たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

感想文

星守る犬

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 この作品はたしか連載されている時に、一部だけ読んで(「一等星」の川村少年がコンビニで盗み食いするシーン)「最近、この手(育児放棄)の話し多いよなー」と思っただけで、その後忘れていた。たまたま古本屋で見つけて、手にとって立ち読みしたのが運の尽き。自分も滂沱の涙の一員になってしまった。映画化された、という話しも知ってはいたが、数多くある動物ものの映画だと思っていたのだが、まさかこんな話しだとは思わなかった。
 中身については多くの人が感想を述べているので、細々とした事は述べず、自分が感じた事だけ書くが、まず一つは「星守る犬」の「おとうさん」の執着のなさと、もう一つは「一等星」の少年「川村哲男」の生存力に驚いた。普通、全財産つまった財布が無くなったら大事で、盗った奴を探しまくると思うがそうもせず、それが決定的原因で「おとうさん」と犬のハッピーは死ぬ事になる。でも、その死んでしまう事自体にも執着がない。「川村哲男」は育児放棄されて、あまりの空腹にアチコチの店で盗みを働き(決まってコロネなのだが)、恩人の財布までも盗んで旅を続ける。当然の事ながら、盗みは犯罪であるし褒められた事ではないのだが、「どうにかして生きる」という強い意志(そんな風には描かれれていないが)を感じた。
 前者は何もかも失って最後は死ぬ話しだし、後者は生きんが為に手を汚す(しかも前者を死なす)話しであるにも関わらず、「救いがない話し」でないところが、この作品の救いなんだろうな、と思う。この作品で描かれている悲喜こもごもは、どんな人も大抵は経験してる事だし、あるいは経験する可能性のある事なので、自分を登場人物に投影しやすい。そして「救いのない話し」というのは、いつまでも自分の心の中に残っているのだけど、この作品を読む事でその思いが救われた気持ちになるんじゃないかな、という風に感じた。
 こんなに泣いたのは、3年前にくろすけが死んだ時以来である。泣かせる作品は良い作品である。





眠らないと痩せる

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 前々から気になっていた「マシニスト」が、昨日たまたま深夜放送でやっていた。職場の同僚の結婚式の仕切りで、どういう訳かエラく疲れてしまって、帰って早々に寝たまでは良かったが、中途半端な時間に目が覚めてしまい、そのお陰で見る事が出来た。
 この映画の主演をやったクリスチャン・ベールは、この役の為に1日ツナ缶1個とリンゴ1個の生活をやったそうで、かつこの映画の後に「バットマン・ビギンズ」の為に、約半年で86kgまで戻したという。そんなエピソードがあったので、前から気になっていたのだが、こういう激やせ激太りというのは、もちろん身体に良かろう訳がない。自分もこの4月に、サバ缶1個くらいしか食えない日があったのだが、あれは精神的に参ってたから出来た事であって、結果、5月辺りの自分の写真は痩せたというより、やつれた感じに写っていたりするのだ。
 さて、この映画の様に、1年眠れない(言い換えれば、寝ずに生きていける)状態とか、ツナ缶1個にリンゴ1個の生活をやれば、この主人公の様な身体になる事は不可能じゃないと思う。前の戦争で、餓死した兵隊と同じ様なものである。ただし、クリスチャン・ベールは痩せるだけでなく、演じなければならない訳だから、それだけのスタミナ、身体は残していたに違いない、と考えていた。この映画を見て、ある程度納得できたのは、脂肪やアウターマッスルはげっそり落ちているのであるが、インナーマッスルはしっかり残っている様に見えた。だからこそ、その後に短期間のトレーニングでマッチョになれたのだと思う。
 自分が今取り組んでる運動も、実は胆の部分はこのインナーマッスルを鍛える事である。特に腹は放っておけば弛む部位である。でも闇雲に腹筋運動やっても、弛みは取れない。そこでインナーマッスルを鍛えるトレーニングが必要となった訳だ。有り難い事に、その成果というか効果は出始めている様である。
 昔から「徹夜したら痩せる」とはよく言われているが、残念な事に自分は眠いとどこでも居眠りしてしまう癖があるので、こればっかりは自分の体験として体感した事がない。





書は捨てず、焼かず

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 久々に新しい本を読んだ。ここ数年、買ってまで読みたいと思う本に出会えないのだが、この本も実は買った本ではなくて、ゴミ捨て場に捨ててあった本である。『言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』物々しいタイトルから想像したのは、戦前の苛烈な文化統制の実態、ライスカレーを辛味入汁掛飯、ハンドルを走行転把とまで言い換えねばならなかった時代の様相をつぶさに書いたもの、というものだった。
 ところがその中身は、本家から里子に出されて、艱難辛苦を耐え忍びながらも勉学に励み、実力社会である筈の軍隊を目指しながら学歴に阻まれ、それ故か、誰もが平等に教育を受ける機会を社会的に作ろう、と理念した軍人の物語だった。書き手のバイアスが掛かっているのは当然としても、「言論界の独裁者」だったのはわずか3年ほど、それも真摯熱烈に職域に奉公した姿が感じられただけだった。
 この本を買った人がなぜこの本を捨てたか、読み終わったあと、何となく判る気がした。恐らく、自分がこの本を拾った時以上に、期待をしてたに違いない。当時の軍部が、どれほど理不尽かつ高圧的に言論界初め国民に命令していたかを。それはまったくのフィクションではないものの、被害者意識に彩られた歴史を教育を受けた結果なのだ、という事を、前の持ち主は認める事が出来なかったのではないか。ましてや、宮本百合子が教育という部分において、敵側の首魁であるはずの鈴木庫三と、意気投合してるなどと書かれては。
 「そして二一世紀の日本。ゆとり教育の下で「受験戦争」は過去の記憶となり、戦中から続いた平等主義の「教育国家」は、大きな曲がり角にさしかかっている。努力はダサく、知識よりも趣味が評価される現代日本で、大志とともに青少年から喧嘩の気概も失われている。鈴木少佐の悲願であった「教育国家」はこのまま終焉を迎えるのであろうか。」
 自分は共通一次世代の終わりの方なのであるが、実のところ、「知識よりも趣味」を優先した生き方を本能的に選んできた。豊かな国だったからこそ出来る選択だったと思う。一億総中流が終わった今、教育国家も終焉を迎えた、というより、一からやり直しの感がある。こういう本を読んだ時だけは、そんな事も考えたりするのである。





野宿ライダー、田舎に暮らす

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 用事から帰ってきて、ベッドに寝転がりながらウトウトしてしまったらしい。すごく変な夢を見た。田舎の廃屋同然の家で、農村の過疎と格差社会を風刺した寸劇をやっていて、それに今も付き合いのあるとある争議団のUさんが、蓑をつけ、これ見よがしのデカイ出刃包丁と桶をもった“なまはげ”の扮装で、なのに顔だけお面なしのスッピンで、「悪い子はいねが〜!」と出てきたのが、あまりにも似合っていたので、写真撮っておこうと自分のD70sを探したが、D60(そんなんあったっけ)とかF70Dとかは出てくるのに、自分のD70sがなかなか出てこない。とうとうそのシーンは写真を撮れず終わってしまい、それどころか寸劇も終わってしまい、誰もいなくなっているのに自分一人、夕陽差し込む廃屋の中でD70sを探し続ける、という、それはそれはオトロシイ夢だった。

 何でそんな夢を見たのか、理由は直ぐに判った。枕元(というか、枕にして寝てた三つ折りにして端にどかしてた布団)に寺崎勉さんの『野宿ライダー、田舎に暮らす』(山海堂)があったからだ。先日、ヤフオクでやっと手に入れた本だ。前から読みたかったのだが、今から8年も前の本なんで、書店にはもはやなく、アマゾンに頼んでいたが変な広告メールばかりで肝心の本は探さず、出版社に直に電話して聞いてやろうかと思っていたのだが(実は、地区労の事務所の近くにあって、争議中にオルグに何度も行っているのだ。世間は狭い)、たまたま先日、他の本2冊と抱き合わせで210円+送料650円でゲットしたのだ。
 読んでみた感想は、「……楽しそうだが。。。ワシには出来ん」だった(爆)。というのも、こうみえても都人でシティーボーイなワタクシ、さすがにど田舎の廃屋を住めるようにしたり、性悪な虫と闘ったり、そういうのはダメなのである。日曜の夜はコンビニで月曜発売のヤンマガで「赤灯えれじい」(きらたかし著)が読めなければダメなのである。「さすらいの野宿ライダー」に絶大な影響は受けたが、この本は影響受ける前に“悪夢”にうなされた訳だから、やっぱり都人(一応、京都のしかも今の京都より古い都出身)でシティーボーイ(すでに京都にいた期間より東京にいる期間の方が長い)な自分には、ちょっと真似できなさそうである。
 最後の方に出てくる、飼ってた犬が死んで火葬する話しや、ネコが失踪していなくなったり、子猫拾ってくる話しは、犬猫飼った事ある人なら泣ける話だ。寺崎さんは、もしかしたらペット本も書けるんじゃないだろうかとさえ思った。もっとも、ネコに牛乳やるのはよくない、という前カノの主張と反するのだが。。
 今、田舎暮らしや就農とかが密かなブームっぽいのに、この本がその種の本を扱うコーナーに置いてないのは、いささかおかしいんじゃないか、と思えるほどの力作でありました。





バックオフ

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 XRを買う前は、もっぱら月刊『ガルル』ばかり買っていたのだが、この頃は飽きたというか、あまり買わなくなった。その代わりに目を着けたのが、この『BACK OFF』だ。たまたま近所の本屋に置いてあったので、試しに買ってみたのだが、結構読ませる内容である。前に復刊された『Out Rider』を買ってみたのだが、面白かったのは寺崎勉さんのナチュラル・ツーリングくらいで、あとはオンなのかオフなのか中途半端な作りで、今ひとつだった(昔のアウトライダー読者が、復刊された方はダメだ、という理由はここら辺にあるのだろうか)。その点、『BACK OFF』の方は「DIRT & OFF BIKE MAGAZINE」と銘打っているだけあって、基本的にオフ中心である。記事の中身も、バイクそのものよりも、乗る目的の方に重点が置かれていて、すでにXRを買った自分としては、作戦の企画を色々立てる上で参考になる。
 しかし、この手の雑誌って、大体900円くらいで、買う時は何の気なく買っているが、何冊も買っていたら結構な値段になる。だから、毎月真面目に買うのではなく、一応は立ち読みして、どうしてもじっくり読んでみたい記事が3つ以上あったら買って帰る事にしている。





搾取される若者たち?

 阿部真大の『搾取される若者達ーバイク便ライダーは見た!』(集英社親書)を買ったのはちょっと前の事なのだが、最近流行の格差社会本の中では異色ともいえる「バイク便」の世界を題材のしていたので興味を引いたのだ。というか、実はあまりに収入が悪いので、バイク便のバイトでもやろうかなーと思ってた矢先にこの本を見つけたのだ。読んだ結果、「やっぱりやーめた」と思わせたのが、この本の第一の功績である。
 ただ、この本を読んだ感想としては、この本の帯に書かれている「広がる不安定雇用と新たな搾取の実態」というところまでは、バイク便の世界を描き切れてないんじゃないか、と思った。というか、バイク便の世界ってのは、「働けども貧しい」という様な世界なのだろうか(これはバイク便が食える商売で彼女の親に結婚申し込んでもNoと言われない、という意味でなくて、いわゆるワーキングプアというところまで行ってる風に描ききられていないという意味)。この本を見る限りはそうは見えないのである。自分の様に、クビ切られて3年も闘って、僅かな解決金で職場復帰もならず、手に職がありながら歳食ってるせいで再就職もままならず、で、結局バイク便の世界に流れた、という様な話しであれば、再出発不能の格差社会のある部分を描いた本になったかもしれない。しかしこの本は、バイク便の世界と文化、そこにいる人達の特徴を描いた本であって、バイク便という仕事が搾取構造になっているところまでは描けてない。どっちかというと、好きな人が好きな仕事をしている、という風にしか見えないのだ。
 ただ、この本の本当の狙いは、好きな仕事に没頭するワーカホリックとそれを非人間的に利用する経営=資本家の関係において、労働者がすり潰されていく恐怖と現実を描いているし、それらはホワイトカラー・エグゼンプションや過労死といった、格差社会のもう一つの特徴の部分の性質である。この本は、バイク便の世界を題材に、もともと好きだった仕事が次第に責め具になるさまを描き、その陥穽に陥らぬよう警告を発しているのだ。面白いな、と思ったのは、多くの格差本が格差をまるで自然現象のように、「やむを得ぬもの、その流れの中でどう生きるか」というテーマで書かれているのに対して、この本では最後に労働組合の存在を示し、団結こそが状況打開の手段である事を示唆している。
 この本は、そうした社会学の側面もさる事ながら、バイク便の世界のでバイクやバイクの乗り方の「格好良さ」の基準も紹介されていて、とても楽しかった。実際、自分もXRに乗っている訳だが、確かにカウル付きのオンロードバイクよりもすり抜けはしやすいのである(笑)





マジック・ライディング

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 今日、バイトの帰りに神保町の書泉グランデで、小林直樹の『マジック・ライディング』を買ってきた。1260円のところを500円の図書カードがあったので760円。どうやら昔、月刊ガルルで連載されていたのを本にまとめたものらしい。前から気になっていたのだが、いよいよ必要に迫られる格好で買う事になった。
 スクールで実際に教えて貰いながら練習するのが良いに違いないと思うのだが、そうそう時間的余裕もないし、だったらまずは本でも読んで、知識として色々知っておこうかと思ったのである。こないだの初林道でも、あえてニーグリップはしない、とか、下りはリアブレーキで、みたいなのは、ネットでつらつら見ている内に頭の片隅に覚えていた事を思い出し、実際にやってみて何とかうまく切り抜ける事が出来た。だから座学と言えどもバカにしちゃいかんと思う訳だ。
 さっそく、帰りの電車でパラパラ読んでみたが、「これが出来たら楽しいんだろうなぁ〜」と率直に思った。というか、やってみたい。書いてある事は、トライアルとかスーパークロスとかで使う様な超人的な事ではなくて、普通に悪路(悪路に普通もへったくれもないが)を走破するのに必要と思えそうなテクニックばかりである。出来ないよりは出来た方がいい、というよりも、出来る様になれば、こないだみたいにビビリながら走るって事はなくなるだろうと思った。
 まぁ、1回2回読んだくらいでは頭に入らないと思うので(前に買った「オフロードバイク完璧メンテナンス」もまだ読んでる)、雑嚢に入れてヒマがあったら目を通す様にしよう。





『硫黄島からの手紙』

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 昨日、いつもメシ食わせて貰ってる地区労の人達と一緒に、『硫黄島からの手紙』を見てきた。労働組合の人たちの大半は、3度のメシより憲法9条が好きな人が多いので(憲法9条より好きなのは、酒と飲み会であろう)、あえてそんな人たちに、イスラム教徒に豚肉食わせるが如く、乾パンとかレーションとかを食わせてきた訳であるが、硫黄島二部作の一発目『父親たちの星条旗』が予想以上に良かったので、平和を愛好する皆さんに、是非ともこの映画をお見せしたかった訳だ。映画の中身については、これから色んな人が色んなところで評価するであろうから、敢えて自分は評価は述べない。一つだけいうなら、この映画は改憲派にとっては痛い一撃になると思うし、またこんな映画をアメリカ人が作ったというところに、海の向こうでは何かが変わりつつある事を予感する。
 とまぁ、そんなくそ真面目な事をココで書いても面白くないので、純粋にミリオタ的視点で感じた事を書いてみよう。まず、栗林中将が渡辺謙というのは男前過ぎ、逆にバロン西が伊原剛志というのはブサイク。主人公の西郷一等兵は、子持ちで上等兵にもタメ口きける古年次兵なのに、どうみてもガキにしか見えない二宮和也がやってるのはミスキャスト。加瀬亮扮する清水上等兵は、憲兵から歩兵に転科した時に、拳銃は返納している筈だから、戦地まで拳銃を持ってきているのはおかしい。バロン西が登場するシーンで、いきなり乗馬で出てくるが、果たしてタダでさえ漁船とかで物資輸送をせないかんかったのに、馬なんぞ連れてくる余裕があったのであろうか(今まで読んだ本の中で、そんな記述がなかったので、ちょっと疑問)。
 続いてさらにバロン西ネタだが、米軍上陸のシーンで、西中佐が戦車から砲撃指揮を執っているが、戦車はほとんどが分解されるか地中に埋めらるかして、トーチカとして使われた(つまり、剥き出しになってない)。
 擂鉢山陥落のシーンで、兵隊が次々に玉砕していく訳だが、手榴弾の爆発が早過ぎ。普通、5〜6秒の遅延雷管が付いている。時間の関係で爆発するまで悠長に待ってられなかったのは判るが、リアリティに欠ける上に、切迫感や破滅感が足りないと思う。
 やはりバロン西ネタなんだが、西中佐の洞窟の前にあった噴進砲は、どうみても九八式臼砲っぽいデザインだが、硫黄島に来ていた噴進砲は、四式の20センチ噴進砲と40センチ噴進砲で、どっちもデザインが全然違う。恐らく間違った資料を見たのだろう。また、噴進砲が活躍したのは、米軍上陸の第一夜だった。(でも、噴進砲を出したという事にちょっと感激)
 まぁ、こうした疑問点なりミスなりがあったからと言って、この映画の価値が下がる訳ではない。むしろ、日軍マニアにとっては失禁もの、護憲派にとっては「だからこそ憲法を守ろう!」と言える、右からも左からも、それそれの観点で受け入れる事の出来る映画なんではなかろうか。





オフロードバイク・完璧メンテナンス

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 新しい事をやる時は、まず本から入るのは、写真も単車も同じであるが、整備の本まで読もうとしたのは今回が初めてである。
 前にも書いたが、自分はすごいメカ音痴なところがあって、点検や整備はともかく、修理は苦手である。大体、元通りにならない場合が多くて、壊してしまう事が多い。自分なりに慎重にやっているつもりだし、部品を無くしたり、部品が余ったりする訳ではないのだが、元通りに動かなかったり、そもそも組み立てられなかったりで、そんな事が多いもんだから、高価で複雑な機械は怖くていじれない。ましてや、バイクはかなり高いし、壊れたらシャレならん訳で、ブロスの時もせいぜい洗車とチェーンの手入れくらいで、あとは全部バイク屋任せだった。
 そんなゼントラーディー人みたいな自分が、バイクの整備の本を買って勉強する気になったのは、山の中でパンクしたりエンジンが動かなくなったりしたら、自分で何とかしなければならないからだ。オンロードの場合は、どんな所で止まっても、バイク屋でもJAFでも連絡さえつけば呼べるが、ヤヤコシイ山の中では、ともかく麓までは持って行かない事にはどうにもならん。だから、パワーアップの為にエンジンバラバラにしたりとか、消耗したブレーキやクラッチの部品を交換したり、といった事ではなくて、パンク修理をとにかく出来る様になっておきたいのである。
 で、まぁ、この本を読んでみた感想だが、写真が多くて解りやすく、「オレでもタペット調整とか出来るかも〜」と思わせてくれる良い本である。転倒したあとの注意点とかも載っていて、結構勉強になった。
 早速実践したいところなのだが、工具買う金がないので、いつの事になるやら……。





戦争廃墟

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 昨日、会議までの待ち時間に神田神保町の書店街をプラプラしていて、見つけたのがこの本。ミリオタならぬミリオン出版から出された本で、言うまでもなくミリタリーコーナーに置いてあった。
 最近、廃墟ブームとかで、廃墟探検を扱ったサイトを幾つか見かけた事があるし、長野県の松代大本営跡を代表とする様な戦争遺跡という言葉も見掛ける機会が多い。この本はそのどちらのカテゴリーにも入る本だが、特筆すべきは「写真集」だという事だ。プロの写真家が撮ったからと言えばそれまでだが、本来まがまがしいはずの廃墟や遺物が、とても美しく写っているのだ。それは人為である戦争を賛美する意味でなく、情景として、物体として美しい、と言う意味である。人間が介在しないからこその美しさかもしれない。そこで不安と緊張の面持ちで待機する人間が、あるいは撃ち砕かれぐずれた人間が、もしくは物珍しい物を前に笑顔でピースサインしている人間が、一緒に写り込んでいたら、まず決して美しくはないだろうと思う。
 この本には、元特攻隊員の(見る人が見れば)特攻賛美と後世批判とも取れるインタビューが載せられている。しかし、これはこの本のサブタイトルに「昨日の事は昨日の眼で見よ」とある様に、極めて重要な事である。後世の我々は後知恵でいくらでも過去の戦争を批判する事が出来る。しかし、当事、その兵器や陣地を作り、それを使う人々がどの様な気持ちを持っていたかを知らなければ、かつての戦争に迫る事も出来なければ、理解を深める事も、反省する事も出来ないだろう。著者の石本馨氏があとがきで書いた様に、撮影現場に「誰か」を感じられたのは、まさに昨日の眼でファインダーを覗いたからである。





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