2019-02-14-00.07.40
 嫁さんが大豆のごった煮を作ってくれたのだが、帰宅する1時間ほど前に作ったとあって、ささがきにされた余ってたゴボウが、大嫌いな金平ゴボウ状態になっていた。当然食べずに避けたのだが、その一方で、水煮の筑前煮の具に入ってたゴボウはしっかり食べた。この違いは何なのか、金平ごぼうが好きな人には理解出来ないと思う。
 金平ゴボウこそは、自分がこの世で唯一、本当に食べれないものである。食べたくないのではなく、食べれないのである。食べたくないのは、食べようと思えば食べれるが食べたくないだけなのに対して、食べれないのは食べようと思っても食べれない。ゴボウアレルギーでないので、好き嫌いの話しではあるが、食えないものは食えないのである。その根は、小学校低学年にまで遡る。
 これまでにも都度都度語ってきた様に、ウチのオカンは旧帝国陸軍なみの鉄拳制裁の人であったのだが、この金平ゴボウを巡っては、幕府の役人がキリシタンを転ばす様な、硬軟取り混ぜた責め方をしたものである。およそ食い物の事だけに、鉄拳だけでは効き目がないと思ったのか、「いっぺん騙された思て食べてみ」「そのまま飲み込んだらええねん」「こんな美味しいもん、食べへんかったら損やで」などなど、あれこれとまくしたててくるのだが、自分の口の中には、筋っぽくて泥臭い、噛んでも噛んでも咀嚼できない、そう、木の根みたいなのが、いつまでも口の中にあるのである。いっそ、飲み込んだ方が楽だったかもしれないが、得体のしれない食い物と思えない物体を体内に入れる事を、頑として脳が受け付けなかったのである。
 すると、オカンがこんな話しをしだした。日露戦争の旅順口攻略のかの乃木希典将軍の逸話である。曰く、「乃木将軍が幼かったころ、梅干しがどうしても食べれなくて、親から断食を命じられたところ、あまりの空腹に耐えかねて梅干しを口にしてみたら、殊の外おいしくて以来食べれる様になった」というもの。嘘かホントか分からんし、そもそも小学一年生が乃木将軍など知りもしないのだが、梅干しというキーワードには閃いた。ウチのオカンは、梅干しのほか、漬物が食えないのである。そこですかさず、「お母さんが梅干し食べたら、僕もゴボウ食べる」と切り返したのだ。おかげでゴボウを無理やり食わされる虐待はなくなり、以来、金平ゴボウは絶対食えなくなったのである。

 しかし、長じて、ゴボウには食べれる料理法がある事を知った。豚汁にはゴボウが入ってないと嫌だし、筑前煮もそうである。いつぞや作った軍隊調理法の牛肉佃煮なんかもそうである。これらはよく火が通って柔らかくなっていて、かつ泥臭さもあまり感じない。むしろゴボウの風味がその料理を引き立てるものである。どうせなら、美味しく食べれる様に作った方が、食う方も食われる方も幸せというものではないか。
 まぁ、金平ゴボウが好き、ないしは食べれるという人が圧倒的に多いので、自分の論は少数意見であるが、嫌いなものを無理やり食わすよりは、食える選択肢を示してもらいたいものである。