Vespasianus01_pushkin_edit
(2020年04月17日07時16分 時事ドットコムニュース)

 出すだの出さんだの、揺れ動くどころか、もはや朝令暮改もいいところになってきているのであるが、ともあれ貰えるなら有難い事である。理想を説くなら、そりゃ困ってる人に手厚く、比較的困ってない人は辛抱せい、というところであろうが、そんな悠長な事言ってる暇があったら、ともかく当座の金を、平等に配るのはそれほど悪いとは思えない。出るとなったらなったで、色々ごちゃごちゃ言う人も出てきている訳であるが、要らん人は受け取り拒否すれば良い。自分はどんな金だって、それが公衆便所から出てきた金だって、ありがたく頂戴する。金は臭わないのである。(この逸話はローマ皇帝ウェスパシアヌスを参照の事)
 問題は、使い道である。10万円といえども、人によって、価値も意義も使い道も異なるだろう。食うや食わずの人、支払いに困っている人、そうした人は、直ちに生きるために使う必要があるだろう。自分はそこまで逼迫してはないのだが、仕事激減のおり、今年の一時金はもはや当てにしない方が良さそうだし、となると年間計画の貯金が出来ないのは言うまでもなく、トランポの車検や、今年やろうとしてた家の軽工事の費用が危ない。TT-R125の前後サスのオーバーホールもした方が良さそうだが、嫁さんからは風呂場の風呂桶をデカいのにしてくれと言われている。そう言うのは、どうなるか。
 無論、将来の不安に備えて貯金するのも、判断の一つとしては有りであるが、この10万円と言うのは、やっぱり経済を回す為の費用だと思う。そもそも貯め込む事が出来る人は、お金使う用事のない人で、それこそ「そんな人に必要なのか」と言う反駁に正当性を与える事になる。ちなみに嫁さんに使い道を聞いてみたら、「食費に回します」との事。相当上等な物を食わせてくれるのかもしれないが、そんな事はあるまい。生活費はとりあえずこれからも渡すのであるから、迂回的に懐に入れると言う意味である。それではこの10万円給付の意義が損なわれるではないか、と突っ込んでおいた。
 元は自分らの税金と言えばそれまでだが、臨時で入る収入には違いない。しかも社会的に意義のある給付である。個人的な事に使うとしても、それが誰かしら世の中の人(出来れば身近な人)の為になる事に使いたい。ここは頭を絞るところである。