平成という時代は、1989年から始まって2019年の30年で終わるのだけど、これは丁度、自分が20歳から50歳の間に当たる。個人史を起こしてみると、次の様になる。
1989年1月:(20歳)平成始まる
1991年4月:(22歳)就職する
1999年3月:(30歳)会社が解散する
2002年10月:(32歳)再就職した会社を不当解雇されて、一人争議始まる
2005年10月:(35歳)争議が終わる
2007年4月:(37歳)今の職場に就職する
2019年3月:(50歳)
 1989年頃というのはバブル景気の絶好調の時期だったのだけど、1991年に就職したのは、それまでバイト先に来てたのが中国人だの韓国人だのバングラだったのが、冴えないモノにならなさそうなオッサンが「リストラされた」と口揃えて来る様になり、「こりゃ何か起こってるな」と予感してフリーター生活から足を洗う決心をしたからだ。実のところ、実入りはバブル期の最大の時は月45万円ほど稼げてたのが、その頃には26万円くらいまで落ちていた。それでも就職した時は月16.5万円になったのだが、長い目で見ればこの選択は間違いではなかったと思う。そのまま、のんべんだらりとバブルを引きずったフリーター生活をやっていたら、おそらく次の10年は越せなかったと思う。
 1999年3月に勤めていた会社が解散した。その2年ほど前から仕事が激減してたので、いつかもはやと思っていたが、結局そうなった。関連会社に移る手立てもなかった訳ではないが、既にその会社に相当不満溜めていたのと、腕に自信がある(と思ってた)ので、退職金もらって辞める事にした。8年前の就職活動がイージーだったので何とかなると思ってた、これがなかなか上手くいかない。今で言うところのブラック企業みたいな所を短期で2回ほど変わり、3度目で就職した所をたった1年で不当解雇された。
 その解雇の手口が汚く頭に来たのではあるが、それ以上に再就職が難しかった事の方が問題だった。つまり、労働組合の力を借りて争議の力で職場に復帰しようと図ったのだ。その争議は3年続き、結局は解決金を取って職場復帰なしで終わったのだが、その間は専従争議団(といっても自分一人なのだが)として、他で働く事なく争議活動一本で暮らした。つまり、労働組合と支援者の皆さんに、文字通り食わせて貰ったのである。(このドラマは、機会をみて書きたいと思う)
 争議が終わって今の職場に入るまでが、おそらく人生で一番不安な時期だったと思う。争議を闘っている間は、敵もいるし味方もいるし、闘う事で気が紛れたが、それが一切なくなって、収入もなくなって、明日の希望とかも持てないでいた。実際には、解決金が相当残っていたし、仕事も争議のツテで細々とやっていたのだが、とは言え社会身分としては、フリーター以下だった。ワーキングプアという言葉が現れた時代だった。
 だから、今の職場に拾われたのは(それは正に奇跡だと言ってもいいのだが)、幸運以上のものがあった。2008年の暮れに、日比谷公園で興された年越し派遣村。あそこで炊き出しを啜っていたのは、 もしかしたら、自分だったかもしれないのだ。それを今の職場でテレビ越しに見てたという事が、猛烈な幸運だったのである。

 こうやって振り返ると、自分もこの30年でこの国で起こった経済の浮き沈みとは全く無縁ではなかった。家族や出会った人々に恵まれ、その上、運まで良かったから、今、こうして居られる。今ども折に触れて、Youtubeにアップされた、今から10〜20年前に制作された貧困を取り扱った番組を見るのだが、それは自戒のためである。確かに、悲しみも苦しみも、頑張りもしたけども、自分は「ただただ運が良かったのだぞ」と。