たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

雑記

月次監査

2020-05-20 20.24.23
ちなみに、外食は生活費からは出してない

 嫁はんが夜も夜中に、「今月赤字が出ました、補填して下さい」と言ってきた。昨日、メガドンキで食ったクレープ代が足が出たという。まぁ、こんな事言われるのは最早慣れっこなので、先月指導した帳簿を見せる様に言った。これからは毎月監査をして、帳簿に不備がないか点検する事にしたのだ。これはぶっちゃけ、嫁はんの家計能力を信用してない事になるが、実際そうであってもなくても、監査の必要があるのは、自分の職場の仕事でも理解するところである。
 点検してみると、確かに生活費の部分では赤字になっているが、予備費の部分ではほぼ先月の繰越し額と同じ金額が残っていた。予備費というのは、食費等の生活費以外で使って良い費用で、まぁ、もし生活費に不足が生じた場合は、そっちから回して良いという事にしている。しているのに、赤字になったと騒いでいるのは、単に家計の取り決めをしっかり理解してないからである。帳簿には不備はなかったし、数百円の赤字なら予備で補える。強いて言うなら、生活費の残金の計算を間違えたか、しっかり把握してなかったかで(おそらく後者)、お金足りないのにクレープ食ったのが、赤字を生じさせた原因である。
 それより困ったのが、先月、嫁はんの家計の金の動きに合わせて帳簿を作ったのだが、その理屈と動きが分からないという。先月、何度もひつこくその概念について説明したのだが、頭に入ってないらしい。入ってはなくても、数字は言われた通りに入力してた、という訳だ。言われた通りにやってるから、数字としては間違ってない。ただ、表の仕組みが分かってないのでは、解も答えも理解し難いであろう。また一から説明せねばならなかったのであるが、以前の自分なら「同じ事何度も言わすなや!」とブリブリ怒ってるところであるが、そうはせず、出来るだけ丁寧に説明しなおした。
 というのも、今週は職場の監事監査で、出来るだけ間違いがない様に資料を揃えたつもりだったが、監事から突っ込まれるハメになった。また、預り金の集計表の付け方でも会計士から突っ込まれた。こちらは言われた通りにやってるつもりなのだが、説明が足りなかったのか自分の理解が足りなかったのか、結局としては自分が詰められる結果になった。自分としては言われた通りにやってるつもりなので、それで自分が詰められるのは理不尽に感じるところであるが、仕事の流れを自分が理解してないから、不備があってもそれを指摘できなかった(つまり自分を守れなかった)。といっても、資格も経験もない自分が、そんなもん1年そこらで理解するというのが無理がある。無理な事を、日々頑張ってやってるのだ。
 いくら頭の上からガンガン言われたって、分からんもんは分からん。むしろ順序だてて説明してくれないと、全く分からん。仮にそれが自分の金の流れであっても、表なりシステムなりを誰かが作った場合、その概念を理解するのは難しかったりする。だから嫁はんには、出来る限り分かり易く説明しなおしたつもりである。(ただ、生来のずぼらさ加減は、いくら説明しても直しようがないのだが)





愚問の中にも意図あり

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 よくご婦人が「仕事と私、どっちが大事?」なんて底意地悪い質問をしてくる事がある。この手の質問をしてくるのは、大抵はご婦人で、故に文字通り女々しいい問われようである。試みに、うちの嫁さんに、こんな質問をしてくる女をどう思うか、と訊いてみたところ、答えが極めて明快であった。こう問い返せというのだ。

「仕事のない俺と仕事のある俺と、どっちがいいか」

 そりゃもう、言わずもがなであろう。むしろ、この逆質問に対して、ご婦人がどう返事するのか聞いてみたいものであるが、それはデータに現れている。


 自分にも経験がある。付き合って1年目に会社を不当解雇になって解雇撤回争議を起こしたのであるが、半年そこらは応援してくれたものの、段々と相手のされ方が粗末になっていき、ついに「毎晩疲れた顔して帰って来るのを見るのが辛い」といって出て行き、最後は「活動家の女になる気ない」とフラれてしまった。争議中というのは、社会的には無職であるし、争議が終わるまで再就職も出来ないし(本音であれ建前であれ、職場復帰を目指してるので)、争議が終わったあとの事など終わってみなければ分からない。つまり、「仕事のない俺」は物の見事に捨てられたのである。

 実はこの話は前振りで、昨日、タイムラインに流れて来たのは「バイクと私、どっちが大事」というものだった。ある人は、「海に沈むバイクと私どっち助ける?」という風に書いてたが、そんなもん、“私”の方に決まっているではないか。バイクの替えはあるが、“私”の替えはないのである。“私”よりバイク選ぶんなら、海に沈む前に世間に放流した方がお互いの為である。
 自分から言わせると、自分とバイクを比べてる時点でバイクに負けてると思うのだが、「バイクに負けてる」と思うほど、相手の自分に対する扱いが粗末に感じてるという事でもある。この点に関しては、男の側も留意が必要である。男は彼女とか嫁とか、安定的に存在してるものには、実はあまり気を払わない鈍感ところがある。家内安全とか無事息災というのは、実のところ、男の用語である。なので、ご婦人がこんな質問をしてきている時は、犬が土食ったりした時の様に、何らかの変調を来している可能性がある。と思って、優しく気の利いた事の一つも言わねばならない。





私は貝になりたい

rakko
 あまり詳しく書く事は出来ないのだが、「BC級戦犯に訴追されて、エライ目に遭うってのは、こういう事なんだろうな」という体験をした。こっちとしては、上司の指示通りに仕事したのだが、それが第三者からは不備不適当とみなされて、どうしてそんな事したのか問い詰められたのだ。どうしてもこうしても、そうしろと言われたからだし、その解を説明せよと言われても、知ったこっちゃないのであるが、その指示を出した者がいないと、問い詰められるのは自分なのであった。
 似た様な問い詰めを、先日、嫁さんにしたばっかりであるが、あちらの場合は、記載漏れだの記載間違いだの、本人の不備によるもので、それこそ本人に聞かなきゃ分からん事で、自分の場合とは事情が異なるのであるが、第三者が見て不備に感じ、それを問い正そうとする事には違いがない。因果応報というか、自分がした事は大抵同じ目に遭うのであるが、それにしたって理不尽であった。相手の言わんとする事も分からないではないが、因業な事であった。
 そこで言われたのは、「そうしろと言われたら、唯々諾々とやるのでなく、その根拠を聞いて証拠を残す事」という事であった。要するに戦犯逃れ出来る様にしとけ、という事であるが、そんなもん、よほど信用ならん上司ならいざ知らず、普通はそんな事、考えないだろう。ましてや、自分はタイヤに空気入れるバルブとビードストッパーのネジの部分の見分けがつかん様な素人である。まずは言われた通りにやるのが大原則で、自分の判断で良くも悪くも処置できないのである。
 しかし、それを聞きながら、大昔に親父に言われた事を思い出した。確か、交通事故の処理の事だったと思うが、相手の不注意で自分が跳ねられて痛い目にあってるのに、法的に無知なボロクソに言われて、「知らんちゅうのが罪になるのか!」と言い返したら、「時と場合によっては罪になる」と言われた。今回の件が、まさにそういう事なんだろうな。今までも大概な目に遭う事はままあったが、今回のケースは初めてだけに、理不尽さ以上に狼狽える感じであった。





自粛中でも減るものは減る

2020-04-25 18.58.17
 太平洋戦争前、石油の対日禁輸を食らってた時、日本海軍は「艦隊を動かしてなくても莫大な石油を消費しており、このままではジリ貧になる」という事で「戦えるうちに開戦」した、というのが通説になっている。まぁ、それはそれで良いのだが、今、それに似た様な事を追体験している。つまり、外出自粛で遊びに出かけなくても、それなりに金使っているという事だ。ついでに言うなら、トランポの燃料もそれなりに使っているのである。
 もちろん、レースも練習もないから、そっちの方に使った金はゼロである。その代わり、暇つぶしの盆栽作業で使うパーツや、補給品、普段はやらない工作など、そうしたものに金を使っている。別に遊びの金だけでなくて、家に使う金も結構あった。要するに、体が動いてない時は、他で案外金を使うという事である。ついでに言うと、外食費も結構増えたのだが、これはテイクアウトで使っているのである。
 新小岩の時と違って、四街道に引っ越してからは、買い物はトランポで行く事の方が多い。以前はトランポはバイクの練習やレースの時くらいしか使わなかったのだが、今や日常の足がわりである。なのでこちらの燃料もそれなりに消費する。今月頭に満タンにしたのだが、ただの一度も練習に行ってないのに、半分くらい食っている。もっとも、原油価格の値崩れの影響が少しずつ出始めてて、スタンドの値段も少し下がった。あわてて入れなきゃ良かったと少し後悔している。
 金なんてのは、あればあるだけ使ってしまうものだし、また使っていい金は使って構わないのだけど、このコロナ騒ぎが終わったあと(いずれ終わるとは思うが)、活動再開した時には、以前同様に莫大なお金が掛かるであろうあろうから、それに備えてそれなりに意識して貯めとく必要もなるなぁ、と。
 そんな事言いながら、叫ぶチキンとか買ってるんだから、そりゃ金使ってるよね、って事になるんだけど。このチキンで演奏できるくらいになれば、元取れる様になるかな?





家計簿

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 自分は今、職場で財務の仕事をやらされている。財務の資格も経験もなく、その仕事を希望して今の職場に入った訳でもないのだが、前の奴が去年、いきなり辞めたので、その後釜に据えられたのだ。他にやれる人数もなく、断るには自分も辞める他方法がなかったので、まだ辞める訳にはいかないから、結局引き受けた。以来、出来る限り仕事を覚える様に心がけつつも、何かの度に五里霧中で右往左往させられている。
 財務の仕事をしてて一番大事に感じるのは、とにかく正確性という事だ。入ってきたお金、出て行ったお金、それらを日付、金額、摘要、勘定項目、全て間違いなく記載していく。これが財務の仕事の第一歩なのである。あとでやったらええわとか、そんなのは通用しない。出勤した時は必ず、なんらかの入出金があった時は、記載する。まとめてやろうとすると、忘れたり漏れたり、そういう事故が起こって、あとでえらい目に遭うのである。
 さて、昨日に引き続き、嫁さんの家計簿の話しなのだが、とにかく記載漏れ、記載間違いが多い。狂った帳簿を再計算して整えても、後からあれはー、というのが頻々と出てくる。その度に計算する。つじつま合わせをする。それを説明する。すると、それはー、と来る。いい加減頭に来る。怒られてる方は何で怒られてるか分からない。原因は、ちゃんと帳簿を付けてないからなのだ。
 財務の仕事をしてる人なら分かると思うが、どんなに正確に記帳してても、予算編成の都合で後で勘定項目を変更する、つまり解釈するということはままある。個人の家計簿においても、どうしても不明金が出る、使途が分からないものがでる、繰越し額が合わない、等々の不備が出る。それをうまい具合に、現金残高や口座残高にあわせて帳簿の方を弄るという事がある。正確性の高い帳簿で、それ付けてる人もしっかりしてれば、操作は比較的楽なのだが、「おうちを聞いてもわからない、名前を聞いてもわからない」といったのが相手だと、いくら精査してくれと頼まれても、お手上げである。
 そんなこんなで二夜に渡ってガミガミ言ってたのだが、他の家ではこうした話しはどうなってるのだろう。自分は財務の仕事をするはるか以前から、1円単位まで残高と帳簿を合わせる様にしてたのだが、他のところでは総排出膣的などんぶり勘定が主流なのだろうか。何となくお金が余ったー、何となくお金が足りんー、といった感じなのだろうか。もしかしたら、自分が細かすぎるのだろうか。誠に残念ながら、有り余る金がある訳でもなく、限られたリソースを有効活用するために、自分の金の動きや流れは、1円単位まで把握しないと気が済まないのだが、それは自分くらいなもんなんろうか。だとすると、嫁さんからこの二夜で相当恨まれた事になる。「クソたにし、死ね」くらいに思われてるかもしれん。




のり弁

2020-04-05 14.08.10
■30年後の今でも様々な影響を俺に与え続けている漫画、前川つかさの「大東京ビンボー生活マニュアル」
(本棚持ち歩き隊! 

 のり弁の存在は、前川つかさの『大東京ビンボー生活マニュアル』で東京に出てくる前から知っていたのであるが、そののり弁を食べたのは、今日が初めてなのである。嫁さんが「ほっともっとの弁当を食べたい」と言い出して、コロナ自粛で顔突き合わせてる時間も長く、コロナDVとまで行かなくても、それなりにストレスもあろうから、まぁいう事聞いたのである。ほっともっとには他にもメニューがあるのであるが、となれば、のり弁以外に目が向かないのは、この漫画のお陰というか、影響である。
 この漫画で描かれたのり弁は、いわゆるほっかほっか亭のであろうが、ウチの近所にはほっともっとしかない。なんだかよく分からん経緯で喧嘩別れしたらしいが、そのせいなのか、ほっともっとののり弁はコロッケでなく白身魚のフライである。白身魚のフライが好きな自分にとっては、こっちの方が嬉しい。本来なら、白身魚とちくわ天の300円のを買うべきだったが、鶏の唐揚げとメンチカツに惹かれて、90円高い特のりタル弁当を頼んだ。嫁さんは牛すき海老天重を頼んだが、写真の通り、ボリュームはのり弁の方が上である。まぁ、揚げ物メインではあるが。
 ところで、こののり弁を食べるのが今回初めて、というのには理由がある。その第一は、自分が住んでた所には、ほっともっとなりほっかほっか亭がなかった、という事。これでは買いようがない。しかし、それ以上に問題だったのが第二の理由、もっぱら経済的な理由であった。
 自分が東京に出てきたばかりの頃、夜勤の交通警備のバイトをしていたのであるが、これは天気にも左右される仕事で、月に大体16.5万円くらいしか稼げなかった。そして、それの使い道が以下の通りである。

貯金 100,000円
家賃 21,000円
風呂代 4,000円
洗濯代 2,000円
光熱費 3,000円
食費 30,000円
予備 5,000円

 16万そこらの収入で10万も貯金するなんてのは、無計画もいいところなのであるが、とにかく当時はうっかり都落ちなんかにならない様に、とにかくお金貯める事が大事と感じていたのだ。そして残ったお金をどう切り詰めても、上の表が精一杯で、外食なんてのは、月に一度、400円の牛丼大盛りを食べるのが精一杯だったのである。
 その後、季節は冬になり夜勤の寒さに耐えかねて交通警備のバイトはやめ、今度は一流ホテルの洗い場のバイトに移ったのだが、こっちは10時から22時までの勤務で従業員食堂での昼夕の食事が出て、月に30万円稼げる仕事だった。時代はバブル時代だったのである。となると、もはや食うものに困る事もなく、それまで飯盒でメシを炊いていたのもやめ、腹が減れば好きなものを食える様になった。おそらく、近所にほか弁屋があれば買ってたであろうが、なかった事もあって買う機会もなく、今日までやってきたのである。
 さて、今日食べたのり弁であるが、確かにその名に(逆の意味で)ふさわしくなくボリュームのある内容であったが、フライ物ならスーパーの惣菜でも買えるし、冷凍食品を揚げても良い訳で、わざわざ弁当屋に買いに行くほどでもないかなー、というのが率直な感想であった。30年になんなんとする自炊生活を経て、「店屋物より自炊の方が安上がり」という主婦的感覚が、こってりと身に沁みているのである。





お片づけ

2020-04-04 13.18.58
ビフォー

 この週末は3連休。天気もとても良くて、練習日和なのであるが、例のコロナ騒ぎで不急不要の外出は避けよ、というから、どうにも出かける気になれない。オフロードのコースなんか、感染したり感染させたり、なんてのはないと思うのだが、まぁ、気分というのは伝染するのである。
 何もしないというのも勿体ないので、昨日は嫁さんのバイクの整備、今日は庭のはなれにある倉庫の整頓をやった。今の家を買う時に、その大きさ(たにし実家の街の基準では金持ちの家クラス)もさる事ながら、庭にはなれがあるのが決定打だった。それまで、6畳+3畳+台所のせっまい賃貸マンションで、ロクにバイク関係の荷物も収納できず、コンテナにいれて積み重ねていたのだ。はなれがあれば、そっちに全部収める事が出来る。これは有難い。
 という訳で、バイク関係からアウトドア関係の装備や荷物は、片っ端から入れているのだが、普段はあまり立ち入らないので、荷物は入れっぱなし、という事になる。しかも、入り口のドアに近い所にポンと置いてそのまんま、という事も多いので、入り口が狭くなっても来た。さらには、去年の年末から今年の初めにかけて、CRF450RXとXR230の備品が出て行き、代わりにクロトレとTT-R125の装備が入ってきて、結構中がごちゃってたのである。
 とまぁ、そんな具合で、暇にかせて整頓開始。新小岩の賃貸マンション時代から使ってた組み立て式のカラーボックス(新小岩時代はテレビ台として使ってた)は、中身で新小岩時代の靴箱に移して、自宅の2階の自室に移動。これで自室の収容力はアップ。で、バイクの部品はクロトレ(これはBATEのパワーパーツの箱をそのまま使用)とTT-R125にちゃんと訳で整頓して収納し、要らん箱は潰して次の資源ごみの日に出す。倉庫のドアのすぐ側に置いていたファイヤーボックス用の薪を入れた箱は、倉庫の奥の空いたスペースに大半を移動。すぐ使う分だけ手前に置いた。
 そんなこんなで小一時間ほど作業して、倉庫の中はそれなりにスッキリして地面が見えた。地面が見えたのは結構だが、一体どこから入り込むのか、ダンゴムシの死骸がころころ転がってて、それも箒で掃いて作業完了。これでバイクのオイル交換だの洗車だので、物を出すのに抜き足差し足しなくて済む。
 しかし、前から気になっているのだが、このプレハブ小屋、一体どんな目的で建てたれたのだろう。はなれとして使うには冷暖房がなくてつらそうだし、倉庫として使うにしては立派な気がする。そもそも家そのものも大きくて部屋数も多いから、はなれが必要だったとも思えない。まぁ、庭も無駄に広いので、だったら部屋作るかーってとこだったのかもしれないが、今となっては確かめようもないのである。

2020-04-04 14.42.05
アフター





白珍来

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 新小岩駅南口のルミエール商店街の中に、「珍来」と言う中華料理店がある。20代の初めの頃に新小岩に移り住んで、その珍来を知ってから、他の中華料理店は全く評価出来なくなるほど、超絶お気に入りになった。と言っても、始終行ってた訳ではなく、基本的には自炊派なので、食べたくなったら時たま行く程度。しかも注文するのは、チャーシューメンとチャーハンと餃子と決まっている。特にチャーハンは盛りが多く、餃子も一つが4個分くらいの大きさで、味と言い量と言い、非常に満足なのである。
 ところで、珍来には白珍来と赤珍来がある。どっちも珍来なのであるが、看板が白っぽいのと赤っぽいのの二つあるのだ。赤珍来にも入った事があるが、自分の好みは白珍来である。もっとも、赤珍来はあちこちににあるのだが、白珍来はあまりなくて、入った事があるのも新小岩の店だけである。一体どう言う経緯があって赤白あるのか分からないが、餃子の王将と大阪王将みたいな事情があるのかもしれない。ちなみに、餃子の王将派である。
 その餃子の王将が、自分が四街道に引っ越してから、ルミエール商店街にも進出してきた。だからと言って、珍来を贔屓にするのは変わらないのだが、何せ遠くなったので早々行けない。去年の三宅島エンデューロの帰りに久々に寄ってみたら、営業時間が22時までになっていて、食いそびれてしまった。昔は26時頃までやってたのだが、最近は客が少なくなったのだろう。まぁ、王将のせいでもなくて、全般的に贅沢できなくなって来てるんだろうと思う。
 こないだの石戸谷スクールの後に、久々に寄ってみたが、まだ20時台なのに空席があって、嬉しい反面少し寂しかった。餃子の大きさは変わらなかったが、チャーシューメンもチャーハンも、20代の頃に比べたらちょっと少なくなってた。まぁ、20代の頃はチャーシューメンもチャーハンも大盛りをペロンと食えたのだが、最近はそうもいかない。チャーハンも餃子も半分は嫁さんに手伝って貰わないと行けないのだ。でも、美味さは20代の頃と同じ。外食して幸せを感じる数少ない一店である。







経済的個人史

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 自分は結構几帳面なところがあって、ちゃんと家計簿を付けている。それこそ、自立した18歳の頃からノートにつける習慣があったのだが、今も続く記録の祖になっているのは、28年前の争議の支える会の帳簿に遡る。それまでエクセルなど使った事がなかったのだが、その当時お付き合いしてた女性から使い方を習い、その後は独学でそれなりの帳簿を作る事が出来た。自分個人の家計簿としては、争議が終わり、完全に支える会の財務が解散した2006年から始まっている。たっぷり14年分である。
 自分は簿記などの資格も取ってないので、こうした財務作業については素人なのだが、それでも自分の金の流れを出来るだけ正確に掴み、記録に残そうとした努力は結構見て取れる。時々帳簿の形式が変わるのは、新しい状況や矛盾した状況に対応しようとした結果である。必要に迫られて独自の言語を開発する子供の様に、自分もまた独自の家計簿を開発してきた、という訳だ。
 さて、最近ちょっときになるのは、それらの家計簿はいわゆる「総勘定元帳」であって、決算書ではない。だから年間、あるいは数年に渡って、自分がどの様な金の使い方をしてきたか、何にどのくらい占めていたのか、そうした総覧は出来ない、という事だ。ざっくりと「バイクにはこれこれ位かかっている」という程度しか認識してないのである。せっかく帳簿をつけているのに、勿体ない事である。
 そこで、独自の解釈でも良い、簡単な物でも良いから、決算書を作る作業を始める事にした。まずは勘定科目を決める事から始めている。一口に食費と言っても、自炊用の食材と外食があるので、これを分ける。外食は贅沢品と考えれば削れる項目だからだ。バイクにかかった費用にしても、自分で整備した場合と、バイク屋に頼んだ場合に分ける事で、整備に掛かった金の動きが読める。保険にしても、生命保険と火災保険では性質が違う。後者は住居費に属するものと考えたい。
 実はこんな事を始めようと思ったのは、この12年間でバイクのレースにどんだけ金を使ってきたのか、知りたくなったからである。また、結婚する以前と以後で家計の余裕具合が格段に違うので、昔はどうやりくりしてたか知りたくなったのだ。確実に分かっているのは、家賃と駐車場代を払ってた分、貯金は一切出来なかったという事なのだが、最終的にはそっちの方への影響も調べてみたいと思う。
 もともと、鉄棒も跳び箱も出来なかった自分が、オフロードバイクのレースやってるのも変な話だが、数学は毎回赤点でどうやって高校を卒業したかも分からん自分が、数字を調べようというのも変な話である。





今年も一年

"Sed fugit interea, fugit irreparabile tempus, singula dum capti circumvectamur amore"
しかしその間にそれは飛び去る。取り返しのつかないほどに時は飛び去る。愛に執着してあてもなく彷徨う間に。

 と、おセンチな気分になるほど、近年、月日が経つのが早いのであるが、もう今年も終わりである。ほんと、時間の経つのが早いのだ。時間が経つのが早いという事は、残り時間が短いという事でもあるのだが、普段ボケっとしてる訳でもないので、あまり気にした事がない。折りに触れて、ハッと思うだけである。
 今年は、年初のインフルエンザ以外で、大きな事故はなかった。そういう意味では、無事息災な一年だった。あまり強い印象が残ってないのは、事故がほとんど無かったからである。変わった事と言えば、テレビが大きくなった事くらいである。それなりの買い物もしたのに、ちゃんと貯金も予定通り残せて、まぁよく頑張りました、といったところだ。
 バイクの事を除けば、このくらいしか書く事がない。あとは、嫁さんに小言を言う、でも小言言える相手があるのは良い事だ、くらいである。印象の少ない一年と言うのは、幸福な一年だったのだと思う事にしよう。むしろ、これまでが波瀾万丈過ぎて、こうした一年が少な過ぎたのだ。
 さて、来年は一体どう言う年になるか。

2019-12-26 14.56.54





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