money_tansu_yokin
 ニートが発生する家庭を見ていると、大抵は親が甘いとか、放置主義とか、要するに子供を締め上げてない家庭に多く発生する様に見える。総じて「甘い」のだと思うのだが、それ以外の条件としては、親にそれなりの稼ぎがあって、いわゆる穀潰しを「飼っておける余裕がある」という条件がある。言い換えれば、そうした経済的余裕がない限り、ニートなどはやりようがないと思うのである。
 実をいうと、自分にもニート期間があった。高校卒業から上京するまでの3ヶ月間。正確には上京資金をためる為にバイトに行き出した6月までの、約2ヶ月間である。小学校4年の頃から早く家を出て自立したかった自分は、親の再三再四の進学しろとの声を無視して、高校卒業と同時に東京に出ていくつもりをしていた。ところが、当時は献血して結果に異常があると献血センターから連絡が来る時代であった。肝臓数値がおかしいから診察を受けた方が良いという。かくして肝炎の可能性があるから、通院・療養せよとの指示である。こうして、望んでもいないニート生活が始まったのだ。親とも没交渉であったから、この先どうするかなんて相談はしない。親の方でも心配げに見てたそうだが、親父の「まぁ様子見てみよう」の意見で、ニート生活が始まったのである。
 ところで、たにし実家は、オカンは激烈に厳しい性格をしているが、オトンは実は優しい性格である。真夜中にプラモデル作ってて、カッターナイフで指を半分切って血が止まらなくなった時、オカンは「出血多量で死んだらええねん」と言い放ったのだが、わざわざ起きてきて止血してくれたのはオトンである。そのオトンは、「10浪してでも国公立大に行け」なんて言う人であったから、もし、自分がニート精神の持ち主であったら、この時、ニートになってたかもしれないのである。ここで凄いのは「10浪してでも」という言葉である。半分は発破かけてるのであろうが、半分はそれくらいの経済力を持ってるという自信の現れである。実際に10年も浪人されてたらたまったもんじゃないだろうが、そう言わしめるほどの力をオトンは持っていた、という事である。
 最近になってオカンから聞いた話しであるが、当時のオトンの年収は相当な額があったらしい。当時にしてその額は驚いた。まぁ、朝は5時に家出て、帰ってくるのは0時頃。そんな働きづめの生活である。さもありなんであるが、そんなごっつい稼ぎをしてたというのには、驚きである。まぁ、親に仕送りして、家のローン返しつつ次の家の金貯めて、子供二人に高等教育を受けさせようという訳だから、相当絞った家計やってた訳だ。こうした家なら、親も大甘、子供も大甘なら、引きこもりだのニートやらせられる。自分がそうならなかったのは、ハートマン軍曹を地でいくオカンが、自分が物心ついた頃にはギュウギュウに締め上げてたからで、オトンも日常的には激烈に厳しかったからである。
 ニートを生み出さない方法は二つである。穀潰しを飼う経済力が親にない事と、たにし家みたいに「鉄拳と罵声」が全てを解決する家庭である。まぁ、後者に関しては、その他にも色々要件があるが、それは書く気が起こったら、その機会に論じてみようと思う。