2020-11-24 15.23.02
 そんなこんなで緊急入院となった。身ぐるみ剥がれて、文字通りの裸一貫で入院となったのだが、既婚者の有難いところで、職場への連絡、着替え等の入院装備の準備、猫の世話など、嫁はんを頼れたのが幸いであった。もっとも、自宅から比較的近いといえども、運ばれたのは八千代医療センターである。自分ならスクーターでも行き来できるが、嫁はんは運転だの車庫入れだの自信がないというし、電車の乗り方も分からん田舎者である。集中治療室で看護師さんから「何が分からないんですか」と小学生みたいな事言われてたのも、実は家と病院の行き来の事だったのだ。まぁ、緊急事態であるから、タクシーを使う事になった。
 その入院であるが、当初は2週間ほどと言われていたのだが、翌日、医師から言われたのは、内視鏡の結果、十二指腸からの出血は止まりかかっていて、また担ぎ込まれた時には治りかけというのも十二指腸には多いという事だった。胃の方はよく見てないのでよく分からないが、週明けにも改めて見ましょう、という事だった。
 食事は翌日の朝から出た。17年前に急性腹症(実質は胃炎)で運ばれた時は、3日間の絶食だったので意外だった。出た食事は3分粥の非常にライトなものだった。もっとも、この時点ではまだほとんど食欲がなかった。人体というのは不思議なもので、食ったら出る仕組みになっているらしく、食べ終わったあと急に催したのでトイレに駆け込んだ。真っ黒けの流動体が大量に出た。流しはしたが、細かい黒錆とも砂鉄ともつかぬものが便器の表面に残って、2〜3度流さねばならなかった。その黒錆の様なものは、血液中のヘモグロビン、つまり鉄分だそうで、細胞レベルの鉄錆を見た事になる。
 その後、3分粥が続いたのだが、大が出る気配がしばらくなかった。出たら看護師さんに見せる様に言われたのだが、見せろと言われるとなかなか出ないものである。体調の方は次第に良くなって行ったが、それでもデイルームに水を飲みに行くと、軽く息切れする感じだった。この時点での最高血圧は90くらいだった。
 息切れがしなくなったのは、最高血圧が100を超えてからである。その頃には食事は5分粥に上がっていて、食事の間は猛烈に腹が空く様になっていた。もっとも、3連休のど真ん中で医師の回診もなく、ただただ寝転がってiPhoneで動画見てる以外にする事がない。強制的に休養を取らされている格好である。
 食事の量が増えた事で、大も出る様になった。最初は黒みがかった緑色だったのが、次第に黒みがなくなり、どっちかというと緑っぽい色である。そして最後にはまったく黒くなくなった。そのせいかどうかは分からないが、結局、入院中の再度の胃カメラはなくなり、退院後、日を改めてという事になった。そして、もう退院しても良いという事で、25日の午前に退院した。
 思った以上のスピード退院だったので、結局あれはなんやったんや?という感じがするが、まぁ、このくらいで済んで良かったのだろうと思う。自分はしんどくなると直ぐ救急車呼ぶ質であるが、もしあの時、無理クリ頑張って家に帰ってたら、出血性ショック症状でもっと酷い事になっていたかもしれない。弱さというのも、時には身を守るものである。

2020-11-21 17.51.16
入院翌日の夕食
3分粥なんて、何年ぶりに食ったろ?

2020-11-22 17.49.02
3日目の夕食
5分粥という事で、おかずも形のある物に変化

2020-11-23 17.49.53
4日目の夕食
全粥というらしい。お腹一杯になるが直ぐ減る
天ぷらがうれしい

2020-11-24 18.00.02
5日目の夕食は麦飯が出た
カレイのサラサ煮というのは初めて食った
ひじきの中華サラダ風味も斬新だった