たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

飯盒

舞鶴引揚記念館

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鬼気迫る黒パン分配シーン

 例年なら帰省は夏にやってるんだが、京都の夏はクソ暑いし、嫁さんの方にも行かなきゃならないんで、夏はちょっとでも涼しい嫁さんの方にして、京都はゴールデンウィーク前半に繰り上げる事にした。今回もトランポで夜通し走って帰省する事にしたので、現地に着いてからの行動の自由度が高い。そこで嫁さんにどこに行きたいか聞いたら、今回も「海が見たい」との事。京都で海といえば、丹後半島なのだが、ただ単に海を見ても詰まらんので、天橋立に行く事にした。
 ところが、あんなとこでも人出は多く、京都縦貫道は渋滞するし、着いたら着いたで最寄りの駐車場は全部満車。とてもじゃないが砂州に近づく事が出来ず、成相寺とか言うとこの高台から見下ろして終了。普通、駐車場というのは、一台いくらだと思うのだが、ここは一人500円だった。商魂たくましい事である。

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日本一 成相山パノラマ展望所
右の方に天橋立が写ってる


 さて、自分はここに来たら、是非行きたかった所があった。それは舞鶴引揚記念館である。舞鶴と言えば、海上自衛隊の軍港か、岸壁の母くらいしかイメージがない。しかも、自分が小学生の頃に護衛艦見に行った時は、引揚記念館などまだ無かった。話しだけは伝え聞いていたので、日本飯盒協会の会長としては、是非見てみたかったのだ。
 入場料は300円、のはずなのだが、財布をトランポに忘れて、気の弱い嫁さんに入場券買わせに行ったら、「400円ですと赤れんが博物館もご覧いただけます」と押し切られてしまった。
 それはともかく、入場料300円であるので、それほど大きな博物館ではないのだが、自分的には見応え充分。やっぱり現物を見るのは良いものである。ただ、若干不満があるとしたら、シベリア抑留での「民主化運動」の事はほとんど触れられておらず、わずかに日本しんぶんの展示があった程度。まぁ、諸々問題があってやれないんだろうな、と察しておいた。

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こじんまりとしたモダンな建物
駐車場は広くて、余裕持って停めれました

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ラーゲリの再現コーナー
気温も再現してくれたら、悲惨度がアップしたのに

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展示品の一角を占める「生きるのに必需」な品々


 大型連休2日目の舞鶴は、様々な催し物があった様で、軍港では艦艇の見学もやっていたし、赤レンガ倉庫ではトライアルのデモ走行もやっていたのだが、天橋立で余計に時間を取られたせいで、これらは見て回る事が出来ず、引揚記念館と抱き合わせで料金払った赤れんが博物館を最後に見学した。
 元は海軍の魚雷庫だった建物を活用した博物館なので、海軍関係の資料館かと思ったら、文字通りのレンガの博物館で、古今東西のレンガ(の遺物)が収集されていて、古代メソポタミアの粘土板(しかも小言書いてあるやつw)や、アウシュビッツのレンガまであったのには驚いた。
 まぁ、世の中には色んな興味を持っている人がいるし、その中にはレンガに興味持っている人もいるだろうから、そんな人には嬉しくて堪らないであろうが、あいにくレンガにはそれほどの興味がないので、ほほう、くらいにしか思わなかった。まぁ、引揚記念館で飯盒に興味示してたのが、自分くらいしかいなかったのと同じである。

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赤れんが博物館
門がちょっとアウシュヴィッツっぽい


 さて、引揚記念館で土産物を買ったのであるが、この土産物のラインナップに不満があった。バームクーヘンだのタルトだのクッキーだの、さらには海軍カレーだの、そうしたものでなく、どうしてロシアの黒パンとかスープの素など、シベリア抑留にちなんだ物を置かないのか。成城石井にだってあるのだから、置けない事はないだろうに。赤れんが博物館も同様で、レンガショートブレッドとか粘土板チョコなどおけば、面白がって買っていくのではなかろうか。舞鶴だからと言って、直接海軍に関係ない施設まで、海軍がらみの品物置く事はないのにと、ちょっと残念であった。黒パンとスープの素は、是非とも実現して欲しいものである。

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舞鶴引揚記念館で買ってきたお土産
引揚なんだから海軍はあまり関係ないだろうに

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全然関係ないけど、静岡のサービスエリアで売ってた
やきとりの巨大缶詰
こういうのには惹かれてしまうw






陸軍のボウル


 Armeyskiy kotelok(露:Армейский котелок)というのは、ロシア軍の飯盒の事で、直訳すると「陸軍のボウル」となる。ボウルというのは、あの半球の丸いやつを思い浮かべるのだけど、欧米では火に掛たりするボウルもあるのだろうか。ともあれ、ロシア軍は第二次大戦時のドイツ軍の飯盒を丸々コピーしたやつを使っているのである。(その経緯については、他のサイトでも紹介されているので省略)
 いわゆる空豆形の飯盒という事で、形的には日本の飯盒とアルミースキー・カチェロクは共通してるのだけど、使ってる動画を見ていると、完全にソロクッカーとして機能している事が判る。大抵は、飯盒本体でお茶沸かしたりスープ作ったりし、蓋で卵やハム焼いて、パン食って、という流れである。主食であるパンを別個に持っているから、副食だけの心配をしたら済むからである。日本の飯盒は、主食と副食を現地で炊事する必要があったため、どうあっても飯盒2個で二人分、という使い方をしなければならず、ソロクッカーとしては大きい図体となった訳だ。(旧ドイツ軍の飯盒は、日本の飯盒よりも一回り小さい)
 実をいうと、日本以外の国の空豆形の飯盒を、実際どんな風に使っているかは、今まであまり知らなかった。今回、たまたまロシアの飯盒をアウトドアで使っている人の動画を見つけて(これがいっぱいあるw)、食文化の違いで機能も大きく異なるんだなー、と感じたのだ。また、「飯盒=メシを炊く」という、日本独特の観念からも少し脱却して、たまにはデカイ黒パンとか持ってっても良いかなー、と感じた。なんか、宮崎駿のアニメに出てくる食い物的な美味そうさを感じたのだ。







飯盒に惹かれたワケ

 明治三十六年五月、公大阪に下り給ひし時、家従を随へて其地の砲兵工廠を巡覧あり、楠瀬中将(幸彦、時に少将)其堤理として親しくご案内申上げたり。公は天主閣の址に登らせ給ひて、今昔の戚に堪えざる御様子なりしが、やがて工廠内に入られ、職工の作業を仔細に御覧あり、たまたま製作中なりしアルミニュームの飯盒を見て、種々堤理に問はせられければ、堤理は飯盒一個を取り上げて、其側に記せる下の線まで米を容れ、上の線まで水を充たして炊くことをも、精細に説明申上げたるに、公は其一個を所望されれ、帰京の後、居間の火鉢にて親しく炊き試み給ひしに、日頃の食事にも勝りて極めて美味なりければ、やがて堤理にアルミニュームは人体に害なりや否やを聞合されしに、そは軍隊にて用いて程もなく、精しき試験もなさざれば、害の有無は確証すること能わざるも、銀ならば無害を証すとありければ、公は銀塊を大阪に送り、堤理の指揮にて製作せしめたるが、程なく成りければ、公は喜びて、日々の食事を親しくそれにて炊かれしといふ。此時公は鄭重なる挨拶状に、御自筆の短冊を添へて堤理に贈られたり。

(徳川慶喜公伝. 巻4 渋沢栄一著 第三十五章 逸事 日常生活)

  「元大君なのに、もうっw」とツッコミを入れたくなるエピソードなのだが、この話しは、歴史マニアだけでなく、アルミニウム業界でも語られる話しの様である。しかし、同じ飯盒愛好家として、太字で示した部分は、非常に共感を持てる。自分だって、「たまたま」飯盒だったのであり、それで上手に炊けた飯は「極めて美味」だし、結果、毎日飯盒で飯を炊く様になった。
 前回、飯盒は日用品であって、特段の意義も思い入れも実はない、という事を話ししたのだが、もし意義なり思い入れがあるとしたら、美味いご飯が炊けるから使っているのである。オカズも作れない訳ではないが、フライパンとか使った方が美味く出来る物に関しては、そちらを使っているのである。
 しかし、飯盒で炊いたご飯が美味くなければ、そんなに積極的に使おうという感じにはならない。というのも、自分は野宿ライダーを目指そうとしてた20代始めの頃に、その教祖的ライダーの人の本に「弱火で炊く」と書いてあるのを20年近く墨守してきたのだが、その間、毎日飯盒で飯を炊こうと思うほど、美味い飯が炊けずに来た。最近になって、ようやくその誤りに気が付いて、美味い飯を炊ける様になって初めて、「日々の食事をそれにて炊く」様になったのだ。
 してみると、慶喜公に飯盒の使い方を精細にご説明申し上げた楠瀬中将は、恐らく炊き方も精細にご説明申し上げたのだろう。結果、慶喜公は普段食べてるご飯よりも美味い飯を食べれただけでなく、「自分でも炊ける」様になったのだ。そりゃ、嬉しかっただろうと思う。慶喜公が火鉢に飯盒を掛けたのと、自分がベランダで飯盒使ってるのは、まったく同一の理由なのである。
 にしたって、毎日でなくたって良いだろう、って話しもあると思う。まぁ、食事は毎日の事であるから、飯盒を使う立派な理由にはなるのだが、ただそれだけではない。上手く説明できないが、飯盒でご飯を炊いている10分そこらの時間は、他に何もしない(というか出来ない)、ただ飯盒とストーブの火だけを見てる時間である。ある種のリラクゼーション効果でもあるんじゃないかと思う。もっとも、これは自分が勝手に感じてるだけで、眉唾ものだと思ってもらって差し支えない。

 ところで、こんだけ飯盒好きなんだから、自分も慶喜公にあかやって、銀製の飯盒が欲しくなった。で、色々調べてみたら、京都の清課堂という銀細工の工房が、銀製の飯盒を作った事を知った。一体値段は幾らするのか、清課堂さんに問い合わせてみたところ、丁寧なお返事が来た。

さて、お問い合わせ頂いた銀製飯盒についてお伝えいたします。
 
丸形の銀製飯盒
価格:40万円〜(税別)
納期:約50日
 
空豆型の兵式飯盒
価格110万円〜(税別)
納期:3ヶ月〜4ヶ月 
工房の混み具合にもよりますが、
丸形に比べるとかなり手間がかかるため、お時間がかかります。
 
なお、価格が”〜”となっておりますのは、
サイズ・厚みによってお値段がかわるためです。
 
どうぞご検討のほどよろしくお願いいたします。

 ごめんなさい、ちょっと手が出ませんwww 恐らく、飯盒で飯炊く以外の理由でアルツハイマーになると思うので、貧乏タレの自分はアルミニュームので良いです(汗)


清課堂さんのHPから拝借

慶喜公が作らせたのは、いわゆる空豆型の飯盒だったと思う

日用品たる飯盒

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 即ち飯盒は背嚢に着けてある時は何用に為すかといふと米櫃と弁当鉢の用を為し、弁当鉢としては二合分米櫃としては五合分を容れ、之で飯を炊くに当たっては先ず枡を代用し次に磨ぎ桶となり、それから釜となって飯を炊くので、飯が出来ると椀にもなり皿にもなり飯櫃になるので、尚又早代わりして鍋になって汁を作られると思うと、鉄瓶に化けて湯を沸かし、茶を煎じて茶釜となり急須となり、それかと思うと水を汲む桶ともなり酒を癇する徳利ともなり、其他頗る広く用いられるのであるが、陣中とはいえ此飯盒は如何にも多くの便益を為すではないか。(松本恒吉著『征露土産』)

 上記は、日露戦争に従軍した軍人が、「飯盒って、色々使えて便利でした」と懐古した一文なのだけど、自分も誠に同感で、18歳の夏に上京して以来、一時の断続はありこそすれ、飯盒を切らした事がなかった。下の写真は、今、自分が自宅で使っている調理器具一式なのだけど、作れと言われたら、これで大抵の物は作ってしまう。まぁ、自分がやれる範囲なので、もちろん出来ない事もあると思うが、日々暮らしていく上で、まったく不便を感じた事がないのである。
 飯盒みたいなもん使わないでも、もっと他にあるでしょう?とはよく言われる。実は自分も、大抵の鍋釜の類いは使って来たのである。片手の雪平鍋も、両手のホーロー鍋や文化鍋、中華鍋、長方形の卵焼き器、色々である。しかし、結局のところ、飯盒とフライパンとヤカンにボールに集約されていった。
 たしかに、飯盒は色々な事に使えるが、完全にオールマイティという訳ではない。オカズを作るのはフライパンの方がやり易いし、卵とかソーセージ焼くのもフライパンの方が便利である。お茶の作りおきはヤカンの方が容量があってやり易いし、サラダ作ったりオカズの具材を切り分けて置いとくのはボールの方が便利である。それ故に、飯盒以外にも、こうした道具を揃えているのであって、飯盒を愛好しているからといって、何が何でも飯盒だけで暮らそうなどという、不便をかこつ気はサラサラないのだ。
 じゃぁ、なぜ飯盒なのか。それは、フライパンを使うまでもないもの、ラーメンやパスタ、ソバなどを煮たり湯がいたりしたり、汁物作ったり、そうした鍋の役割を果たす他、フライパンで作った大量のオカズを入れて冷蔵庫で保管するフードコンテナの役割もある(これが極めて収まりが良い)。最近は、直火で炊いた飯があまりにも美味くて、炊飯器を使う気にならなくなったから、飯炊き用とオカズ用で飯盒を2つ運用する様になったくらいだ。
 ここまで書いても、「どうして飯盒を日用品として使ってんだ?」と食い下がる向きがあるだろう。ぶっちゃけ、日用品だけに、大して意味も意義も感じずに使っているのだが、それは18歳からこの方、いつも飯盒があって、他の鍋釜と使い比べた結果、飯盒の方が使い易かったから、という他ない。狭い、限られたスペースしかない台所で、もっとも簡潔かつ効率的に使えたのが、飯盒だったという訳だ。これは、せいぜいキャンプや林間学校でしか使った事のない人や、軍装品だと思ってる人には、ちと理解できない感覚だと思う。
 それでも、どうしても飯盒を使う意義を見出したい、という事であるならば、飯盒は本来は野外で使うものであり、かつ差し迫った状況で使われる物だった、という事を思い出せば良い。飯盒(特に兵式飯盒)は、震災の復旧時に役に立ってくれるものである。そうなった時に、普段から飯盒があり、飯盒を使っていれば、まごつかずに済む。まぁ、そんな場面にそうそう出くわすものではないが、最近流行のチャチなソロクッカーなんかよりも、遥かに役立ってくれるはずである。

 と、まぁ、ここまで書いても、アンチな人はいると思う。別に飯盒使う事を強制するものではないし、不便に感じるなら使わなければよろしい。それが日用品の定義であると思う。






フィールダーに載りました!

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 先日取材を受けたアウトドア雑誌、フィールダーに載りました。一応、アウトドア雑誌なんですけど、いきなり表紙は口で魚の皮剥いてるし、表紙開けたら、頭から蛇に食らいついてるし、何でか虫食う話しになってるし、携帯天幕で瀬降り作ってたりと、アウトドアというよりサバイバルとか自活自戦みたいな展開。どうみても自分が浮いてるというか、場違いというか、こんな雑誌がどうしてウチんとこに取材に来たんだろ?と改めて思う誌面構成。……なんだけど、自分のページ以降は、かなり文明臭のする記事に変わっていた。つまり、どうやら自分のページを境に、未開生活と文明社会がくっきり分かれる構成になっていた様である。よく練られた編集のされ方してるなー、と感心した。
 見方を変えれば、ハードコア路線の人からソフトプレイ路線の人まで、そこそこ満足できる内容である。まぁ、いきなりゲテモノ系が来てるのは、ショック商法みたいなところがあるのかもしれない。見本誌を送られて来た時は、「こんな人らの企画に対抗するとしたら、ヤシガニとかワニとか捕まえて海水で煮るか、ヤシの木倒して芯からデンプン取ってサクサク作るか、太平洋スープと称して海水飲むくらいしか対抗できない」と思っていたのだが、そもそもそういうガダルカナルやニューギニア戦線チックな事は他の人がやってるので、自分には求められてなかったわけだ。
 今のアウトドア用品って、ホント良く出来てると思うのだが、出来が良いだけに、困ったり苦労する事もあまりなく、直ぐ慣れてしまって飽きてしまう傾向があるのかもしれない。便利さを追求していった結果、簡単になり過ぎて直ぐ飽きてしまう、って感じなのかも。そして、それに飽き足りない人が、あえて不便さや奇抜さを求めている時代なのかもしれない。フィールダーはそうした人向けの情報発信をしてるんだろうな、と思う。まぁ、考えてみれば、敢えて飯盒を使う必要はない訳だしね。もっとも、これを機会に飯盒を使う人がドッと増えるとも思えないのだが。(自分も別に虫食ったりしたいと思わないし)
 ところで、この誌面を見ると、まるで自分一人で取材を受けた様な印象を持ってしまうが、この取材は第4回飯盒オフに来て貰った時のもので、実はもう一人、岡谷曹長殿が居たのである。が、ばっさり切られて存在すら垣間みれない。まぁ、誌面の量の関係もあったろうし、他の企画も一人だけ出て来る構成になっているので、それに合わせる必要があったのだろう。なので、ここで改めて参加してくれた岡谷曹長殿にお礼申し上げます。





体験と再評価


 フィールダー取材でいたく反省して以来、2週間、朝も晩もベランダで色んな熱源を使って飯盒メシを炊き続けたのだけど、その結果、それまで自分がもっていた炊飯方法は、かなり間違っている事に気が付かされた。ついでに、火器に対する印象も変わらざるを得なかった。
 最大の間違いは、蓋を取る事の意味だと思う。自分が炊飯中に蓋を取るのは、重湯が噴き出して煮こぼれ、ストーブや床を汚したり、クッカーの外側を汚すのが嫌だった。それ故に、ガソリンストーブみたいな、やたら火力の強い火器はあまり好まず、ガス、アルコールといった、弱火ができる、あるいはそもそも火力の弱い火器を良しとしてきた。結果として、時間をかけて、蓋取りながら、半煮えメシを作る事が多かった。特に屋外においてはである。芯飯なったり、パサ飯になる理由は、なかなか分らなかったのだ。
 そこで今回、改めて飯の炊き方を色々調べた結果、噴き溢れる原因は、クッカーの容量に対して米や水の量が多過ぎないか(所謂、張り釜状態)という部分が重要である事が分った。飯盒に関していえば、水量線が付いているから問題ないが、アウトドア用のクッカーでは付いてない物が多く、ついつい欲張って2合分入れて、弱火でも蓋が持ち上がる状態を作ってた様だ。
 蓋が持ち上がり噴き溢れるから、蓋と取って息吹きかけて、というのも間違いだった。最初の強火で沸騰させる際に、沸点に達すれば蓋は持ち上がる訳だが、そのタイミングで弱火に切り替える訳だ。そうすれば、それ以上はあまり噴き溢れてき来ない。この2週間で、ただの一度も重湯でストーブを汚した事がないのだ。4合の場合、火力が強いと若干噴くが、それでもベタベタになるほどではなかった。つまり、蓋は始終開ける必要はなかったのだ。
 それでもまったく蓋を開けないか、といえばそうでもなくて、最後の重湯の状態を見る時にだけ開けている。今迄は、蒸らしの為に重湯が少し残った状態を良しとしていたが、これも間違い。重湯は完全に米に吸収させないと、ベタ飯の原因になった訳だ。
 今回の実験で、一番驚いた事は、実のところ、火力の強力な火器の方が上手に飯が炊けるという事だった。具体的には、沸騰までの時間が短い方が、底までふっくら炊けた訳だ。沸騰までの時間は、アルコールストーブが約10〜12分、ガスストーブが約5〜7分、それに対してガソリンストーブは僅かに3.5分ほど。弱火も4.5分ほど。最初はあまりに短くて慌てたが(焦げてるんじゃないかと思った)、実はガソリンストーブが一番美味く炊けた。
 となると、これまで軽さとか便利さだけを重視してきた火器のチョイスも、話しが変わって来た。アルコールでも飯は炊ける訳だが、美味さでいうなら、俄然ガソリンだった訳だ。まぁ、ガスでも火力は強いのだが、季節に左右されないとなると、ガソリンだな、という事になったのだ。
 その様な具合で、今回の連続実験は、なかなか実入りの大きいものとなった。やはり、失敗は何とかの母である。







取材で猛省

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 昨日、第4回飯盒オフにて、アウトドア雑誌フィールダーの取材を受けた。わざわざ飯盒の事で、しかも自分みたいな無名の者が、アウトドア雑誌の取材を受けるとうのは、光栄の極みなのであるが、個人的にはかなり残念な結果になった。
 というのは、炊いた飯が不味いのである。普段ウチで炊いてるのは、それこそ人に出しても恥ずかしくないものを炊いているのだが、外ではなかなかそれが難しい。これは前からそうで、それもあってほとんど外では使っていなかったのだが、取材を受けるからには、それではお粗末すぎた。飯盒の取材に来られるくらいだから、飯盒の素晴らしさか何かを誌面で紹介されるのであろうが、いくら由来や使い方を説明しようとも、最後の最後に美味い飯が食えなければ本末転倒である。「飯盒は食器だ」と力説する向きもあるが、日本の一般的な認識では飯炊く道具であるし、その線にそって結果が出せなければ、取材対象としては不満足な結果になるのは、自分だけでなく取材された方も同様に感じられたはずである。
 オーソリティたるもの、いつ如何なる状況にあっても上手に使いこなせなればならない。昔の兵隊みたいに、それしかないから仕方なしに使っていたとか、これまでの自分の様な自己満足で喜んでいるレベルでは、およそ多くの人から認めれはしない。まぁ、別に「〜〜であらねばならぬ」といった硬直した考え方をしなくても良いのであるが、やっぱり雑誌に載って多くの人に知らしめられるからには、それなりの結果を出したかった。
 まずい飯になった理由のその一は、まず米を研いでなかった事である。手持ちの水が1リットルという制限下で取り組んだので研がずにやったのだが、まぁ、お客さんに出すなら研ぐか無洗米をしようすべきである(昔の兵隊だって、出来る限り米は研いだ)。第二は火力が弱かった事である。飯盒掛けを使用したが、固形燃料の位置から飯盒が高すぎたのだ。故に半煮えの状態で炊けてしまった。結果、パサパサの食味の悪い仕上がりになってしまったのだ。
 別に焚き火でやった訳でもあるまいし、それで失敗するというのは、まだまだ熟達の域には達してないなー、と感じた一日だった。






飯盒を塗り替える

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 今使っているキャプテンスタッグの飯盒は、2006年くらいから使っているもので、いい加減塗装があちこち剥げてきた。それはそれで風格があって好きなのだが、某所で飯盒オフの企画の一環で、日本陸軍風の飯盒に塗り替えよう!という話が盛り上がったので、チャレンジしてみる事にした。
 最初は、単純かつ簡単にスプレーで色を塗り替えたらいいや、くらいにしか考えてなかったのだが、問題はその色。今売られている飯盒は大抵は黒みがかった緑で、自衛隊や他の軍隊ではいわゆるオリーブドラブで塗られていて、これらの色はスプレーでも比較的入手しやすいのだが、旧陸軍のいわゆる「カーキ色」は実はズバコンの色がないという事に気がついたのだ。そもそもカーキと言っても、いろいろあって、メーカーによっても違ってて、一口に国防色チックな感じでないのである。
 そこへ持ってきて、見本となるべき旧陸軍の飯盒の色が、それこそバラバラといってよく、赤みがかった茶色から緑がかった黒っぽいのまで、千差万別なのである。一応は軍指定の色配合があったんだと思うけど、昔は顔料を漆で練って刷毛塗りしてたらしいので、そりゃ手作り感満載の出来映えで、かつ経年劣化や火にかけて熱して変色したってのもあるだろうから、そりゃもう、それっぽく塗ってあれば何でもOKという感じになった。
 さて、次の問題は、塗料屋の色見本があまり当てにならない、という事でった。画面では暗く見えてても実際来たらメッチャ明るかったとか、キャップの色目見て買って実際噴いたらエラい暗いんでおかしいと思ったら、缶に貼ってあった色見本はエラい暗かった、という具合で、当てにならないのである。結局、ライトカーキー、ブラウン、カーキーと順々に買っていったが、ライトカーキーは日本陸軍というよりドイツアフリカ軍団とかで使いそうなデザート色で、ブラウンはビターチョコレートの色、カーキーは薄赤紫入った茶色、という具合で、どれとしてピタっとくる物はなかった。
 そこで、ものは試しという事で、ブラウンとライトカーキーを薄く交互に噴いてみる事にした。具体的には、前の色を噴いたら直ちに次ぎの色を噴く、という具合で混在させる事にしたのだ。よくストリートアートとかでやってる手法である。すると、いい感じに日本陸軍の飯盒っぽい茶色になった。まぁ、出来ればちょっと緑がかってれば更に良かったが、この手の色のもあるから良しとした。
 本来は刷毛塗りなので、刷毛の筋があってもおかしくないところだが、この飯盒はスプレーの粒子が見える仕様である。まぁ3メートル離れたら分からないので良しとした。ちなみに、塗装した状態でストーブにのせても塗料が溶けたり燃えたりしないという事は、実験で証明済みである。火にかけて一発目はシンナー臭がするが、直ぐ消える。塗膜が剥げたりするが、それは買ってきた飯盒だって剥げるのでそういう仕様である。
 何にせよ、飯盒と言えば黒か濃緑といったイメージだったが、むしろ日本的にはこの色こそが飯盒の色なんだろうな、と改めて感じた。






スキルとしての飯盒炊飯

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 前はよくやっていたのだが、最近、また飯盒で飯を炊く様になった。というのも、今うちにある炊飯器が10年物で、どんなに水の量をきっちり計っても、ベタついた飯しか炊けなくなったからだ。おにぎりにすると、飯粒がくっついて文字通り、ライスボールになってしまう出来映えである。飯盒で炊いた方が圧倒的に美味いのだ。だから炊飯器は今や保温器に成り下がっている。
 東北関東大震災の前は、カセットガスのあまったガスをガスカートリッジに「つめかえ君」で移し替えたもので炊いていたのだが、震災の後は、ガスの温存の意味もあってガス台で炊く様になった。市場からガソリンやパンと一緒にカセットガスの類も姿を消したのも若干影響している。しかし、ガスが止まった訳でもないので、こうした温存策も(ひてはカセットガスなどの買い占めも)いささか滑稽じみている話しである。
 それはともかく、ガスを使って炊いた飯盒メシは、実に上手に炊ける事を再確認した。というのも、徹底的な弱火が出来るからだ。別にかまどで炊く様に、火をボーボー強くして炊く必要はないのである。弱火が一番、ふっくらと炊けて、かつ鍋底を焦げ付かさず、噴きこぼれも出さない炊き方である。その点でいうと、火力が弱いと言われるアルコールバーナーでさえ火力が強い部類なのだ。まぁ、屋外で無風状態を作るのが難しい状況では、一概にそうとうは決めつけられないのだが。
 今の人は、飯盒でメシ炊いたり出来るのだろうか? ガチ被災地でこうした事が出来るとは思えないが、スキルを身に付けて置いて損はないと思うのだが。






キャンティーンカップ再考

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 今までは米軍の1クォートキャンティーンを装備に含んでいたので、キャンティーンカップも当然付いてきたのだが、1月の海沢演習の結果、バイク用の即応装備からは1クォートキャンティーンを外して、エバニューの2リットルポリタンだけにする事にした。となると、キャンティーンカップも外れてしまうのだが、実はカップだけは装備したいのである。というのも、このカップは角型クッカーよりも深底なので、インスタントラーメン煮たりレトルトパック温めたりするのに便利だったし、取っ手が持ちやすい形でしっかりしてるので、湯飲みに使うにも便利だったからだ。角型クッカーは大小2つのクッカーから成っているのだが、一つはメシ炊き、もう一つは汁物担当なので、食後のお茶用にキャンティーンカップが活躍していたのである。
 まぁ、水筒は使わないまでも、カップだけなら装備したって構わないのであるが、ただ、カップだけ装備するってのはちょっと不経済な気もしないでもない。せっかくなら何かの容器も兼用させたいし、そうなれば袋なりカバーなりも用意したいところだ。ちなみに、純正のカバーは水筒のキャップが顔を出す構造になっているので(つまり、そこから物が出てしまう)不可である。まぁ、巾着袋か何かがいいだろうと思う。
 入れるとなると何が良いか。「さすらいの野宿ライダー」のイラストでは、なんとウイスキー入りのシグボトルと使い回しできるチューブ(どうやらインスタントコーヒーが入っているらしい)が書いてある。ちなみに自分は酒は飲まないし、コーヒーでなく紅茶なので、ちょっとそのまま真似る訳にはいかない。ちなみに、紅茶のティーバッグは武器ポーチにいくつか入れる事になっている。ただし、砂糖を入れる物がない。面倒くさくて砂糖なしで飲む事が多いのだが、やっぱり砂糖があった方がいいと思うし、あれは塩よりも多く使うから、それなりの量が必要である。
 前に調味料入れの研究をしていた時にとっておいたモランボンの焼き肉のタレの小さなペットボトルが残っていたので、入れてみたらイイ感じである。ついでにお茶のペットボトルも入れてみたら、あつらえたみたいにピッタリである。まぁ、入る物なら何でも良い訳だから、それこそお菓子とかでも構わない訳だ。むしろ、イイ感じに入る袋の方が大事、という事だろうか。







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