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(5/11(月) 18:00 文春オンライン)

 前に住んでた賃貸マンションのお向かいの家も、子供を叱っている時はこんな感じだった。叱るというより、罵るといった感じである。そこの子はまだ小さかったのか、盛大な泣き声も聞こえていた。そんな時は、しばらく耳をそばだてて、殴ったり物を投げたりする音が聞こえてこないか、注意をこらしていた。あまりにもやかましい時は、玄関にピンポンしにいった。親が出て来たら文句を言うつもりだったが、一度として出て来た事がない。でもピンポンしに行ったら、怒鳴り声は聞こえなくなった。間接的にその子を助けた事になったと信じたい。
 しかし、だからといって、親が100%悪いとは思わない。というのも、怒鳴り声の部分だけ聞いていれば、虐待してるっぽい風に聞こえるが、実は最初は優しく言ってるのに全然いう事聞かなくて、とうとう堪忍袋の緒が切れた、という可能性もあるからだ。自分もかつては、朝な夕なに怒鳴られて、事によってはど突かれていたのだが、ある時、なんでそんなに怒るのかオカンに聞いた事がある。すると「私だってガミガミ言いとおないけど、お前、優しい言うても言う事聞かんやないか。口で言うて分からんもん、シバかなしゃーないやないか」と苦言を言われた。気分次第で虐待する親もいる一方で、出来の悪い子供もいるのである。
 前に、豊田真由子議員が秘書への罵声と暴力を暴露されて問題になっていたが、彼女も文句の内容をよく聞けば、その秘書がいかにボンクラだったかが分かる。うちのオカンに言わせれば、あんな風に言われてもしゃーない、というところであろう。昔ならあれは問題にならない。昔は、下の者、使われる者は、耐えに耐えて、立場が逆になった時、自分がされたのと同じ事を次の者に申し送っていたのである。今の時代は、耐え忍ぶ側が反撃する手段を持つ様になったが故に、ああした問題になるのだ。
 もう一つは、昔なら、基本的に「怒られるにはそれなりの理由がある」と見なされる事が多かったのであるが、今は「まぁ可哀想」という気持ちを持つ世論が強くなった事である。原因の推測はなされないない一方で、結果のみ騒ぎ立てている。自分にはこれがとても片手落ちに感じる。過度かつ不必要な暴力、不法行為は論外であるが(これは加虐してる側の人間性の問題である)、受け手側の落ち度についても考察する必要はあると思う。問題の解決は、双方から焦点を当てていかないと、解析できないと思う。