たにしのつぼ焼き

あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい〜♪

雑感

電気回路

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 ここんとこずっとLEDテープライトに掛かりっきりで、毎日0300時頃まで作業してて、毎日寝不足でバファリンのお世話になりまくりである。しかし、ここへ来て頭を使う作業が加わってきた。というのは、先日書いたスイッチボックスの事である。
 常設するモバイルバッテリーで12Vのテープライトを光らす為に、5V to 12Vの昇圧ケーブルを噛ませているのであるが、これに加えて12VのACアダプターからも給電できる様にしようと考えた。ACアダプターを使う時は、モバイルバッテリーからUSBを抜いて使うつもりをしていたのだが、ふと、「中に昇圧ケーブル入ったままだよな、そっちの方に電流流れたら具合悪そうだな」と気がついた。だったら、昇圧コンバーターに向かうマイナスの線にスイッチをつけて、ACアダプターから電源とる時は、そのスイッチをオフにすれば良いだろうと考えた。
 ここまで考えて、ラフの絵も書いたわけだが、これを回路図に起こすとすると、どうしたら良いか困った。分かる様な分からない様な、書けないでいるのだ。まぁ、勉強不足ということである。もっと昔、学校で勉強しておけば良かった。というか、学校で習っている時に、まさか40年後に習ったことを使う日が来るとは思ってなかった。
 中学高校でいろんな事習っている時、それが何の役に立つのかなんて、さっぱり分からなかった。そういう事を教えてくれる人もいなかった。うちの親は「学生の本分はなんや、言うてみぃ!」と自分に怒鳴りつけてきたが、大事なところはそこじゃなかったと思う。











慣れと狎れ



 いつもに増してなかなか聞かせる内容だった。ビッグモーター事件に関しては、社内の異常さを伝える内容が多いのであるが、客商売であった以上、店と客との間にも様々問題があったに違いないと思う。客の目線としては、そっちの方こそが重大問題だと思うのだが、それは今後、現れてくるのだろう。
 そんな中、同業他社では風評被害も発生しつつある様である。



 これは酷い話であるが、これを読んで、失敗小僧氏が上の動画でしきりに語っていた「対等の関係」というものに思いを致した。自分もトランポの車検や整備は、新小岩時代の車屋さんにずっと出しているのだが、「お客様でござい」という意識を持った事は一度もない。確かに金払う立場ではあるのだが、だからと言って自分が店より立場が上、という認識はないのだ。むしろ仕事してもらってる、といった気持ちの方が強い。もちろん、車屋さんの仕事内容に満足し、信頼しているからこそであるが、基本的には水平対等な気持ちなのだ。だから、上の記事の様な非礼な事を平気で口にするというのは、あり得ないのである。

 しかし、こちらがそのつもりでも、あちらがそうでない場合は、この動画でも言われてる様に、信頼関係は築けない、もしくは崩壊する。店と客が対等な関係を構築する、というのは、意思疎通の円滑化のためには、やはり必要だと思う。客が上でもなければ、店が上でもない。客が気軽に店にリクエストできる様な雰囲気がなければ、そんな店には行かなくなる。ビッグモーターの事件にあっても、そうしたお客さんは沢山いたんじゃないだろうか。店側としては客が逃げれば売り上げに関わる訳で、その上過大なノルマが課せられてるのだから、どんどん悪循環していったに違いない。おそらくは、店としてもやってはいけない事をやり尽くしたんだろうと思う。
 店側が客との対等な関係を構築維持していく上で大事なのは、ちゃんとお客さんとして扱い続けるところだと思う。慣れてもいいが狎れてはいかん訳だ。









どうしてスポーツライディングを始めたか?

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 自分は小中高と運動神経が悪く、体育の成績は5段階評価で大体2だった。だから、スポーツを趣味にするなんて全く想像してなかったし、実家のオカンに言わせれば「鉄棒の逆上がりも出来んかった子が、あんなんやってるだけで偉いわ」という事らしい。
 そもそも、最初からエンデューロだのモトクロスといった競技を志向してた訳ではない。まずオフロードバイクに乗ったのが、当時やってた写真撮影で電車の縛りのない移動手段が欲しかった事、オンロードバイクよりオフロードバイクの方が走れる範囲が広いと思った事、ホンダのXR250が格好良くて欲しかった事、といったのがオフ車に乗るきっかけだった。
 オフロードバイクを買ったからには、林道ってのに行ってみなければならない。実は、オフロードバイクなら舗装されてない道も簡単に走れると思っていた。しかし実際はめっちゃ怖かった。一体何が楽しいのか、さっぱり分からんかった。圧倒的に何かが足りないと感じたが、この時点では何が足りないのか分からなかった。
 そうこうしてるウチ、当時の知り合いがエンデューロレースというのに出るという話しを聞いた。YouTubeで動画を見てみたら、これをやったら自分も林道走るのがちょっとは楽になるかもしれないと感じた。しかし、いきなりレース出たりコース走ったりというのは不安があったので、モトクロスごっこというのに参加した。これが実に楽しかった。コース走行は楽しかったのだ。
 その後、河川敷だのコースだので練習する様になったが、独学自習ではてんで進歩がない様に感じた。そこでベストテクスクールのことを聞き、習いに行った時に「これは!」と閃くものがあった。通い続ける内にモトクロッサーに乗り換え、トランポも買い、モトクロス出たり怪我したり挫折したり、乗りやすいバイク作って貰ったり、色々あって今日まで営々続けている。
 スポーツというと、成績出したり賞取ったり、というイメージで、自分もこのベストテクスクールに通い出してからは、「そんなに通ってるのに結果も出せないで」と余計な呪いをかけられたりそれに囚われたりしてるが、要は体を使う趣味なんだというのが真相だと思う。まぁ、競争ごとなので賞を取ったりするのはとても大事な事なんだけど、そこを目指す気がない人がスポーツをやる意味がない、という事ではないと思う。
 林道を怖くなく走れる様になりたかった自分が、結局、競技走行の方に移行したのは、それが殊の外、楽しかったからである。それこそ、小学校の時に無理やり参加させられた淀川マラソンや西山連峰の耐寒遠足なんかより、遥かに楽しいと思う。
 この世界には、いろんな形でアプローチする人がいると思うが、やってみたい、楽しい、という気持ちを第一に大切にして挑んで欲しいと思う。呉々も自分みたいな結果論者の呪縛には囚われて欲しくない。









趣味の組織のあり方

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 自分は昭和生まれなので、色々古い体質を持っているし、平成を経て令和に至る物事の移り変わりもある程度みてきたので、昔と今の違いも感じる事が多い。
 その中でも、随分様変わりしたなと思うのは、趣味の集まりの組織の在り方だ。例えばサバイバルゲームだが、昔はまずはチームを作るか、どこかのチームに所属する所からスタートだった。しかし今は、何処そこのショップなりフィールドなりがゲーム会を呼びかけて、各人が個々にそれに参加するスタイルが主流らしい。つまり、隊長なりリーダーがいて、連絡まわして仕切る、また隊員はそれに従って動く、というのは、少なくとも趣味の世界では廃れつつあるみたいだ。
 まぁ、これはオンラインゲームなどの影響もあるだろうし、いちいち人に縛られるのを嫌う傾向が強まった証だろう。行きたい時に行けば誰かしらいて、ゲームする事が出来るなら、別にチーム組む必要はないのかもしれない。
 とは言え、チームなり団体が完全に無くなった訳ではなく、それとなしに組織名は出てくるから、そう言う名称や旗印と言った拠り所は今も郷愁的に求める向きもあるのだろう。言わば、煩わしい縛りを排した形であれば、そう言う緩やかな連合体は歓迎される訳だ。
 軍隊的と言うか、上位下達な昭和タイプの組織にシンパシーを感じる向きには淋しい事ではあろうが、軍隊でも「指揮官なき軍隊」を模索してるくらいだから、これは時代の流れである。実際、若い頃は群れるのが楽しくても、歳取ると煩わしくなる話しは良く聞くし、登山などではより顕著である。
 こうした時代においての各個人の行動指針は、「どういう状況でも一人で行動する」つもりがある事である。流石にサバゲーみたいに相手が要る趣味では一人ではキツいものがあるかもしれないが、キャンプだのバイクだの登山だのは、一人でも出来る。バイクなど乗ってる時は一人であるから、尚更である。
 呼びかけをしても自分しか来てない、なんて事もある訳だが、それでもやる。そうした胆力が求められるのも、今の時代の特徴である。まぁ、やりたくなかったり、やる気が失せたら、さっさと辞めれるのがメリットなのだが。









取れる時に取っておけ

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(日テレNEWS 7/23(土) 11:59)

 自分は実は大型二輪免許保持者である。昔は限定解除という言葉が大型二輪免許の代名詞みたいになってたが、自分は限定解除でなく、いきなりの大型二輪免許である。その理由は、中型二輪免許を取った翌年に初心運転者期間で中免を召し上げられ、職場の先輩にバカにされたのがキッカケで、大型二輪免許に挑戦し、約一年半後に取得したのだ。そんなのがキッカケだから、大型二輪は一度も乗った事がないのである(CRF450RXが唯一の“大型”だが、公道で乗った事はない)
 大型二輪免許は、当時はまだ教習所では取れなくて、せいぜい750cc限定が都内のほんの一部の教習所で始まったくらいの頃だった。だから大型二輪免許を取るには運転試験場の試験を受けねばならなかったし、練習は私営の練習場でやるしかなかった。自分の場合は、休日に府中の杉本練習場に通い、遅番の午前中にも通い、試験は休日や遅番の昼間に鮫洲の試験場で受けて、滑ってウチに帰るか遅番で出勤するか、という流れだった。移動は50ccのディオを使っていたが、よくもまぁ、スピード違反とかで捕まらなかった事だ。
 鮫洲の試験場には都合11回通ったのだが(中型一発で4回くらい行ってるから、述べ15回か)、毎回40人くらい受けに来てた様に思う。バイク4台が同時に稼働して、それにおのおの10人くらいが並ぶ。ルーキーほど順番が後、受かりそうな人は順番が早め。自分も合格した時は確か1番目だった。
 何度目に落ちた時か忘れたが、とぼとぼと駐輪場の自分のスクーターのとこに行こうとしたら、さっき大型落ちた奴が、V-maxにまたがって颯爽と駐輪場から出ていったのをみて、面食らった事がある。よくもまぁ捕まらないもんだと思ったが、同時に「あいつ、そのうち、試験諦めよるかもなー」と思ったもんだ。ぶっちゃけた話し、免許がなくたってバイク乗る事自体はできるし、実際大型乗ってるんだもん。チャラそうな奴だったから、そのうち、バカくさくなって辞めそうな予感があった。大型二輪に合格していく人は、大体が真面目でひた向きな人が多かった様に思う。
 その様な訳で、このニュースを見たとき、ふとあのチャラけたDQNを思い出した。









消費者の本能

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 自分はこれまで主にヤフーショッピングで買い物をする事が多かったのだが、最近はAmazonと相見積もりをとる事が多くなった。ヤフーショッピングを多用する様になった理由はTポイントが結構貯まるのが理由だった。Amazonはヤフーでない物だけしか活用してなかった。ところが最近はAmazonと相見積もりするとAmazonの方が安かったりするものもそれなりにあったりする。
 そして、この度の値上げ騒動である。間違いなく自分が常用する補給品の数々もいずれは値上げするであろうから、それらの値段やポイントをリストアップし、比較の表を作ってみた。案の定、Amazonの方が安かったり、ポイントと換算したらヤフーの方が安かったりと、あっちこっちのいいとこ取りをしたら、結構無視できない金額を浮かせる事が分かった。没落日本で暮らす消費者としては、こうした本能は重要である。
 今の日本人は、「安物買いのデフレマインド」と言われているが、景気が良かろうと悪かろうと、同じ物であるなら安いにこした事ない。安かろう悪かろうでは具合悪いが、良かろう安かろうは願ったり叶ったりなのである。バブルの時代みたいに、フリーターでも月45万円稼げるような世の中なら、100円200円の差など瑣末なものであるが、今の時代は1円だって疎かに出来ないのだ。
 しかし、この記事を読んで「買い控えの動きが出ている」という一言にちょっと気になった。普通、増税とか値上げとかの前には、駆け込み需要という事で安いウチに買っておこうという動きが起きる。上の段に自分が書いたのもその一例だ。ところが、それさえも出来ないほど困窮してる人が少なからず居る、という事だ。
 上に書いたのは、生活必需品ではなくて、趣味で使う消耗品である。言い換えれば、「そんなもんやっとれる余裕」がある話しである。不幸な人を哀れんでも、恵まれた人を羨んでも、自分の為にはならない訳だが、倹約や消費者の本能やらを、趣味の分野に活かせれる身の上を感謝せないかんな、とは思う。









持ち逃げ

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2021年8月16日 21時56分  共同通信

 ここでいう「現金」とは、おそらく米ドルの事なんだろうと思う。間違ってもアフガニスタン通貨のアフガニではないだろう。そんなもん持ち出しても出先の国では使えないし、そもそも転覆した政府の紙幣など便所紙以下の価値しかないからだ。それが公金、つまり国の金、ひいてはアフガニスタン国民の血税であるかどうかは確かめ様がないが、一部残していかねばならなかったくらいだから、結構貯め込んでいたんだろうな。
 歴史は繰り返す。空港から脱出しようと、米軍の飛行機にしがみついてる人々の写真は、1975年のサイゴン陥落の時とまったく同じ光景である。当時自分は小学生であったが、おかんからこんな話しを聞かされた。おかんが内職で貯めた金で買った、小さいエメラルドの指輪を見せびらかせながら、「国がなくなったらお金なんか持って逃げたらあかんねん。こういう指輪とかネックレスとか、身につけれるもんでないと持っていかれへん。しかも、本物でないとあかんねん。どんなに綺麗で大きくても、イミテーションでは買い取ってくれへん。この指輪(の宝石)は小さいけど、本物やからいざとなったら売れるんやで」と。まぁ、贅沢品を買った言い訳でもしてたんだろうとは思うが、ベトナム戦争でも実際そうであったろうし、遡れば日本だって先の大戦の後は、紙幣や国債は無価値になって、着物だの宝飾品だので闇物資を買っていたのだ。
 今の日本が、こういう憂き目にあう可能性は、今のところ極めて少ないと思うのだが、それでも何年か前に不意に不安に捉われて、金を買った事があった。実はその時、米ドルの紙幣も持っておこうかと思ったのだが、金を買った途端、憑き物がおりた様に興味がなくなって、そのまま持たず終いになった。エチオピアのハイパーインフレで、エチオピア人がエチオピアに住んでいながら米ドルで買い物せねばならん事に激怒した、というエピソードを読んだからでもある。いくらハイパーインフレになっても、その国の通貨を使うほかないのなら、まぁ米ドルを持ってても仕方ないと思ったからだ。まぁ、自分が自動車やヘリコでどっかの国に逃げ出す事はないだろうから、今も別に米ドルの札束を持とうとは思ってない。









親なればこそ

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(ママスタセレクト 

 ウチのおかんは、自分が中学高校の時、一日も休む事なく弁当作って持たせてた。当時の自分は、バイトも禁止されていたし、慢性的に金欠で、いっそパンにしてくれた方が食わずに小遣い作れるのに、と思っていたのだが、決してそうはしてくれなかった。その理由は、自分が中学に上がるとき、学校説明会で校長が「必ず弁当を持たせてください。パンにすると、パン買わずに他のもの買います。これは不良になる第一歩です」と宣ったそうだからだ。こんな理由を自分がおかんから聞いたくらいだから、パンにしてくれと頼んだ事があるのだろう。当時は校内暴力からいじめに切り替わる端境期で、まだ不良が幅を利かせてる時代であった。
 しかし、今から思えば、毎日弁当持たせるというのは、並大抵な事ではなかったかと思う。まず、毎日作るのが大変であろう。おかんの作る飯にまず文句を言った事がないので、弁当にも不満を述べた事がないのだが、毎日毎日違うのを作るというのは、実際やるとなると大変だと思う。ましてや、おかんは当時は勤めに出てたから、子供らに弁当持たせるのは、日常生活を相当に圧迫していたのは想像に難くない。
 自分は社会に出てから、出来るだけ外食しない生活で、独身の時も可能な限り飯は持って行ってたし、結婚してからは嫁はんに作らせているが、自分が持って行ってた飯は、それこそいい加減の極致であったし、嫁はんが作る弁当には大抵ケチがつく。つまり、ちゃんとした弁当作るというのは、はやり並大抵の事ではないのだ。
 自分は「当たり前の様に」弁当持って行って、3時間目と4時間目の休憩時間にかき込んでいたが(そうすると昼休みが丸々遊べるから)、それが「当たり前」でなかった事に気がつくのには、時間がかかった。しかし、作ってもらってなかったら、気がつく事さえ出来なかっただろう。親が子に為す何かの価値は、十数年、数十年してから、輝きだすのである。









もしかしたら我が身

binbou_man
2021/5/3 8:45 西日本新聞

 これが元のタイトルの様であるが、ヤフーのニュースに載った時は、「“異質で迷惑”と見られて…」コロナ解雇で所持金42円、30歳ホームレスの重い言葉という風に変わっていて、ネットでは所持金42円がクローズアップされている様である。
 この記事に対する反応は、ざっと見て半々くらい。同情や政府の無策を非難する声と、この記事やこの記事の当人を批判する声が、半々くらいである。これを見て、「大衆は断裂してるな」と感じずにはいれなかった。自分は、前者の声に属している。
 批判する人は、自分が路頭に迷う様な目には遭った事がないんじゃないかと思う。また、人様に食わせてもらった事もないだろうと思う。そういう体験がなければ、この記事の当人の境遇や気持ちには、まず寄り添う事は出来ない。自分の力で「どうにかなってきた」人にとっては、「どうしてそうなる前にどうにかしなかったのか」と考えるのは、当然至極である。自分だって、自分が経験した事のない境遇には、冷淡だったりする事があるから、批判する人らを非難する事は出来ない。
 自分は時たま、こうした貧困ネタを読むのであるが、それは今ある自分の境遇が恵まれたもの、というより、ただただ運が良かったものである事を、改めて認識する為である。無論、どん底まで落ちていかない自意識や防衛本能もあったればこそだが、それでもそうした個人の努力や才覚など全く無力になる場面もある。自分の場合は、運良く、助けてくれる人が居たり、努力が実ったり、そうした幸運があったから、今こうしてここに居る。
 しかし、それを決して当たり前のものとして捉えてないないから、こうした記事の人たちを、非難したりせせら笑ったりしない。明日は我が身でもあるし、もしかしたら我が身でもあったかもしれないのだ。









旦那芸

(ロースおじさん お悩み相談所)

 定年になると、そば打ちを始めるおっさんというのが多い。実は自分にもその手合いの人が一人いた。知り合いの友達の人だったので、今はどうなってるか知らないのだが、まぁ、旨かった。しかし、美味い蕎麦が作れるのと、商売としてそれが成り立つかは、多くの識者が語っている様に、別問題である。今だから言うが、あの立地、あの店舗面積じゃ、ちょっと商売としては成り立たないんじゃないかな、と思った。今から15年も前の話しなんで、今は確かめようもない。
 自分も、パン作ったりケーキ焼いたりするし、それがご婦人のフォロワーさんのウケがいいので、ブログに書いたりしてるのだが、それで商売しようとは、これっぽちも思えない。そもそも調理師免許も持ってないしね。どんなに上手に、美味しく出来ようとも、それはあくまでアマチュア。お母さんの作ったご飯が美味しい!というレベルでしかない。大体からして、人にあげようと思って作った時に限って、どっかしら失敗してて、ベストなものが出せなかったりする。その時点で、プロになる資格もないのだ。
 定年になって蕎麦を打ち始める人は、仕事一点張りで趣味がない人が多いとかいう話しも聞く。それでやってみたら結構面白くて、そこそこ美味しい蕎麦も出来て、これだったら蕎麦屋も出来ちゃうんじゃね?と「夢みて」しまう、という流れなんだろう。こういう流れを、自分は馬鹿には出来ない。自分だって、ベストテクスクール通って表彰台に登れると「夢みた」時期もあったわけだ。そういうのも、人生には大事な事なんだと思う。なんの希望も、わずかの感動もない生き様というのは、面白なさすぎる。
 しかし、ええ歳して、限度ってのはわかっておく必要はある。自分が常々思うのは、自分がやってるのは「趣味」であって「仕事」ではない。アマチュアであってプロではない。昔、自分の周りにいたライダーの一部には、日々、鍛錬と研鑽を積んで、危険と恐怖に打ち勝ち、頂点を目指そうとする「プロ紛い」な事を至高とする人が何人かいた。そんな人から言わせると、自分などは努力が足りない、という事らしいのだが、自分に足りないのは努力だけでなく、センスである。「1%の閃き」がない人は天才でないのと同じだ。その事が分かってから、苦行ベースの考え方から解放された。
 蕎麦打ってるおっさんも、わざわざ苦行ベースにのめり込んでいく必要はないのだ。自分で食って美味いと感じるのが一番だし、それ以上のものは別にどうでも良いのだ。「旦那芸」という言葉は、もう死語なんだろうけど、自分が常々大事に考え感じている事は、そういう事なのだ。

2021-02-08 11.08.38
嫁はん曰く、このライ麦パンは、ぶっちゃけ不味いそうな
まぁ、無理に食わせてる訳でもないので
迷惑にはなってないと思うが









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