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 この本は、たまたまツイッターで早川タダノリ氏が紹介してたのを見て、興味持って取り寄せた。Amazonのとある書店から取り寄せたのだが、カバーに直接べったりタグのシールが貼られていたのをみて、怒り半分萎え半分。いくら古本だからと言って、扱いの雑さに閉口した。中が綺麗だっただけに、残念な事である。とりあえず、文句を先に書いておく。

望遠鏡と顕微鏡
 この本の冒頭に書かれていた「ノスタルジーとは、いわば望遠鏡を逆さに覗くようなものである」という言葉は、非常にグッとくるものがあった。この本は、明治から昭和初期にかけての、東京での貧困問題を扱った本であるが、この言葉は、歴史を学ぼうとする人にとって、箴言の一つだろうと思う。
 例えば、自分がツイッターでフォローしている人の中には、真剣に旧日本軍の研究・保存活動をしている人や団体がいくつかあるのであるが、その活動を高く評価しつつ、見過ごされ、忘れられようとしてるものがあるのではないか、という気持ちが無いわけでは無い。いわゆる軍隊におけるイジメ、シゴキ、嫌がらせ、「人の嫌がる軍隊に」の部分の研究や再現は、ほとんどされてない様に思う。かつて日本の軍隊経験のある人にとっては、それこそが日本の軍隊の有様であったろうと思うのだが、そうしたリエナクトプレイも見かけない。
 しかし、それは責められる事では無いのだろうな、と思う。というのも、過去のそうした事に興味を持つ第一歩は、「恰好良さ」であり、ついで「素晴らしさ」であろうから、そうしたものを追究していくのは当然の流れであり、暗部には出来れば触れたく無いのは至極自然な事である。「捧げ銃」だの「セミ」だの「自転車」だの、さらには「体前支え」だの、対抗ビンタや上靴や帯革ビンタなんかやってる団体があったとしたら、もう、ただのサドマゾ団体にしか見えないと思う。
 「おしん」という有名な朝ドラがあるが、これとても当時としては超ラッキーなスーパーガールの話しである。ドラマであるから、そういう子を主人公に据えなければドラマにならないのであろうが、現実的な視点にたてば、女工哀史を地でいった、おしんの姉のはるこそが、おしんの時代の主たる少女だったと言えると思う。

 とまぁ、分かった様な事を偉そうに書いたが、自分も偉そうな事を言えた義理では無い。では、この手の本を読んだからと言って、貧困問題に立ち向かったり、何か思いを致したりする訳でも無い。遠い時代の、あるいは遠い国の、小汚い有象無象を、興味本位で覗き見してるだけである。顕微鏡で微生物が蠢いているのを覗いている様なものだ。
 結局のところ、大した事はないのだ。精々「自分はこんな風でなくて良かった」と思うくらいである。もしかしたら、何か辛い事があったら、ふと「あれに比べたらマシ」くらいには思うかもしれない。でも、自分が「そこに居なかった」というのは、決定的に些かの共感も同情の念も生じさせないのだ。自分は小物である。