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 4月中旬から5月にかけて、あまりにも不運な事が起こりすぎるので、2年ぶりに西新井大師に厄除けに行って来た。迷信と言われたそれまでだが、自分はどちらかと言えば迷信深い方である。それに、別に人生サボっている訳でもないし、目一杯頑張っていても、それでも不運に見舞われるのは、もはや人智を超えた何かの作用であると思う。最後は神頼みではないか。その様な訳で、久しぶりに行ったのだが、前回行ったのは2年前の2016年だった。本来、こうした事は毎年行くのがよろしいのであろうけど、忙しいのと、それなりにいいお値段するので、用事がない、つまりよほど不運な事がない限り行ってない。2年おきくらいに行っているのは、ご利益の有効期限が大体2年くらいなのであろう。
 今回は嫁さんと一緒に行ったのだが、嫁さんはこの手の事には興味がないという。あまり不運な目に遭った事がないのか、不運を不運として感じない羨ましい性格をしてるらしい。でも、自分だけ厄除けして、その厄が嫁さんの方に行っても困るので、費用は俺が持つから、という事で、一緒にやる事にした。
 ところで、今回は新生児連れたお宮参りの人らも3組くらいいたのだが、そういうとこは、先に生まれた小さい子供もいたりして、子供らがドタバタしてたりもする。まぁ、あんな小さい子が、あんな辛気臭い所で退屈するのは当たり前なのでそれは良いのであるが、問題はその親の親である。よほど孫が可愛いのであろうが、祈祷の最中なのにスマホでバシャバシャ写真とりまくり、孫並ばせて撮ったりと、お前らは何しにきてるんだ、と言った感じ。
 自分もこの手の場所では、大概怒られていたが、それでもオバンや親が神妙にやってるのは、意外と見てたりするもんなのである。それが後年いきてくるものなのだが、最近の親やその親は、そうした発想はないらしい。よその家の事なのでどうでも良い様なものであるが、ちょっと考えさせられた。