■80年代サバゲ昔話KG-9カートキャッチャー
(零五型 2014年11月16日)

 自分がサバイバルゲームを初めたのは、中学2年の秋の事で、西暦で言えば1983年だか1984年だから、自分は日本でサバイバルゲームが始まった極初期のプレーヤーの一員である。今でこそ、サバイバルゲーマー=ゲーマーなんて軽薄は自称をしてるけど、当時は「サバイバルゲーム・プレーヤー」と畏まった言い方をしていた。恐らく、サバゲー(なんて軽薄な言い方は当時はなかった)の元になった、ペイントボールゲームをやってる人をプレーヤーというところから来てるんだと思うが、それ以上に、当時は「サバイバルゲームを新興のスポーツに!」という気概が結構あって(これもペイントボールゲームの影響だと思う)、ことさらプレーヤー意識があったんだと思う。というか、そのくらいの気概が求められるほど、当時の社会は軍事や軍隊といった事柄に、今では想像もつかない程の嫌悪感があって、そうした事に興味を持つのは、精神異常の一つと言わんばかりの世の中だったからだ。後年、オカンから聞いた話しであるが、当時の親父は自分の倅の趣味に相当な嫌悪感を持っていたそうである。
 それはさておき、自分がサバイバルゲームを初めた頃は、丁度ツヅミ弾がBB弾に置き換わりはじめた頃で、ホントに黎明期。メカの足りない部分は各自自分で工夫するのが当たり前の時代で、ユーザー側の創意工夫がメーカーの研究に先鞭を付けたり後押しした部分が多かったと思う。また、そんな知恵も資力もない田舎者のアホ高校生(本格的にノメったのは、高校から)だった自分は、LSのM16の外装をKG-9に仕込んだり、そのKG-9をすっぽりプラ板で覆う形で、宇宙戦艦ヤマトのコスモライフルにしたりと、アホな割には結構技術の要る事をしてたりしたのだ。時代はプラ製のカートリッジ(薬莢)からケースレス化の時代に進んだ訳だが、そのケースレスも当初は雑誌の見よう見まねで自作したものである。メカ音痴の自分としては、大したもんだと思う。
 しかし、そんな夢の様な生活も、高校卒業して上京した時にぱったり終わってしまった。食うのに精一杯だったし、大都会の東京で、京都の田舎の様な寺の裏山や桂川の河川敷みたいなフィールドがあるも思わず、すっかりサバイバルゲームから足を洗ったのだ。だから、ガスガン全盛の極悪ハイパワー時代は知らないのである。自分がサバイバルゲームに復帰するのは、1992年の頃。一旦止めてから6年ほど過ぎた頃だが、この頃には電動ガンが出てて、引き鉄ひくだけで連射できる機能に驚嘆したものである。そして、射程を伸ばすホップ機能もしばらくして出た。ツヅミ弾時代を知ってる自分には、それはそれは素晴らしい性能だった。
 と感心してたのは暫くの間で、ただ単に撃ち合うサバゲーに、直ぐに飽きてしまった。あまりにエアガンが高性能化して自分が手を入れる余地がほどんどなく、初期のプレーヤーの楽しみであったメカ的な創意工夫が失われたからだ。となれば、あとはルールやレギュレーション、チームのあり方など、ソフト面での創意工夫をするより他なかったのだが、そういうのが理解されるにはまだまだ早すぎた様で、あまり理解されたとは思えない。ともあれ、2006年に完全に足を洗うまでに、自分が考えた事は全てやり尽くした。悪い言い方をすれば、本当に飽きてしまった。だから、今となって、サバゲーがやりたいとは、ちっとも思わないのである。

 今、自分の創意工夫の興味や感心を満足させているのは、オフロードバイクのレースだと思う。使ってる金の桁は全然違うが、やってる方向性というのは、あの頃と似た様なものを感じる。そして、まだまだ飽きるほど、やり尽くせてないのだと思う。