nayamu_boy2
 嫁さんがしきりに「食洗機が欲しい」というのであるが、ずっと却下している。というのも、二人しか家族が居ないのだから使う食器もたかが知れているし、そんなもんくらい手で洗ったら良いものを、と思うからだ。ましてや嫁さんは令和の時代には希少種の専業主婦である。もし、そんな事を、自分の小学校の頃のオカンに言ったら、一体なんと言い返されるか。「あんた、手付いてへんのか?」くらいは言われそうである。ちゃんと手は両方揃ってるから、ぐうの音も出ないはずである。
 自分のオカンは、当時の同級生からも「お前のオカン、きっついのぉ」と言われるほどキツイ人だった。忘れもしない小学校3年の時である。どうした訳か、全学年でシャープペンシルが大流行した。当時のシャープペンシルは、今みたいにシャーペンと略されるほど安いものではなかったのだが、クラスでは自分以外は全員持ってたのではなかろうか。小学生の低学年となると残酷な生き物で、みんなが持ってる物を持ってないと、人間扱いしてくれない世界である。自分は普段は物をねだらないのであるが(ねだっても怒られるだけで買ってもらえないのが分かってるから)、この時だけは流石に羨ましくて堪り兼ねて、オカンにシャープペンシルをねだったのである。ところがオカンはこっちの都合は一顧だにせず、スフィンクスの様な顔で「あんた、鉛筆与えてあるやろが。あれ書かれへんのか」と宣ったのである。書けない訳がない。そうじゃないんだ、でもそんな子供の都合など、御構い無しである。そして滔々とオカンの貧乏な子供時分の話しを聞かされるのである。曰く「私ら鉛筆持てん様になるまで使って、そのチビた奴を見せへんかったら、次の買うて貰えへんかったんやで」と。それに比べたら、あんたは恵まれてる、という事である。そんな事言われてれても、何の救いにもならなければ、 明日も学校で非人間扱いは続くのである。その窮状を訴えても「早よ大きなって自分で買い〜」とせせら笑われて終わりである。
 今にして思うと、よしんばシャープペンシル買ってやっても、勉強頑張る訳でもなく、ブームが過ぎたら無駄に壊して終わり、と見切られてたのだと思う。実は3学期に、親父がどこから持ってきたのか、シャープペンシルをくれたのである。遅まきながら、ようやく自分も人間扱いされる日が来たのである。とこが、4年生になった途端、学校からシャープペンシル禁止令が出て、学校に持っていくのが禁じられたのである。シャープペンシルブームは一気に終息し、親父から貰ったシャープペンシルもその後どうなったか覚えていない。結果的に無駄なもん買わなかったオカンが正解だった、という事である。子供というのは、甘やかすとキリがない、とはオカンがよく言ってた事である。
 そのオカンとこないだ電話で話ししたのであるが、あっちでも新型コロナウイルスの話しで持ちきりらしくて、しかも長岡京市でも死者が出たとかで、他人事とちゃうわー、と言っていた。その話しの流れで、買い占めだの自粛への反発や無理解の話しも出たのだが、オカン曰く「大変大変いうても、戦争終わったあとの事考えたら、今はまだマシやろ」と。ウチのオカンは終戦直後に生まれた人で、戦時中の事は知らんのであるが、親やお婆さんから聞いた話しの事を言っているのである。その話しを聞いたオカンから、自分も股聞きでその手の話しは聞いているので、オカンの言わんとする事は理解できる。しかし、自分の下、さらにその下はどうか。「オカンな、そんな話ししたって、せいぜい分かるのは俺らの世代までで、今の若い人らには分からんで。源平合戦みたいな、大昔の話しになってるんやで」と言うと、オカンも年を取ったのか、そうやなー、と返事してた。
 しかし、こうした話しは、古臭い過ぎ去った時代の価値観でしかないのだろうか。自分は本当の意味での貧困に身を置いた事はないが、貧しかった時代を知ってる親に育てられたお陰で、それとなしに知識と知恵を授けられた気がする。何も知らないで困窮の中に陥れられるよりは、まだマシな何かを持っている気がする。