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 自分が時代遅れなのだと思うが、最近、飼い猫の治療費を見ず知らずの人からの募金で賄う動きが活発である。クラウドファンディング、いわゆるクラファンという奴である。何か事業を起こすために出資を募るとか、あるいは恵まれない人に募金する、といった事は、人間の営みの中で大昔からある事であるが、飼い猫の為に募金を募り、かつそれに100万も集まるといった現象に、自分はちょっと奇異なものを感じている。
 有名なこぼれ話しだが、とある女性が飼っていたハムスターが死にかけて、医者に診せたら、治す為には目の飛び出すような治療費が掛かると分かった。その話しを母親にしたら、それまで気の毒がっていた母親が「ハム吉には死んで貰いなさい」と宣った、という話しである。その治療費で、一体何匹のハムスターが買えるか、という事を考えたら、当然の帰結である。
 自分は、両足の怪我が治らない野良ヒマラヤンを実家の親父に押し付けた事があるのであるが、親父はそのヒマラヤンを大層可愛がって、結局死ぬまでの4年間に100万円以上の治療費を払ったという。100万もあればヒマラヤンの子猫が5匹は買えそうなもんだが、後悔してないと言う。思い入れの強さと言うのは、そう言うもんであろう。
 といっても、それは金があったればの話しであって、無ければ出せないのは当然であるし、もちろん助ける事は出来ない。金の有る無しは、自分の甲斐性の問題であるから、無くて困るのも恨むのも、自分自身、と言う風に自分は認識してきた。が、最近はそうでもないのかな。
 人のやる事に口出しする気はないし、金出す気もないから口出しする権利もないのだけど、それでもやっぱり、自分の事は自分でやったらどうなんだろ、と思う。それが社会的に意義のある事ならともかく、純粋にプライベートな事なんだし。それとも、こう言う考え方は、酷薄なんだろうか。見ず知らずの人の猫の為にお金出すのが、今日の慈愛の表し方なんだろうか。