0cbbe3c080e5e1f9e8a8aa4a35fdcf96
 即ち飯盒は背嚢に着けてある時は何用に為すかといふと米櫃と弁当鉢の用を為し、弁当鉢としては二合分米櫃としては五合分を容れ、之で飯を炊くに当たっては先ず枡を代用し次に磨ぎ桶となり、それから釜となって飯を炊くので、飯が出来ると椀にもなり皿にもなり飯櫃になるので、尚又早代わりして鍋になって汁を作られると思うと、鉄瓶に化けて湯を沸かし、茶を煎じて茶釜となり急須となり、それかと思うと水を汲む桶ともなり酒を癇する徳利ともなり、其他頗る広く用いられるのであるが、陣中とはいえ此飯盒は如何にも多くの便益を為すではないか。(松本恒吉著『征露土産』)

 上記は、日露戦争に従軍した軍人が、「飯盒って、色々使えて便利でした」と懐古した一文なのだけど、自分も誠に同感で、18歳の夏に上京して以来、一時の断続はありこそすれ、飯盒を切らした事がなかった。下の写真は、今、自分が自宅で使っている調理器具一式なのだけど、作れと言われたら、これで大抵の物は作ってしまう。まぁ、自分がやれる範囲なので、もちろん出来ない事もあると思うが、日々暮らしていく上で、まったく不便を感じた事がないのである。
 飯盒みたいなもん使わないでも、もっと他にあるでしょう?とはよく言われる。実は自分も、大抵の鍋釜の類いは使って来たのである。片手の雪平鍋も、両手のホーロー鍋や文化鍋、中華鍋、長方形の卵焼き器、色々である。しかし、結局のところ、飯盒とフライパンとヤカンにボールに集約されていった。
 たしかに、飯盒は色々な事に使えるが、完全にオールマイティという訳ではない。オカズを作るのはフライパンの方がやり易いし、卵とかソーセージ焼くのもフライパンの方が便利である。お茶の作りおきはヤカンの方が容量があってやり易いし、サラダ作ったりオカズの具材を切り分けて置いとくのはボールの方が便利である。それ故に、飯盒以外にも、こうした道具を揃えているのであって、飯盒を愛好しているからといって、何が何でも飯盒だけで暮らそうなどという、不便をかこつ気はサラサラないのだ。
 じゃぁ、なぜ飯盒なのか。それは、フライパンを使うまでもないもの、ラーメンやパスタ、ソバなどを煮たり湯がいたりしたり、汁物作ったり、そうした鍋の役割を果たす他、フライパンで作った大量のオカズを入れて冷蔵庫で保管するフードコンテナの役割もある(これが極めて収まりが良い)。最近は、直火で炊いた飯があまりにも美味くて、炊飯器を使う気にならなくなったから、飯炊き用とオカズ用で飯盒を2つ運用する様になったくらいだ。
 ここまで書いても、「どうして飯盒を日用品として使ってんだ?」と食い下がる向きがあるだろう。ぶっちゃけ、日用品だけに、大して意味も意義も感じずに使っているのだが、それは18歳からこの方、いつも飯盒があって、他の鍋釜と使い比べた結果、飯盒の方が使い易かったから、という他ない。狭い、限られたスペースしかない台所で、もっとも簡潔かつ効率的に使えたのが、飯盒だったという訳だ。これは、せいぜいキャンプや林間学校でしか使った事のない人や、軍装品だと思ってる人には、ちと理解できない感覚だと思う。
 それでも、どうしても飯盒を使う意義を見出したい、という事であるならば、飯盒は本来は野外で使うものであり、かつ差し迫った状況で使われる物だった、という事を思い出せば良い。飯盒(特に兵式飯盒)は、震災の復旧時に役に立ってくれるものである。そうなった時に、普段から飯盒があり、飯盒を使っていれば、まごつかずに済む。まぁ、そんな場面にそうそう出くわすものではないが、最近流行のチャチなソロクッカーなんかよりも、遥かに役立ってくれるはずである。

 と、まぁ、ここまで書いても、アンチな人はいると思う。別に飯盒使う事を強制するものではないし、不便に感じるなら使わなければよろしい。それが日用品の定義であると思う。