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 嫁さんから、とある人がこんな事を書いているがどう思うかと問われた。その人曰く、

年収の低さが問題なのではなく、その低い年収しか得られない能力の低さが問題なのだ

 どうやら、婚活関係の話らしいのだが、自分の答えはこうである。

能力が低くても収入の高い人はどうなのか、能力が高くても収入の低い人はどうなのか

 親の七光りとか親の財産がある人というのもいるし、大学院まで出たのに手取りが20万なんて話しもザラにある時代である。学歴社会が崩壊したと言われて久しい訳だが、貧民化政策が進んでいるこの国で、能力=年収という構図は、当てはまらない部分が出始めていると思う。
 ぶっちゃけた話しをすれば、いくら収入が高くても性格に難がある人は忌避されるだろうし、いくら人柄が良くても暮らしていけるに足る収入がなければ、伴侶としては対象外という事になるだろう。何のかんので、食うに困らない(で、出来ればちょっと贅沢できる)程度の収入があって、気が合ったり性格が良い相手、というのが求められる平均値という事になるのではなかろうか。
 とはいえ、こうした「普通の人」というのが、実は非常に曖昧な条件で、なかなか見つからないという声をよく耳にする。性格の良さなんて、プロフや釣書ではまず分からないし、1回2回会った程度でも分からないだろう。一目で分かるのは、文字に書かれた数字である。年収は数字で表されたその人の能力であり、年収が高ければそれだけ生活も楽というのは、統計的な結論である。だから、上の意見の人も、もったいぶった事を言わないで、素直に年収の高い人が良い、と言えば良いのだ。
 条件とか要求項目とか、そうしたのを持つ事は大事な事であるし、必要な事だと思う。しかし、その一方で自分は、運だとか偶然だとか、奇跡といったものでさえ、非常に重要なファクターだと思っている。どんな事でも頑張りというのは必要なのであるが、頑張ったってダメな時はダメなのだ。ただ、それでも頑張り通した時、ふと何かの偶然とか、あるいは奇跡としか思えない事とか、そうした運によって状況が展開したり前進したりする事がある。実は自分の人生には、そうした事がしばしばあった。その運を上手く拾えるかどうかは、条件とか要求とかにあまり教条的になり過ぎない、という事だと思う。
 大事な事は何であるか。試験に合格する、争議を解決する、結婚相手を見つけたり、家買ったり、そうした結果の部分である。慌ててカスを掴んでは仕方ないが、そうした「こぼれ球」をよく捕球するセンシティブさが、非常に大事だと思うのだ。