pose_atama_kakaeru_man
 経理の仕事に回されてから、「大体は半年後に爆発する時限爆弾」を抱える様になった。時限爆弾というか、ブービートラップの様なもんで、気を付けてても足を引っ掛けてしまう様な性質である。別に志望した訳でもないのだが、嫌やからと言って仕事辞める訳にも行かん。そんな事しても先がないのだから、薄氷の上を爪先立ちで歩いて行かんと行かん。爆弾が爆発したら、その後始末もせな行かん。嫌な事も辛抱せないかんのだ。
 そこでいつも思うのは、物心ついた時から、オカンが口酸っぱく「嫌な事から逃げたらいかん」と言ってた事だ。嫌な事から逃げたいというのは当たり前の感情だけど、それから逃げてもまた次に嫌な事が来る。逃げれてるうちは華やけど、いよいよ逃げられん様になった時、取り返しがつかん様になってるもんや、というのだ。それを言われてれた時は、実はあまりピンと来なかった。しかし、子供であっても嫌な事はあるし、それから逃げたくても親がそうはさせない。ただ単に「逃げるな」というだけでなく、色々知恵も付けてくれたお陰で、学校行きたくないだの、仕事行きたくないだのと言った、腰抜けな人間にはならずに済んだ。
 自分はこうして「昔の人間」に育てられたお陰かせいか、昔風の人間に育ってしまったのだが、最近は
「嫌な事から逃げろ」という風潮が強い様な気がする。「逃げるが勝ち」という言葉は昔からあるのだが、それとはちょっとニュアンスが違う様な、そんな気がする。世の中には、別にせんでもエエ事も結構あって、そういうのからは別に逃げようがサボろうが差し支えないのだが、ここ一番、頑張らないかんと言った事からは、逃げたらいかん。例えは悪いが、交通事故起こして人はねたのに、その場から逃げる事を考えたら、理解出来るんじゃないかな。つまり、責任が掛かってくる場合は、逃げたらいかんのだ。
 ブラック企業で心身ともに壊れそうになって退職する。これも逃げの一つであるが、この場合の責任というのは、無職になって生活の糧を失う事である。しかし、それ以上に損失が大きいから逃げるが勝ちになる。不登校(という言い方は間違いである。登校拒否と言うべきである)も同様である。自己の責任と損失を天秤にかけたとき、損失の方が大きい場合、「逃げるが勝ち」になるんだろうと思う。
 しかし、責任というのは、往々にして自分一人で完結するものではなくて、相手や仲間や家族が絡んで来る。無職になって、家族もろとも路頭に迷う様な無責任は、やっぱり出来ない。だから嫌な仕事でも行かないかん。これが「嫌な事から逃げたらいかん」というオカンの躾に繋がってくるのだ。

 楽しい時間も嫌な時間も、同じ一分一秒である。その瞬間は、猛烈に嫌だろう。首括りたくなるだろう。でも、そうした時間も過ぎ去っていく。現に今日の嫌な事は、3時間前の話しである。真摯に向き合った結果、それ相応の片付き方がした。おそらく、来年には記憶の片隅になっていると思う。