■「子を褒めて伸ばす」ブームで子が潰れるー本当は恐ろしい「叱り方3カ条」
(PRESIDENT Online 2018.4.17)

 子育てであれ人材育成であれ、「誉めて伸ばす」というやり方がある。やる気を促進してより良い結果を導き出す、という意味であると思っているのだが、実際にはどうか。誉めるというのは、何か良い結果や良い素質があったればこそ出来る事で、そうした物事がなければ誉めようがない。むしろ世間一般では、「出来て当然、出来なきゃ叱る」というのが普通である。
 かくいう自分も、自分の過去を振り返って、誉められた記憶というのがほとんどない。親に関して言えば、全くと言っていいほど誉められた事ない。特に誉めて欲しい子供時代は、とにかく二言目には「アホ、ボケ、カス」と言われていたので、長じて誉められたりすると、背筋がモゾモゾして居心地が悪い。その様な訳で、誉めて伸ばされた訳ではないので、その教育法がどういったものなのか、全く理解できないのである。
 「誉めて伸ばす」やり方をしている人は、それはそれは誉めるのが上手な人なのだろうと思う。誉めるポイントを見つけ出すのが上手というべきか。以前、有限不実行のビッグマウスの子供について書いた事があるが、あれを例にとって、一体どこを誉めたら良いのか、考えてみた。結論としては、やっぱり誉めるところがない、というものだった。それでもなお誉めねばならぬとしたら、もはや「息してる!偉いね!」くらいしか良い様が無いのでないのか。それは誉めた事なるのか。
 「口で言うて分からんもん、シバかなしゃーないやないか」というのは、自分が子供の頃の基本的な教育法だった。シバかんでもエエ子は賢い子、シバかないかん子は手のかかる問題児のアホ、シバいてもどうにもならんのは「神様の子」だったのだ。今の時代は、シバいてはいかん事になっている。おそらく、シバいたところで成果がないか、もっとひどい事になるからなのだろう。だとすると、一体どうやっているのか。非常に興味のあるところである。