明治三十六年五月、公大阪に下り給ひし時、家従を随へて其地の砲兵工廠を巡覧あり、楠瀬中将(幸彦、時に少将)其堤理として親しくご案内申上げたり。公は天主閣の址に登らせ給ひて、今昔の戚に堪えざる御様子なりしが、やがて工廠内に入られ、職工の作業を仔細に御覧あり、たまたま製作中なりしアルミニュームの飯盒を見て、種々堤理に問はせられければ、堤理は飯盒一個を取り上げて、其側に記せる下の線まで米を容れ、上の線まで水を充たして炊くことをも、精細に説明申上げたるに、公は其一個を所望されれ、帰京の後、居間の火鉢にて親しく炊き試み給ひしに、日頃の食事にも勝りて極めて美味なりければ、やがて堤理にアルミニュームは人体に害なりや否やを聞合されしに、そは軍隊にて用いて程もなく、精しき試験もなさざれば、害の有無は確証すること能わざるも、銀ならば無害を証すとありければ、公は銀塊を大阪に送り、堤理の指揮にて製作せしめたるが、程なく成りければ、公は喜びて、日々の食事を親しくそれにて炊かれしといふ。此時公は鄭重なる挨拶状に、御自筆の短冊を添へて堤理に贈られたり。

(徳川慶喜公伝. 巻4 渋沢栄一著 第三十五章 逸事 日常生活)

  「元大君なのに、もうっw」とツッコミを入れたくなるエピソードなのだが、この話しは、歴史マニアだけでなく、アルミニウム業界でも語られる話しの様である。しかし、同じ飯盒愛好家として、太字で示した部分は、非常に共感を持てる。自分だって、「たまたま」飯盒だったのであり、それで上手に炊けた飯は「極めて美味」だし、結果、毎日飯盒で飯を炊く様になった。
 前回、飯盒は日用品であって、特段の意義も思い入れも実はない、という事を話ししたのだが、もし意義なり思い入れがあるとしたら、美味いご飯が炊けるから使っているのである。オカズも作れない訳ではないが、フライパンとか使った方が美味く出来る物に関しては、そちらを使っているのである。
 しかし、飯盒で炊いたご飯が美味くなければ、そんなに積極的に使おうという感じにはならない。というのも、自分は野宿ライダーを目指そうとしてた20代始めの頃に、その教祖的ライダーの人の本に「弱火で炊く」と書いてあるのを20年近く墨守してきたのだが、その間、毎日飯盒で飯を炊こうと思うほど、美味い飯が炊けずに来た。最近になって、ようやくその誤りに気が付いて、美味い飯を炊ける様になって初めて、「日々の食事をそれにて炊く」様になったのだ。
 してみると、慶喜公に飯盒の使い方を精細にご説明申し上げた楠瀬中将は、恐らく炊き方も精細にご説明申し上げたのだろう。結果、慶喜公は普段食べてるご飯よりも美味い飯を食べれただけでなく、「自分でも炊ける」様になったのだ。そりゃ、嬉しかっただろうと思う。慶喜公が火鉢に飯盒を掛けたのと、自分がベランダで飯盒使ってるのは、まったく同一の理由なのである。
 にしたって、毎日でなくたって良いだろう、って話しもあると思う。まぁ、食事は毎日の事であるから、飯盒を使う立派な理由にはなるのだが、ただそれだけではない。上手く説明できないが、飯盒でご飯を炊いている10分そこらの時間は、他に何もしない(というか出来ない)、ただ飯盒とストーブの火だけを見てる時間である。ある種のリラクゼーション効果でもあるんじゃないかと思う。もっとも、これは自分が勝手に感じてるだけで、眉唾ものだと思ってもらって差し支えない。

 ところで、こんだけ飯盒好きなんだから、自分も慶喜公にあかやって、銀製の飯盒が欲しくなった。で、色々調べてみたら、京都の清課堂という銀細工の工房が、銀製の飯盒を作った事を知った。一体値段は幾らするのか、清課堂さんに問い合わせてみたところ、丁寧なお返事が来た。

さて、お問い合わせ頂いた銀製飯盒についてお伝えいたします。
 
丸形の銀製飯盒
価格:40万円〜(税別)
納期:約50日
 
空豆型の兵式飯盒
価格110万円〜(税別)
納期:3ヶ月〜4ヶ月 
工房の混み具合にもよりますが、
丸形に比べるとかなり手間がかかるため、お時間がかかります。
 
なお、価格が”〜”となっておりますのは、
サイズ・厚みによってお値段がかわるためです。
 
どうぞご検討のほどよろしくお願いいたします。

 ごめんなさい、ちょっと手が出ませんwww 恐らく、飯盒で飯炊く以外の理由でアルツハイマーになると思うので、貧乏タレの自分はアルミニュームので良いです(汗)


清課堂さんのHPから拝借

慶喜公が作らせたのは、いわゆる空豆型の飯盒だったと思う