う。
- ツーバーナーにする。
Armeyskiy kotelok(露:Армейский котелок)というのは、ロシア軍の飯盒の事で、直訳すると「陸軍のボウル」となる。ボウルというのは、あの半球の丸いやつを思い浮かべるのだけど、欧米では火に掛たりするボウルもあるのだろうか。ともあれ、ロシア軍は第二次大戦時のドイツ軍の飯盒を丸々コピーしたやつを使っているのである。(その経緯については、他のサイトでも紹介されているので省略)
いわゆる空豆形の飯盒という事で、形的には日本の飯盒とアルミースキー・カチェロクは共通してるのだけど、使ってる動画を見ていると、完全にソロクッカーとして機能している事が判る。大抵は、飯盒本体でお茶沸かしたりスープ作ったりし、蓋で卵やハム焼いて、パン食って、という流れである。主食であるパンを別個に持っているから、副食だけの心配をしたら済むからである。日本の飯盒は、主食と副食を現地で炊事する必要があったため、どうあっても飯盒2個で二人分、という使い方をしなければならず、ソロクッカーとしては大きい図体となった訳だ。(旧ドイツ軍の飯盒は、日本の飯盒よりも一回り小さい)
実をいうと、日本以外の国の空豆形の飯盒を、実際どんな風に使っているかは、今まであまり知らなかった。今回、たまたまロシアの飯盒をアウトドアで使っている人の動画を見つけて(これがいっぱいあるw)、食文化の違いで機能も大きく異なるんだなー、と感じたのだ。また、「飯盒=メシを炊く」という、日本独特の観念からも少し脱却して、たまにはデカイ黒パンとか持ってっても良いかなー、と感じた。なんか、宮崎駿のアニメに出てくる食い物的な美味そうさを感じたのだ。
明治三十六年五月、公大阪に下り給ひし時、家従を随へて其地の砲兵工廠を巡覧あり、楠瀬中将(幸彦、時に少将)其堤理として親しくご案内申上げたり。公は天主閣の址に登らせ給ひて、今昔の戚に堪えざる御様子なりしが、やがて工廠内に入られ、職工の作業を仔細に御覧あり、たまたま製作中なりしアルミニュームの飯盒を見て、種々堤理に問はせられければ、堤理は飯盒一個を取り上げて、其側に記せる下の線まで米を容れ、上の線まで水を充たして炊くことをも、精細に説明申上げたるに、公は其一個を所望されれ、帰京の後、居間の火鉢にて親しく炊き試み給ひしに、日頃の食事にも勝りて極めて美味なりければ、やがて堤理にアルミニュームは人体に害なりや否やを聞合されしに、そは軍隊にて用いて程もなく、精しき試験もなさざれば、害の有無は確証すること能わざるも、銀ならば無害を証すとありければ、公は銀塊を大阪に送り、堤理の指揮にて製作せしめたるが、程なく成りければ、公は喜びて、日々の食事を親しくそれにて炊かれしといふ。此時公は鄭重なる挨拶状に、御自筆の短冊を添へて堤理に贈られたり。(徳川慶喜公伝. 巻4 渋沢栄一著 第三十五章 逸事 日常生活)
「元大君なのに、もうっw」とツッコミを入れたくなるエピソードなのだが、この話しは、歴史マニアだけでなく、アルミニウム業界でも語られる話しの様である。しかし、同じ飯盒愛好家として、太字で示した部分は、非常に共感を持てる。自分だって、「たまたま」飯盒だったのであり、それで上手に炊けた飯は「極めて美味」だし、結果、毎日飯盒で飯を炊く様になった。
前回、飯盒は日用品であって、特段の意義も思い入れも実はない、という事を話ししたのだが、もし意義なり思い入れがあるとしたら、美味いご飯が炊けるから使っているのである。オカズも作れない訳ではないが、フライパンとか使った方が美味く出来る物に関しては、そちらを使っているのである。
しかし、飯盒で炊いたご飯が美味くなければ、そんなに積極的に使おうという感じにはならない。というのも、自分は野宿ライダーを目指そうとしてた20代始めの頃に、その教祖的ライダーの人の本に「弱火で炊く」と書いてあるのを20年近く墨守してきたのだが、その間、毎日飯盒で飯を炊こうと思うほど、美味い飯が炊けずに来た。最近になって、ようやくその誤りに気が付いて、美味い飯を炊ける様になって初めて、「日々の食事をそれにて炊く」様になったのだ。
してみると、慶喜公に飯盒の使い方を精細にご説明申し上げた楠瀬中将は、恐らく炊き方も精細にご説明申し上げたのだろう。結果、慶喜公は普段食べてるご飯よりも美味い飯を食べれただけでなく、「自分でも炊ける」様になったのだ。そりゃ、嬉しかっただろうと思う。慶喜公が火鉢に飯盒を掛けたのと、自分がベランダで飯盒使ってるのは、まったく同一の理由なのである。
にしたって、毎日でなくたって良いだろう、って話しもあると思う。まぁ、食事は毎日の事であるから、飯盒を使う立派な理由にはなるのだが、ただそれだけではない。上手く説明できないが、飯盒でご飯を炊いている10分そこらの時間は、他に何もしない(というか出来ない)、ただ飯盒とストーブの火だけを見てる時間である。ある種のリラクゼーション効果でもあるんじゃないかと思う。もっとも、これは自分が勝手に感じてるだけで、眉唾ものだと思ってもらって差し支えない。
ところで、こんだけ飯盒好きなんだから、自分も慶喜公にあかやって、銀製の飯盒が欲しくなった。で、色々調べてみたら、京都の清課堂という銀細工の工房が、銀製の飯盒を作った事を知った。一体値段は幾らするのか、清課堂さんに問い合わせてみたところ、丁寧なお返事が来た。
さて、お問い合わせ頂いた銀製飯盒についてお伝えいたします。
丸形の銀製飯盒
価格:40万円〜(税別)
納期:約50日
空豆型の兵式飯盒
価格110万円〜(税別)
納期:3ヶ月〜4ヶ月
工房の混み具合にもよりますが、
丸形に比べるとかなり手間がかかるため、お時間がかかります。
なお、価格が”〜”となっておりますのは、
サイズ・厚みによってお値段がかわるためです。
どうぞご検討のほどよろしくお願いいたします。
ごめんなさい、ちょっと手が出ませんwww 恐らく、飯盒で飯炊く以外の理由でアルツハイマーになると思うので、貧乏タレの自分はアルミニュームので良いです(汗)
清課堂さんのHPから拝借
慶喜公が作らせたのは、いわゆる空豆型の飯盒だったと思う
即ち飯盒は背嚢に着けてある時は何用に為すかといふと米櫃と弁当鉢の用を為し、弁当鉢としては二合分米櫃としては五合分を容れ、之で飯を炊くに当たっては先ず枡を代用し次に磨ぎ桶となり、それから釜となって飯を炊くので、飯が出来ると椀にもなり皿にもなり飯櫃になるので、尚又早代わりして鍋になって汁を作られると思うと、鉄瓶に化けて湯を沸かし、茶を煎じて茶釜となり急須となり、それかと思うと水を汲む桶ともなり酒を癇する徳利ともなり、其他頗る広く用いられるのであるが、陣中とはいえ此飯盒は如何にも多くの便益を為すではないか。(松本恒吉著『征露土産』)
上記は、日露戦争に従軍した軍人が、「飯盒って、色々使えて便利でした」と懐古した一文なのだけど、自分も誠に同感で、18歳の夏に上京して以来、一時の断続はありこそすれ、飯盒を切らした事がなかった。下の写真は、今、自分が自宅で使っている調理器具一式なのだけど、作れと言われたら、これで大抵の物は作ってしまう。まぁ、自分がやれる範囲なので、もちろん出来ない事もあると思うが、日々暮らしていく上で、まったく不便を感じた事がないのである。
飯盒みたいなもん使わないでも、もっと他にあるでしょう?とはよく言われる。実は自分も、大抵の鍋釜の類いは使って来たのである。片手の雪平鍋も、両手のホーロー鍋や文化鍋、中華鍋、長方形の卵焼き器、色々である。しかし、結局のところ、飯盒とフライパンとヤカンにボールに集約されていった。
たしかに、飯盒は色々な事に使えるが、完全にオールマイティという訳ではない。オカズを作るのはフライパンの方がやり易いし、卵とかソーセージ焼くのもフライパンの方が便利である。お茶の作りおきはヤカンの方が容量があってやり易いし、サラダ作ったりオカズの具材を切り分けて置いとくのはボールの方が便利である。それ故に、飯盒以外にも、こうした道具を揃えているのであって、飯盒を愛好しているからといって、何が何でも飯盒だけで暮らそうなどという、不便をかこつ気はサラサラないのだ。
じゃぁ、なぜ飯盒なのか。それは、フライパンを使うまでもないもの、ラーメンやパスタ、ソバなどを煮たり湯がいたりしたり、汁物作ったり、そうした鍋の役割を果たす他、フライパンで作った大量のオカズを入れて冷蔵庫で保管するフードコンテナの役割もある(これが極めて収まりが良い)。最近は、直火で炊いた飯があまりにも美味くて、炊飯器を使う気にならなくなったから、飯炊き用とオカズ用で飯盒を2つ運用する様になったくらいだ。
ここまで書いても、「どうして飯盒を日用品として使ってんだ?」と食い下がる向きがあるだろう。ぶっちゃけ、日用品だけに、大して意味も意義も感じずに使っているのだが、それは18歳からこの方、いつも飯盒があって、他の鍋釜と使い比べた結果、飯盒の方が使い易かったから、という他ない。狭い、限られたスペースしかない台所で、もっとも簡潔かつ効率的に使えたのが、飯盒だったという訳だ。これは、せいぜいキャンプや林間学校でしか使った事のない人や、軍装品だと思ってる人には、ちと理解できない感覚だと思う。
それでも、どうしても飯盒を使う意義を見出したい、という事であるならば、飯盒は本来は野外で使うものであり、かつ差し迫った状況で使われる物だった、という事を思い出せば良い。飯盒(特に兵式飯盒)は、震災の復旧時に役に立ってくれるものである。そうなった時に、普段から飯盒があり、飯盒を使っていれば、まごつかずに済む。まぁ、そんな場面にそうそう出くわすものではないが、最近流行のチャチなソロクッカーなんかよりも、遥かに役立ってくれるはずである。
と、まぁ、ここまで書いても、アンチな人はいると思う。別に飯盒使う事を強制するものではないし、不便に感じるなら使わなければよろしい。それが日用品の定義であると思う。
見方を変えれば、ハードコア路線の人からソフトプレイ路線の人まで、そこそこ満足できる内容である。まぁ、いきなりゲテモノ系が来てるのは、ショック商法みたいなところがあるのかもしれない。見本誌を送られて来た時は、「こんな人らの企画に対抗するとしたら、ヤシガニとかワニとか捕まえて海水で煮るか、ヤシの木倒して芯からデンプン取ってサクサク作るか、太平洋スープと称して海水飲むくらいしか対抗できない」と思っていたのだが、そもそもそういうガダルカナルやニューギニア戦線チックな事は他の人がやってるので、自分には求められてなかったわけだ。
今のアウトドア用品って、ホント良く出来てると思うのだが、出来が良いだけに、困ったり苦労する事もあまりなく、直ぐ慣れてしまって飽きてしまう傾向があるのかもしれない。便利さを追求していった結果、簡単になり過ぎて直ぐ飽きてしまう、って感じなのかも。そして、それに飽き足りない人が、あえて不便さや奇抜さを求めている時代なのかもしれない。フィールダーはそうした人向けの情報発信をしてるんだろうな、と思う。まぁ、考えてみれば、敢えて飯盒を使う必要はない訳だしね。もっとも、これを機会に飯盒を使う人がドッと増えるとも思えないのだが。(自分も別に虫食ったりしたいと思わないし)
ところで、この誌面を見ると、まるで自分一人で取材を受けた様な印象を持ってしまうが、この取材は第4回飯盒オフに来て貰った時のもので、実はもう一人居たのである。が、ばっさり切られて存在すら垣間みれない。まぁ、誌面の量の関係もあったろうし、他の企画も一人だけ出て来る構成になっているので、それに合わせる必要があったのだろう。
フィールダー取材でいたく反省して以来、2週間、朝も晩もベランダで色んな熱源を使って飯盒メシを炊き続けたのだけど、その結果、それまで自分がもっていた炊飯方法は、かなり間違っている事に気が付かされた。ついでに、火器に対する印象も変わらざるを得なかった。
最大の間違いは、蓋を取る事の意味だと思う。自分が炊飯中に蓋を取るのは、重湯が噴き出して煮こぼれ、ストーブや床を汚したり、クッカーの外側を汚すのが嫌だった。それ故に、ガソリンストーブみたいな、やたら火力の強い火器はあまり好まず、ガス、アルコールといった、弱火ができる、あるいはそもそも火力の弱い火器を良しとしてきた。結果として、時間をかけて、蓋取りながら、半煮えメシを作る事が多かった。特に屋外においてはである。芯飯なったり、パサ飯になる理由は、なかなか分らなかったのだ。
そこで今回、改めて飯の炊き方を色々調べた結果、噴き溢れる原因は、クッカーの容量に対して米や水の量が多過ぎないか(所謂、張り釜状態)という部分が重要である事が分った。飯盒に関していえば、水量線が付いているから問題ないが、アウトドア用のクッカーでは付いてない物が多く、ついつい欲張って2合分入れて、弱火でも蓋が持ち上がる状態を作ってた様だ。
蓋が持ち上がり噴き溢れるから、蓋と取って息吹きかけて、というのも間違いだった。最初の強火で沸騰させる際に、沸点に達すれば蓋は持ち上がる訳だが、そのタイミングで弱火に切り替える訳だ。そうすれば、それ以上はあまり噴き溢れてき来ない。この2週間で、ただの一度も重湯でストーブを汚した事がないのだ。4合の場合、火力が強いと若干噴くが、それでもベタベタになるほどではなかった。つまり、蓋は始終開ける必要はなかったのだ。
それでもまったく蓋を開けないか、といえばそうでもなくて、最後の重湯の状態を見る時にだけ開けている。今迄は、蒸らしの為に重湯が少し残った状態を良しとしていたが、これも間違い。重湯は完全に米に吸収させないと、ベタ飯の原因になった訳だ。
今回の実験で、一番驚いた事は、実のところ、火力の強力な火器の方が上手に飯が炊けるという事だった。具体的には、沸騰までの時間が短い方が、底までふっくら炊けた訳だ。沸騰までの時間は、アルコールストーブが約10〜12分、ガスストーブが約5〜7分、それに対してガソリンストーブは僅かに3.5分ほど。弱火も4.5分ほど。最初はあまりに短くて慌てたが(焦げてるんじゃないかと思った)、実はガソリンストーブが一番美味く炊けた。
となると、これまで軽さとか便利さだけを重視してきた火器のチョイスも、話しが変わって来た。アルコールでも飯は炊ける訳だが、美味さでいうなら、俄然ガソリンだった訳だ。まぁ、ガスでも火力は強いのだが、季節に左右されないとなると、ガソリンだな、という事になったのだ。
その様な具合で、今回の連続実験は、なかなか実入りの大きいものとなった。やはり、失敗は何とかの母である。
昨日、第4回飯盒オフにて、アウトドア雑誌フィールダーの取材を受けた。わざわざ飯盒の事で、しかも自分みたいな無名の者が、アウトドア雑誌の取材を受けるとうのは、光栄の極みなのであるが、個人的にはかなり残念な結果になった。
というのは、炊いた飯が不味いのである。普段ウチで炊いてるのは、それこそ人に出しても恥ずかしくないものを炊いているのだが、外ではなかなかそれが難しい。これは前からそうで、それもあってほとんど外では使っていなかったのだが、取材を受けるからには、それではお粗末すぎた。飯盒の取材に来られるくらいだから、飯盒の素晴らしさか何かを誌面で紹介されるのであろうが、いくら由来や使い方を説明しようとも、最後の最後に美味い飯が食えなければ本末転倒である。「飯盒は食器だ」と力説する向きもあるが、日本の一般的な認識では飯炊く道具であるし、その線にそって結果が出せなければ、取材対象としては不満足な結果になるのは、自分だけでなく取材された方も同様に感じられたはずである。
オーソリティたるもの、いつ如何なる状況にあっても上手に使いこなせなればならない。昔の兵隊みたいに、それしかないから仕方なしに使っていたとか、これまでの自分の様な自己満足で喜んでいるレベルでは、およそ多くの人から認めれはしない。まぁ、別に「〜〜であらねばならぬ」といった硬直した考え方をしなくても良いのであるが、やっぱり雑誌に載って多くの人に知らしめられるからには、それなりの結果を出したかった。
まずい飯になった理由のその一は、まず米を研いでなかった事である。手持ちの水が1リットルという制限下で取り組んだので研がずにやったのだが、まぁ、お客さんに出すなら研ぐか無洗米をしようすべきである(昔の兵隊だって、出来る限り米は研いだ)。第二は火力が弱かった事である。飯盒掛けを使用したが、固形燃料の位置から飯盒が高すぎたのだ。故に半煮えの状態で炊けてしまった。結果、パサパサの食味の悪い仕上がりになってしまったのだ。
別に焚き火でやった訳でもあるまいし、それで失敗するというのは、まだまだ熟達の域には達してないなー、と感じた一日だった。
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