seisyun[1]

(プレジデント Digital 2020/03/31 17:00)

 この記事を読んで、自分は率直になるほどと思ったのだけど、コメント欄を見てみると、「上から目線」だの「自宅に籠りっきりの記者の独善」だの、あまり評判が良くない。まぁ、タイトルに「大バカ者」と書いてあるので、読んだ人が自分をバカにされたと感じたのかもしれない。自分も先日「盲いたる民 世に踊る」なんて記事を書いたから、不快に思った人もいたかもしれない。
 しかし、直言というのは、往々にして耳に痛いもんだし、また直言の中にこそ聞くべき意見があったりもする。自分は前々から言っているが、今回のコロナ禍、14世紀のペスト禍とか、小松左京の『復活の日』みたいに、人がバタバタ倒れて、道端に死体が転がって腐り始めてる、みたいな、そんな絶望的な状況では、全然ない。確かに病院は患者が押し寄せてエライ事になっている。イタリアの方では火葬場が間に合わなくなりつつあるという(あっちは土葬だと思ってたんだが、変わったのかな)。コロナ禍が直接の原因で酷い事になっているのは、他人事みたいな言い方になるが、そこら辺くらいなものである。
 にもかかわらず、どうして世の中全体がこんなに大騒ぎになるのか。どうしても自分は針小棒大な気がしてならない。病院が大騒ぎでこれ以上患者を増やしたくないから、感染しないように家に居ろ。これは分かる。人出がなくなるから、客商売が上がったりになる、仕事いけないから稼ぎがなくなる、そうした連鎖的な事も、まだ分かる。食うや食わずの貧しい人らも、今日明日死ぬ訳ではないから、やっぱり先の事(人によっては今日の事)が心配なのも分かる。諸々分かるけど、それに輪かけて、みんなが末世感で過度に不安に陥ってるのは、ちょっと分からない。今日も満員電車で出勤した訳だが、本当に死の恐怖があるなら、仕事になんか行けないし、家に閉じ込められてても祈るほかに何も出来ないだろう。
 うがった見方になるけど、「身の危険がないレベルで社会不安に浸りたい」なんて気持ちがどっかにあるんじゃないか、なんて思ったりもする。まぁ、それはそれでも結構だが、どんな事になろうとも、最後の最後は自分の気持ち次第である。ドデンと構えているしかないんじゃなかろうか。その意味で、大バカ者になるな、とこの記事は言ってるんだと自分は解釈した。