■お金のない人は動物を飼っちゃダメ!?今一度考えたい飼い主の資質
(2016年10月31日 17:11  おたくま経済新聞)

 「お金のない人は動物を飼っちゃダメ」って、当たり前の事だろうに。食うや食わずの生活してて、自分の先行きも不安な人が、動物飼っても、食わして行けもしなければ、生かせもしないだろう。
 と、エラそうな事を言いつつ、自分にも辛い思い出がある。東京出て来た翌年の19歳の頃、四畳半のアパートで人懐っこい賢い茶虎の猫を飼っていた。といっても、日中、学校やバイトに行ってる時は、外に出して、帰って来たらウチに入れるという、半野良。エサは、炊飯器がなかったので、飯盒で飯炊いた時だけ、ご飯に鰹節混ぜたのをあげて、ご飯ない時は、鰹節だけあげてた。帰省の時は、一週間くらい外で放ったらかしだったけど、ちゃんと待ってた。1年くらいしたら、子猫を4匹くらい産んで、うれしいやら途方に暮れるやら、とりあえず、一緒に面倒みてたけど、知らない間に居なくなってた。
 そんなある日、毎晩帰って来たのに、こない日があった。で、翌朝、学校に行こうとしたら、アパートの外で血まみれになって倒れてるのを発見した。幸いまだ息はあったのだが、どうしていいか途方に暮れてしまった。当時は、猫を病院に連れて行くなんて習慣がなかったし、そもそも金がない。困り抜いて実家のオカンに電話してみたが、オカンも同様で病院連れて行けなんて言わず、とりあえず暖かくして(季節は冬だった)、出来る限りの事したり、という返事だった。
 猫の状態は、とりあえず生きてるけど、動けない状態。固形物も摂れない状態である。仕方ないので、毛布にくるんで、マタタビ入りの牛乳(人間用)を口の横からストローで流し込んで、下は垂れ流し、というのが、「出来る限り」の事だった。猫は生命力が強かったのか、時々立ち上がろうとして倒れたりと、目を離したらエラい事になってたりしたが、徐々に痩せて弱って行った。そして、発見から1ヶ月は生きたのだが、とうとう、ガリガリになって死んでしまった。
 死んだら死んだで、その遺体をどうしていいか分らない。実家の方なら、山でも川でも埋めに行けるのだが、東京の文京区ではどこにも埋める所が無い。仕方なしに、保健所に相談の電話を入れたら、「死んだ猫はゴミですので、清掃局に電話して下さい」と言われて、発作的に憤怒と悲哀にかられて大泣きした。それでも結局、どうする事も出来なくて、中身が分らない様にゴミ袋に入れて、塵捨て場に持って行った。それが、ネットもなかった頃の19歳の精一杯だった。
 この話しは、貧乏もさる事ながら、あまりに情報が少な過ぎて、どうしようもなかった話しなんだが、結果論から言えば、こういう人は動物飼っちゃダメだと思う。今ほどペットを大事にもしてなかった時代ではあったけど、それでも、やっぱり飼っちゃダメだったと思う。困った事が起こった時、途方に暮れてしまう可能性のある人は、決して飼ってはならない。金であれ、人づてであれ、どうにか出来る人だけ、飼うべきである。
 なぜなら、彼らは飼い主と一緒に居る限り、すべてを飼い主に委ねているのだから。