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 先日、新しいバイクが来たのであるが、自分の姿を見て「これではダメだな」と感じた。太り過ぎである。太ってる自覚はあるが、やっぱり自分の姿というのは、普段はなかなか意識はしないものなので、写真で見るのが一番である。かつて自分を批判した奴から直接言われたのは、「一所懸命スクール通ってても、その体型では「論・技・体・心」の技の所で止まってしまって、先に行かないだろう。痩せなくても良いから、動ける身体になったらどうなんだ」という事だった。流石に直言してくるだけあって、なるほどと思ったものだ。そこで、スポーツセンターで水泳やったり、グループセンタジーやグループファイトやって、3年ほどしたらレースで全然息の上がらない身体になった。痩せはしなかったが、動ける身体にはなったのだ。
 しかし、それも結婚して四街道に引っ越して、終わりを遂げた。新小岩の時は、13時ころ家を出たら余裕で職場に出勤できて、帰りも23時前には家に着いていた。スクーターを使えば、さらに30分ずつ余裕が出来たのである。だからこそ、出勤前に水泳したり、仕事終わってからセンタジーやファイトが出来たのである。ところが今は、11時半には家を出なければならないし、帰りは24時前である。しかも、家の近辺に直ぐに通える運動施設が無い。とてもではないが、出勤前に水泳、なんて事は出来ない。そこへ持ってきて、帰りの通勤がどういう訳か、猛烈に疲れるのだ。ウチ帰ってから、近所をウォーキングしたり、なんて気には全然ならない。
 と言った様な泣き言言ってる場合ではなくなった。時間がないのも、仕事から帰ってきて疲れ果ててるのも、これは仕方のない事である。となれば、どっかで収支の帳尻を合わせる他ない。と言って、勢い絶食も効果がない。長年の生活習慣に基づく弊害を、短距離走の根性論でどうにかしようとしても、それは良くて最大瞬間風速的な効果しかもたらさない。半世紀もこの体と付き合ってきたのだ。基本的に痩せないし、痩せた状態を永続できないのである。
 自分がテキメン太り出したのは、日本飯盒協会を始めて、飯盒メシの美味さを知ってからである。米の飯というのは、過度に食うと太るのである。全く食わないというのも科学的に具合の悪い事なので、他のものに置き換える。昔から、「野菜など雑草」というデブ理論の一方で、「野菜はドレッシング次第でオカズにも主食にもなる」という考えも体験的に知っている。余分に摂ってる米の代わりに、野菜を美味く食う方法を模索している。
 それがどれだけ効果を発揮するのか、はたまたいつまで続けられるのか、それが出来てたら今頃太ってないであろうだけに、あまり自信のない事であるが、ともあれ日常的には、ズボンやベルトのキツさをバロメータとして、意識し続けるしかない。あとどれだけの間、ライダーやれる時間が残っているのか分からないが、現状ではダメなのだ。