kaden_massage_chair
(5/2(土) 12:16 Yahoo!ニュース)

 今日、ケーズデンキで浴室灯と流し元灯の工事の手続きを待っていた時、嫁さんが出し抜けに「もっと給付金出ないですかねぇ」と言い出した。何を贅沢言うとるのかとその理由を聞いて見たら、目の前に展示してあったマッサージチェアを指差して、これが欲しいという。お値段48万円。そこで一頻り、この度の給付金の意義を改めてレクチャーした。本質的に、今回の給付は、生活に困っている人を対象としているのであって、国民に贅沢をさせる為ではないのだ。
 その給付金を当て込んで、浴室灯と流し元灯の交換を行うのであるが、これだって見る人が見たら贅沢な事である。世の中には、すでに食うや食わずの人が出始めている。「災禍()()り、家業(を失いたる者」の為の給付金なのである。その人らから言わせれば、別に壊れた訳でも切れた訳でもない照明器具の取り替えなど、それこそ不急不要の贅沢に見えるだろう。
 自分が子供のころ、親からよく言われたのは、「お前はあれ買うてくれ、これ買うてくれと勝手な事ばっかり言うとるけど、親が頑張ってるさかいに今の暮らしが出来るんやで。これが戦争や倒産やらで仕事なくなったり、チャランポランな親で稼ぎが悪かったりしてみい。そんな事言うてられんのやで」という事だった。そして「目標は上みて高みを目指したらええねん。現状は下みてもっと大変な人がおると思ったらええねん」と言われたものである。
 といった様な話しを、どの様に嫁さんが聞いてたか。実は大体想像がつく。「話し長いのぉ、うっさいんじゃ、ボケ」くらいに思ってたに違いない。なぜなら、自分もそう思っていたからであるw しかし、今にして思うのは、その時はその様に思っていたが、この歳になって、「まことその通りである」と感じる。自分が頑張っているから、今の暮らし向きはどうにか維持できている。自分の努力程度でそれなりの暮らしが出来るのは、運の良さでもあり、恵まれていない人に比べたら、格段の幸運である。こうした気持ちの背景は、「感謝」なんだろうと自分は親の言葉を解釈している。