■アリさんマークの引越社が「まるでVシネ」と話題に 副社長が「何ぬかしとんやコラァ!」と抗議隊を恫喝
(キャリコネ - 10月05日 18:40)

 弁護士からも、対策会議からも、オカンからも、「人生棒に振る」と言われた争議が終わって、まもなく10年が経つあっという間の10年だった。あの争議の結果の一つが、平和主義者になった事だろう。戦争であれ争議であれ、やらずに済むならやらない方がよい。国権の発動たる戦争を放棄するのと同様に、人権の発動たる争議を放棄する。これは争議団仲間で、笑い話で交わされてたジョークだ。そのくらい、争議を闘うというのは、大変な事だったのだ。自分は幸いにして、産別であれ地域であれ、太いバックボーンがあって、泣き落としが通用する程度にまだ若くて、よく可愛がって貰えた。体力も全然あって、不眠不休で闘えた。そうした背景がない人は、もっと悲惨な闘いを強いられた。それこそ、食うや食わずで闘っていた人、心を病む人もざらにいた。
 それでもこの10年、争議はなくならないのだ。労働審判制度が始まり、一人争議が個別労使紛争と呼ばれる様になり、雇う方も雇われる方も利口になって、労働組合にとっては具合の悪い事に、争議が起こりにくくなっている。それでも、立ち上がる人は後を断たないのだ。そして、自分や家族を犠牲にしててでも、人生を棒に振って闘うのだ。こうした人が、労働者の権利、人間としての権利を、易々と資本家や国家に手放さない防波堤になっているのである。
 大げさな、と言うかもしれない。でも、そのくらいの気概がなければ闘えないし、自分とともに闘ってた人は、みんな立派だった。

「みんな笑って闘った訳じゃない。争議団だからだ」